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じょじたん~商社マン、異世界で姫になる~  作者: K島あるふ
第四章 大領セルテ編

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343おおはらえ

 エルシィは知っている。

 いや、サラリーマン上島丈二は知っていると言った方がいいだろう。

 こんな時、どうすればいいかを。である。


 例えば、大変盛り上がっている宴会に参加中のこと。

 次々と参加者が何か芸を披露する中で「君も見ているだけじゃなく何かやりたまえ」とお偉いさんに声をかけられる。


「いえいえ、私なんか。場を盛り下げてしまいますよ」

 と謙遜ぶって断るのも一つの手だ。

 だが、これが許されるのはおおよそ二度程度。

 相手が本気の場合は「いいから」と三度目の言葉が来る。


 こう来たらもう、やるしかない。

 かたくなに断ることもできるし、今どきであれば「パワハラだ」と言えばコンプライアンス的に引いてくれるだろう。


 ただし、それで残るのはお互いの気まずい感情と、盛り下がった宴会の場だ。

 しこりが残れば、その後の仕事にも影響する。

 仕事なのだからそんな私情は抜きにやれよ、という声もあるだろう。

 とはいえ、やはり社会を動かすのは感情を持つ人間なのだ。


 例えば大変美味しい仕事があったとする。

 その仕事を誰に出すか考えた時、目の前には二人の営業がいる。

 どちらも仕事を出すには申し分ない実力の持ち主だ。

 で、あれば、何が選択の決め手になるかと言えば、結局のところ人物の好悪による。

 こんなシーンはいくらでも転がっているのが社会である。


 丈二ももう青臭いことを言う若者ではない。

 いやまぁ、今は八歳児であるし、この領の最上位の権力者なのだから突っぱねてもいいのだが、丈二のサラリーマン生活二〇年が、それを良しとしなかった。


 そう考えたら、緊張した心がスッと落ち着く。

「いいでしょう。歌いましょう?」

 別に歌に自信があるわけではないのに、なぜか自信満々な顔で答えた。


 それを聞き、ユスティーナはホッとする。

 ああ、これで、歌を勧めて正解だったのだと。

 その解釈がすれ違っていることなど思いもせず、彼女の成功体験として刻まれた。

「よかった!」

 その思いを込めた笑顔を見れば、より一層エルシィの心は引き締まった。


 さて、問題は何を歌うかだ。

 これが会社の宴会ならよかった。

 四~五〇年前のヒット曲なんかを歌えば、丈二より年上のおっさんじいさんたちは大喜びである。

 だがここでそれをやってもウケないだろう。

 なぜか。

 過去のヒット曲がウケるのは、あくまで同年代の者たちに共通の記憶があるからだ。

 いくら良い曲であっても、ここで日本の歌謡曲を()ってもダメなのである。


 もちろん、良い曲は古今東西変わらない、という理屈もあるだろう。

 ここでエルシィが歌ったことをきっかけに、そういう曲が流行ることもあるだろう。

 だが、ここで歌うのは何か違う。


 ユスティーナたちが作り上げた美しいステージの雰囲気というのがある。

 それにそぐわない曲は、ウケたとしても成功とはいえないだろう。

 なによりあまりにアレな曲だと、キャリナがいい顔しないだろうし。

 丈二は空気を読むサラリーマンなのだ。


「そんな丁度良い曲、何かあったかなぁ……」

 この場と、そしてエルシィというブランドイメージを壊さない、そんな都合のいい美しい曲。

 しばし考え、しかしあまり長く考え込む暇などないので、エルシィは決断する。


 スッとエルシィは舞台の中央へと進み出る。

 ユスティーナを含め、周りの吟遊詩人たちは「いよいよ始まる」と察して一歩引き、そして各々の楽器を準備する。


 本来であれば軽くでも打ち合わせがあってしかるべきだったが、こうなればぶっつけ本番で合わせるしかない。

 彼ら彼女らも音楽で食っているプロである。

 やってやるぜ。そう心に決めた。


 そしてエルシィの喉から美しい旋律が紡ぎだされた。



「この歌を聴くために今日はここに来ました」

 舞台袖でフレヤが感動に打ち震え涙を流す。

「いや、エルシィ様がここに来たのは偶々だろう。なにを都合のい……」

「いいえ、すべてが運命なのです」

 あまりに大げさなフレヤの言い草に呆れた顔を向けたヘイナルだったが、かぶせるようにそう言われては「お、おう」と引き下がるしかなかった。


 フレヤから目を逸らしつつ観客席に目を向ければ、一〇人に一人くらいの割合でウットリとする者や涙を流す者が見えた。

 これは本物だ。

 フレヤだけが変なんじゃない。

 いや、エルシィは女神から遣わされた救世主なのだ。

 特別じゃないわけがなかった。

 そう、納得できた。


 正味、歌の上手下手でいえばまだまだ(つたな)いとしか言えない。

 特に歌姫ユスティーナの後なので余計にそう感じる。

 だが、それを差し引いたとしてもその歌の旋律が、特定の人々の琴線に触れたのだ。


 それは清浄でゆったりとしたリズムに大祓の祝詞をアレンジして乗せた、神聖な雰囲気を持つ曲だった。

 大祓というのは神道行事の一つで、知らず知らずにため込んだ罪や過ちといった日々のケガレを払い、新たな気持ちで健やかに過ごしましょう、というモノである。

 ゆえに曲に乗せられた言葉の数々が、一定の人々の心に響いたのだ。


 何やら一部感動で涙流してる人もいるんですけど!?

 エルシィは歌いながら表には出さず引いた。

「ああ心が洗われるようじゃ~」

 会場のどこかから、そんな野太い声も聞こえた。

 あいつらか?

 エルシィは心の中で「たはは」と苦笑いを浮かべた。


 とはいえ、上島丈二は神道家でもなければ、特に信仰心が高かったわけでもない。

 一般的な日本人並みに神社に慣れ親しんでいる、程度である。


 ではなぜこのような曲が丈二のレパートリーから出てきたのか。

 ぶっちゃけていえば、この曲はアニソンだった。

 日本の神様を題材にしたコメディ漫画だが曲自体にコメディ要素は一切なく、むしろ清らかな光が降り注ぐような、そんな曲である。

 思えば、アニメやゲームの曲を作る人々は雰囲気作りがとても上手い。

 簡単に言えば〇〇風の曲、というのを作るのがとても達者なのだ。

 これもそんな曲のひとつだろう。

 偏見なく曲単体を聴くなら、ある一定の人間にぶっささるタイプの曲である。


 そしてエルシィには一切そんなつもりはなかったが、この曲の持つ神聖な雰囲気がエルシィのことをささやく噂のひとつに説得力を持たせた。

 そう「女神の使い」という言葉である。

続きは来週の火曜に


気に入った方は評価などよろしく( ˘ω˘ )

って言っておかないと「こいつ評価イランやつや」って思われるってマ?

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