347放たれる猟犬
さて、エルシィが謎の草原の妖精族二人組から暗殺未遂を受けた翌日の朝。
セルテ領主城の中庭に将軍府所属にて現在即応可能な一五〇〇の兵と、犬の郵便屋さんとの通称で親しまれる山の妖精族のレオ君以下多数の犬が招集された。
この場所はもしこの領主城が敵に攻め入られた時に防衛線が張れるよう、そこそこの広さが取られている。
そして、攻め入られることなど歴史上数度しかないため、殆どがこうした場合の集会用グラウンドとして使われるのだ。
ちなみに領主たる侯爵が領民に挨拶する正月参賀などでは、ここが領民に開放されたりもする。
そうして集まった彼らの前に設えられた演台の上に、主君であるエルシィが登る。
後ろには護衛役のアベルと侍女頭にして秘書のキャリナが控えている。
近衛府長たるヘイナルは、これまでに彼の裁量で集め採用された近衛士数人を使っての会場警備である。
この衛士たちは「エルシィ様の護衛として使うには今一つ足りないが、水準はクリアしている」という者たちだ。
彼らはヘイナルの手足として影日向に働いている。
エルシィは演台の上からざっと兵たちを見渡し、満足そうにうなずいた。
さすがスプレンド卿をはじめとした将たちの指導で訓練に明け暮れているだけあって、皆、ピシッとしている。
むしろ犬たちの方が自由気ままである。
「あー……こほん。みなさまおはようございます!」
見計らって、エルシィが元気よく挨拶をする。
兵たちは改めて踵を打ち合わせるように鳴らして気を付けの姿勢を取り、犬たちはレオから「わふ! エルシィさまが来たよ!」と言われて初めてピッとする。
「あれー、皆さん元気がないなー。もう一度、おはようございます!」
エルシィはシンとした中庭に首をかしげてから、もう一度、そんな感じであいさつの言葉を投げかける。
これに困惑するのは兵たちだ。
彼らからすれば主君からの「おはようございます」に挨拶を返すなどという文化はない。
ただ主君の口から出る次の言葉に傾聴するだけだ。
だがレオと犬は別である。
彼らは元気よく「わふ! おはようございますです!」や「わんわん!」と返事をした。
エルシィは彼らに微笑みを向けつつ、耳を傾けるそぶりで兵たちの方を見た。
将軍スプレンド卿はこのエルシィの仕儀に内心苦笑いを浮かべつつ、きりっとした顔で兵たちに叱咤の声を浴びせる。
「恐れ多くも陛下よりのお求めである。総員、元気な声でご挨拶を!」
困惑していた兵たちもこれでピッと気持ちが切り替わった。
一五〇〇人が「今何をすべきか」悟り、揃って声を上げた。
「おはようございます!」
エルシィは今度こそ満面の笑みで大きくうなずいた。
半面、キャリナとアベルは頭痛を覚えたようにこめかみを指で押した。
その後は今朝ここに皆を集めた経緯を話す。
つまり「エルシィ暗殺未遂犯を捕まえよう」という話である。
「エルシィ様。具体的な作戦はお任せいただけるのでしょうか?」
そう手を挙げて質問を投げかけたのは、今ではスプレンド将軍の右腕として五〇〇の兵を預かっているデニス正将だ。
エルシィがセルテ領を制した後、割とすぐに恭順を示した話の分かる元砦将である。
エルシィは答える。
「はい。万事お任せしたいと思いますので良しなに」
と言ってからハッとして付け足す。
「……そういった直後でなんですけど、二つほど指示させてください」
「はっ! してその内容は?」
否もあるはずなく、デニス正将は姿勢を正して続く指示を待つ。
「一つは警士の皆さんとケンカしないように、ということ。
警士さんたちは今、メコニーム取り締まり業務に大忙しでピリピリしていると思います。
それぞれ違う業務でも舞台は同じ街なのでかち合うこともあると思いますが、くれぐれもお願いします」
これは確かに、言っておかないとありうるな。
とデニスは納得した。
デニスだけでなく、もう一人の正将であるサイードも深くうなずいた。
特にサイード正将ははねっかえりの配下のせいで面倒になった記憶も割と最近に経験済みなので、これは厳重に言い聞かせておこう、と肝に銘じた。
「それで、もう一つとはいかなる命でしょう?」
皆が納得気な顔になったところで、スプレンド将軍が続きを促した。
エルシィは得意顔でもう一つの指示を言い渡す。
この指示には一五〇〇の兵がもれなく目を点にした。
街中に散った将軍府の兵一五〇〇は最低でも二人組で行動している。
そのとある二人組が街場の居酒屋に入った。
居酒屋とは言ったが、ここは朝なら朝食。昼なら昼食。それ以外でも簡単な軽食などを提供している店だ。
ゆえに二人は少し遅めの朝食を注文した。
時間が時間なので店主しかおらず、その店主が自ら注文を取りつつ二人の姿を上から下までパパっと確認する。
「兵隊さん、今日は非番かい?」
彼ら二人、というか独身の将軍府属の軍人の多くはこの店のお世話になっている。
ゆえに二人も店主も顔見知りであった。
そしてそのように気楽な声を掛けられるだけあり、二人は今、制式の軍服でも巡回用の軽鎧でもない。
いわゆる休日スタイルの私服だ。
「いや、こんな格好だが仕事なんだ。
他の連中もたぶん後で来ると思う」
「そんな恰好で仕事? そりゃ珍しいね」
将軍府の新体制が発足してから、彼ら兵卒たちの仕事と言えば訓練ばかりであった。
ヘトヘトになって帰ってきては、この居酒屋でひと時の安らぎを得る。
当然着替えてくる気力なんてなく、たいてい制式の軍服や横着者なら鎧のままだ。
であるから、私服であり、朝からやってきた二人は当然非番だと思ったのだ。
「店主も昨日の騒ぎは耳に入っているだろう?」
なんとなく、兵士の一人が声を潜めて問えば、店主もきょろきょろと見まわしてから答える。
「ええ、侯爵陛下が暗殺されかかったって話ですかい?」
「それだ。その犯人捜査を我ら将軍府が請け負ったのさ」
「なるほど……それと今日の服装になんの関係があるんで?」
二人が仕事なのは解ったが、だがいつもと違う恰好なのはさっぱりわからなかった。
二人は顔を見合わせて、「我らもいまいちわからないんだが」と前置きしてから答えた。
「侯爵陛下より、この姿で巡回せよとのお達しなのだ。
変装……にしても我々など一目で軍人と判りそうなものだがな」
首をかしげている二人だが、店主は何となく理解した。
必要なこととはいえ一五〇〇人もの兵士たちが領都内をウロウロしていれば、都民たちは「何事か」と思うだろう。
事情を察する者もいるだろうが、やはり落ち着かない気分になる者も多いだろう。
これはきっと、そうした市民感情へ向けた配慮なのだ。
「恐ろしい話ばかり聞く侯爵陛下だが、案外そうでもないんじゃないか?」
と、店主は少しほほえましい気分になった。
続きは来週の火曜に