345ボーゼス衆
しばらくしてアベルが悔しげな顔で戻ってきた。
「すまない、逃げられた」
「……そうか」
そう答えたヘイナルの顔も暗い。
もし代わりに自分が飛び出していたとしても、犯人を捕まえられたかと言われれば自信がない。
やはり、近衛の数が足りないのだ。
「まぁまぁ、ひとまずお城に戻りましょう?」
「はぁ、しかし……いや、そうですね」
エルシィはそんな二人を宥めて提案する。
が、やはり犯人捜索をいち早く始めたいヘイナルは少し難色を示した。
ただ、示した直後に自分の使命を思い出して畏まった。
ヘイナルの仕事はエルシィの護衛であり、強いて言えば捜索は二の次なのだ。
「エルシィ様、それでしたら私も……」
言いかけたのは舞台向こうから戻ってきたフレヤだ。
今日は短剣こそ差しているが基本的に平服だったので、身体のあちこちに擦り傷を作り、なおかつ服もほつれている。
「いえ、フレヤは非番でしょう?
お騒がせしといて何ですけど、お休みの続きを満喫してください」
「お休みを満喫……」
言われても心が落ち着かない。
守るべき主君が狙われた直後である。
この後、休みだからと楽しむなど、彼女にできようか。
考えた挙句、フレヤはフフフと笑った。
「お休みとは好きにしていいということですね?」
「? まぁ、そういうことですかね?」
質問の趣旨がいまいちつかめなかったので、エルシィは一般論で返事をする。
「了解です。近衛士フレヤ、これより休暇に戻らせていただきます」
「良い休暇を」
そうして二人はニコリと笑顔で敬礼を送りあって別れた。
フレヤの背を見送っていると、彼女は舞台の手伝いに来ていた孤児院の子供たちを集めて何か指示を出し始める。
子供たちはピッと様になった敬礼をフレヤに送ると、パッと町中に散っていく。
なんか微妙にいい予感はしませんけど、まぁ見なかったことにしましょう。
エルシィは心の棚にまた一つ死蔵の品を乗せて、ヘイナルたちに振り返った。
「さぁ、帰りましょう」
「ふいぃー、なんか疲れましたねぇ」
領主城の執務室に戻ったエルシィは、さっそく自分の席に深く身を預けた。
最近では自室より落ち着く気がするので、ちょっと考えるべきかもしれない。
「エルシィ様、こんなことになってしまってごめんなさい……」
ひとまず落ち着いたところですごく申し訳なさそうにしょんぼりと言うのは、例の舞台の主役であったユスティーナだ。
舞台の片づけを仲間の吟遊詩人たちが引き受けて送り出してくれたそうで、一緒に城へと戻ってきた。
エルシィはガバっと身を起こしてにぱっと笑う。
「なんのなんのですよ。
別にユスティーナがわたくしに矢を射かけたわけじゃないですし」
「それはさすがにないですね」
主君が気にしてない風に言うので、ユスティーナはえへへと苦笑いして答えた。
自分がぐんにゃりしているとユスティーナをはじめとした周りの者が気にするようなので、エルシィはきちんと椅子に座りなおす。
「それで結局、犯人はナニモノだったのですか?」
問えば、答えを持っていないヘイナルはアベルへと視線を向ける。
アベルは難しい顔で先ほどの追跡シーンを頭に思い浮かべた。
彼が追う小柄な二人。その頭には三角の耳が揺れていた。
「誰か、まではさすがに判らなかったけど、あれは草原の妖精族だ」
聞いた側仕えたちもまた難しい顔をする。
そして、ちょうど帰ってきた主人のためにお茶の準備をしていたねこ耳侍女見習いカエデが手にしていた茶器を取り落とした。
カエデは最初びっくりした目をして尻尾を逆立てたが、すぐに怒った顔を浮かべる。
「エルシィ様! すぐにアオハダを呼んできますにゃ!」
彼女の剣幕に押されたエルシィだったが、どっちにしろ事情は聴きたいと思っていたので了承してカエデの背を見送った。
しばらくしてエルシィ配下の草原の妖精族たちを束ねる棟梁、アオハダがやってくる。
やってきて、彼はすぐさま床に頭を打ち付ける勢いでひれ伏した。
「草原の妖精族を代表してお詫び申し上げるにゃ!
ですが断じて、断じて我らアントール忍衆の関わることではないですにゃ!
アントール衆を滅ぼすのはやめてほしいにゃ!」
言いながら彼の背は震えていた。
どんだけ怖がられてるの……と思いながらもエルシィは元帥杖を使って傍らに出した小モニターを手繰る。
「大丈夫ですよアオハダさん。あなた方の忠誠心を疑うような真似はいたしません。
ただ、犯人が草原の妖精族さんだと聞いたので、何か心当たりの一つでもあるのではないかと思っただけですよ」
できるだけ優しい声でそういえば、アオハダはホッとして顔を上げた。
「当然ですがアントール衆以外にも草原の妖精族はいるのでしょう?」
「ハイですにゃ。
我らアントール衆は人里から追われ山に住んでいましたにゃ。
同じように山に隠れ住んだ別の集落がこのセルテ領内にもありますにゃ。
たぶん、今回の犯人はそいつらにゃ」
「やはりその方たちもアントール衆のように密偵の技を磨いていた、ということか」
警備担当の長であるヘイナルが深刻そうな顔で問う。
近衛はまったくと言って人が足りていない。
そのうえ先日エルシィから「自分の直衛は最小でよい」と言われたばかりだ。
アントール衆と同規模のシノビが狙ってきたなら、防ぎきるためには相当な犠牲と労力が必要となるだろう。
だがアオハダは首を振る。
「我らほど体術を鍛え上げた草原の妖精族はいないはずですにゃ。
ですけど……ヤツらもやはり生き残るために一芸を磨いてきましたにゃ」
「ふむ、一芸?」
アオハダは言い及び、エルシィは先を促す。
「ヤツら……いえ、ボーゼス衆が得意とするのは、薬ですにゃ」
なるほど、毒ですか。
エルシィはフレヤが弾き飛ばした矢の先を思い出す。
言われてみれば、何か液体が塗布してあった気がした。
続きは来週の火曜に




