337チキンカレーその6_フルニエ氏の決心
見れば、殆どの者が夢中になって食べている。
さもありなん。
そう頷きながらフルニエ氏はふと違和感を覚える。
そう、レシピを提示したエルシィ陛下、その人が納得した顔をしていないのだ。
「まぁ、カレーにはなってますね。
でも……やっぱりまだ足りません」
「なん……ですと!?」
エルシィのつぶやきを拾い、フルニエ氏は衝撃を受けた。
この味で、まだ先があるのか、と。
そう、エルシィはひとまずおいしく食べてはいるが、まだ納得いくカレーだとは思っていなかった。
このカレーがおいしいのは当たり前である。
なにせこれは、とある有名カレー店の店主から丈二が教わった基本レシピなのだ。
だた、もう一度あえて強調するが「基本」なのだ。
ここからさらに様々なスパイスの中からチョイスして店の、または家庭の味にしていく。
その過程が全く足りていなかった。
教わったがいいが、そのあたりを研究研鑽する暇が丈二にはなかったからだ。
ともあれ、この味にフルニエ氏はすっかり折れた。
自分はいったい、今まで何をしていたのかと。
国内最大の小麦商、そんな称号は今の彼にとってゴミくずでしかなかった。
「陛下!」
「はい!?」
せわしくスプーンを動かすエルシィは、唐突に決心した顔で呼びかけるフルニエ氏にちょっとびくっとしつつ、何とか返事をする。
何を言い出すのか。
その気迫のこもった様子に、ヘイナルやアベルがスプーンを置いて腰の得物に手をかけて警戒する。
だが、その警戒は無駄に終わる。
フルニエ氏は真剣な面持ちでこうのたまった。
「近日中にフルニエ商会は解散いたします。
ひいては希望者の受け入れをよろしくお願いします」
「はい……はい? え、もう決心したんですか?」
まさかカレーに心動かされてこんなこと言いだすとは、さすがのエルシィも思ってはいなかった。
だが、番頭氏すら驚愕に目を見開いている中、フルニエ氏はとても澄んだ目で言い切る。
「はい、色々な後始末を終えたらすぐにでも」
「いやまぁ、わたくしの望んだことですので、いいんですけど……。
それで、フルニエさんも来ていただけるということでよろしいのですか?
もちろん、フルニエさんや幹部さんたちには、それなりの地位をご用意いたしますよ」
鉄は熱いうちに打て、と言わんばかりにエルシィは話を進める。
こうしている間に刻一刻とカレーが冷めてしまうのは惜しくもあるが、カレーはまた温めればよい。
比べて、人材登用はタイミングが命である。
だが「勝ったも同然」と思っていたエルシィの思惑とは裏腹に、フルニエ氏は澄み切ったとてもいい笑顔で言い放った。
「いいえ、私はついに私のやるべき商売を見つけました。
残る生涯は、すべてそこに注ぎたいと存じます」
なんだこれ、スパイスのデトックス効果かな?
などとエルシィがスンとした顔で彼を見る。
いや、前フルニエ会長に比べれば、彼には全然毒を感じなかったので、解毒されたとはちょっと違うかもしれない。
であればこれは悟りの一種か?
「……そう、ですか。
ところで興味本位でお聞きしますが、この後フルニエさんは何の商いを?」
薄々わかっていたが、エルシィはあえてその口から訊きたいと問う。
フルニエ氏はパッと明かりのついたような笑顔で大きくうなずく。
「スパイスを商います。
生産地へ赴き、増産にも関わりたい。
この神の料理が高価すぎて庶民に届かないなど、この世界は不幸が過ぎる。
私はこれからの生涯をかけて、スパイスをもっと多く、より安く皆様に届けたい。
そしていつか、侯爵陛下のご納得いくカレーを作り上げて見せます。
今わかりました。これこそ天が私に与えたもうた命題であります!」
急に饒舌に、そして早口に言い放つフルニエ氏はキラキラ光って見えた。
もちろん幻であるが、ここにいた一同は等しくその幻を見た。
胡乱な目のまま、エルシィは考える。
確かに元はお釈迦様の国の料理ではあるが、だからと言ってカレーを食べて天命に目覚めるなんてことがあるだろうか。
まぁ、カレーにハマってインドに行ったミュージシャンも存在するので、あながちないこともないかもしれない。
気を取り直し、エルシィはスプーンを握りなおす。
そもそもスパイスが彼の活躍で手に入りやすくなるのであれば、それに越したことはないのだ。
「その意気や良し! です。
フルニエさん。わたくしも新商会には出資させてください」
「ありがとうございます、侯爵陛下……いえ、エルシィ様!
共にスパイスの地平を目指しましょう!」
やはり言葉の意味は解らないが、どうやら二人の間で何か共通理解ができたらしい。
側近の皆はその様を呆然と見ながらも、カレーを掬う手を止めなかったという。
カレー編 (フルニエ商会編)やっと終了
続きは来週の火曜に( ˘ω˘ )




