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035巨大イカ襲来

 初めに期待した魚は獲れなかったが、外魚扱いされているアジが大量だったので、エルシィはホクホク顔だった。

「アジフライが食べたいですねぇ」

 漁船が帰路に就く中、エルシィは船酔いでぐったりとする近衛士ヘイナルの脇に座ってウキウキにそう呟いた。

 が、ヘイナルはとても嫌そうな顔で白波の海面を見つめる。

「私は今、食べ物の話は聞きたくありません」

「そうですか。それは残念ですね」

 だがその程度ではエルシィの浮いた気分は下がらない。

 言葉では「残念」などと言っているが、表情では全くそうは思っていないような、明るい雰囲気だった。

 と、その時だ。

 ふいに船が大きく揺れた。

「うわっち」

「エルシィ様!」

 慌ててヘリを掴みに行くエルシィを、ヘイナルが急ぎ抱え込む。

 船の揺れはすぐ収まったが、今度はぴたりと不自然に揺れが止まった。

 そう、波と漕ぎから発生するはずの揺れすらなくなったのだ。

「おかしいですね」

 ハッとして見回せば、漕ぎ手の若衆も船長も慌てているのが見えた。

 ところが、船の低い位置に座り込んでいたせいか、海の様子が全く見えない。

「何事ですか?」

「エルシィ様、そのまま伏せていてください!」

 立ち上がるエルシィを、すぐ戻そうと青い顔のヘイナルが慌てて引っ張る。

 同時に、薄ら白く太長い何かが視界で舞った。

 その太長い何かは船のヘリを掴むように外から侵入すると、エルシィたちの近くの甲板ををビタッと叩く。

 ヘイナルはエルシィを背後に庇いつつ、立ち上がれぬままに腰の短剣を抜いた。

「なんだこれは……」

 危機に瀕し咄嗟に行動しては見たが、その危機の正体が全く分からない。

 そうしている間に、船の外から薄ら白く太長い何かが何本も、ヌルヌルと甲板へと侵入し始めていた。

「これは触手……いえ、触腕?」

 近衛士に庇われつつ、エルシィは呟く。

 サイズ感が大きすぎておかしいが、それさえ無視すれば、その薄ら白く太長い何かはイカか何かの足のように見えた。

 つまり専門用語的に言えば触腕である。

「デカいイカが船底に張り付いてやがる!」

 そんなエルシィの言葉を肯定するように、海面を覗いた船長が声を上げた。

 どうやら、船の下に現れた巨大なイカが、何を思ったか船に絡み始めたということらしい。

「イカだって? そんな馬鹿な」

 信じられない、という気持ちで叫びながらも、ヘイナルはキッと眉を引き締める。

 正体が判ればデカかろうがただの海生生物だ。

 信じられようが無かろうが、ともかく今は主であるエルシィを守ることこそ重要である。

 ヘイナルはすぐに巨大イカの触腕に向けて短剣を構えた。

 すると、前触れもなく甲板に横たわった触腕が跳ね上がる。

 船を抱えるように何本もが横たわっているが、よりガッシリ抱え込もうと、触腕の位置を深めようとしたのかもしれない。

 そしてその触腕は偶然にもヘイナル達の頭上へと振り下ろされた。

「イカごときに遅れは取らぬ」

 ヘイナルは後ろに庇ったエルシィを左手で押しやりながら、左足の位置をツイと後方へ下げて触腕をかわす。

 かわしつつ、再び甲板にビタンと横たわった触腕へと短剣を振り下ろした。

 この一閃で斬り払ってやりたいところではあったが、いかんせん対人間の為に拵えられた短剣では小さく傷つけるのが精いっぱいであった。

 それでも、斬られた痛みか驚きか、船に巻き付き始めていた数本の触腕は、途端にしたたか暴れたかと思うと、すぐに海中へと引き下がった。

「助かったか」

 ふう、と船員の誰かが安堵の息を吐く。

 その直後に船には波間の揺れが戻り、海面浅いところでは大きな槍のような影がさっと向こうへと遠のいていった。

 あれが今しがた船を襲っていた大イカなのだろう。

 皆が先の船員に続いて安堵の溜息を吐く。

 ところがだ。

 その安心は長く続かなかった。

 ひと時遠のいた大イカの影は、しばらくすると反転してまたこちらに向かって来るではないか。

「なんてこった。野郎ども、とっととズラかるぞ」

「えいさー!」

 船長が叫び、漕ぎ手たちも顔を青くしながらわたわたと櫂にとりつく。

 そして「おーえ! おーえ!」と真剣味の増した掛け声で漕ぎ始めた。

 おかげで、あわや激突、と迫ったイカの影からは、何とかスルリと避けることに成功した。

 だがまだ安堵するのは早い。

 大イカの影はまた少し離れたかと思えばすぐ反転して突進してくるのだ。

 どうやらヘイナルの斬り裂きが、大イカの逆鱗にでも触れたのだろう。

「くっ、こんな時は……」

 ヘイナルは焦り、短剣を構えながら思考を巡らす。

 エルシィを守るためにはどうしたら良いか。

 敵は海の中、自分たちは船の上。攻撃するにも逃げるにも、自分から何かできることが見つからない。

 こうなれば身を挺する以外に他は無いのか。

 ヘイナルは覚悟を決め、とにかくエルシィの盾になるべく腰を低く身構えた。

 そして大イカの突撃第二波が迫る。

 今度は船の動きに合わせるように、わずかな弧を描くような軌道修正をしてくるではないか。

「イカのくせに賢いじゃないか!」

 ヘイナルが悲痛な声をあげる。

「失礼ですよヘイナル。イカは犬と同じくらい賢いのです」

 と、そんな場合じゃない注意を飛ばすエルシィ。

 彼女もこれでパニックしているのである。

 大イカの影が至近に迫り、やられる! と船上にいた誰もが思った。

 多くの者が船縁や生け簀箱に掴まり、衝撃に耐えようとした。

 その瞬間の事である。

 船のすぐ近く、すなわち大イカのいた付近に水柱が立った。

 その衝撃が波となって伝わり船が大きく揺れ、波と飛沫が甲板を洗う。

 ヘイナルもまたエルシィを抱えつつも船の縁に掴まり、吹き飛ばされる代わりに高波に吹き上げられた海水の飛沫を頭から浴びた。

「姫様、大丈夫ですか」

「なんとかー」

 全身しょっぱくなりつつ、ふえぇと息を吐いてエルシィはぐったりした。

 その間に水柱は収まったようで、船の揺れも次第に小さくなった。

 そして恐る恐ると立ち上がった漕ぎ手や船長たちは、次々と何が起こったか確かめるために海面を覗いた。

「どうなったのです?」

「エルシィ様、まだ危ないですよ」

 ヘイナルに咎められながらも好奇心を抑えられないエルシィは、漕ぎ手たちに並んで海を覗き込んだ。

 するとそこには、たった今しがたまで船を脅かしていた大イカが、程近いあたりでプカリとその身を浮かせて漂っていた。

 見れば触腕を含めた身の長さは、この漁船の数倍もある。

「こいつの突撃をまともに受けていれば、俺の漁船なんてひっくり返っていただろうなぁ」

 一つ身震いしては感心気に船長が顎の無精ひげを撫でてそう言った。

 それを聞いて想像すれば、エルシィもまたブルっと身震いせずにいられなかった。

 それにしても、とエルシィを含む船上の者たちは近くから遠くへと海面を見渡す。

「いったい何が起こったのでしょうね?」

 代表するように呟いたエルシィの言葉には答えられる者はいない。

 いなかったが、その答えは勝手に向こうからやって来た。

 それは賑やかな子供の話声と共に。

「やったわアベル。大きいわよ。お爺さまのところで焼いてもらいましょう」

「姉ちゃん、こんなのどうやって持って帰るつもりだよ?」

「……アベル、頑張って!」

「無理言うな」

 それは先ほど遠くから見た、白い大イルカに乗った姉弟であった。

 姉は濃い茶色の髪をショートカットにした活発そうな女子。

 弟は黒いかむろ髪の真面目そうな男子。

 どちらもエルシィとおおよそ近い歳のようだ。

「ねぇ、あなたたちが助けてくれたのですか?」

 皆がポカンと見ているところで、エルシィがいち早く声を張り上げる。

 そのエルシィの声を聞き、姉弟は今初めて船に気づいたかのように首を傾げてから顔を見合わせた。

「姉ちゃん、まずいんじゃないか?」

「そうかな。そうかも」

 ボソボソとそんな会話を交わし、二人は気まずそうな表情を浮かべる。

 浮かべ、姉の方が素知らぬ顔で右手を天に向けて突き出した。

「トルペード!」

 高い子供らしい声でそう叫ぶ。

 するとその直後、轟音と共に掲げられた手の平から筒状の長い槍が飛び出した。

 垂直に現れた大槍はすぐに横倒しになりつつ海へと落水したかと思うと、白い航跡を引いて猛然と水面下を駆けだす。

 向かう先はちょうど大イカが浮かぶ場所。

 そしてはじける轟音と共に、さっきとは比べ物にならない巨大な水柱がそこに立った。

「証拠隠滅完了」

 水柱と共に、そんな声が聞こえた気がした。

 飛沫と高波が甲板とエルシィたちを洗い、それが収まると、海はいつも通りの姿を取り戻す。

 ただそこには、浮かんでいた大イカも、イルカに乗った子供たちも、もうどこにもいなかった。

「何だったのです?」

「さぁ、何だったのだろうなぁ」

 残された漁船で、エルシィと船長は首を傾げて、そう呟き合った。

次は金曜辺りに更新します

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