332チキンカレーその1
これらの香辛料は作中に出したはずです(忘れていなければ)
続きは金曜に
「チキンカレー……」
「カレー?」
エルシィの口から出た料理名に、部屋の皆が首を傾げた。
なにせその料理の名を誰もが聞いたことない。
「チキンはわかる。
あれですよね? 鳥の家畜」
ピンときた顔でそういったのはエルシィの護衛頭ヘイナルである。
エルシィが領土を拡張するたびに彼女の近衛府を作るために東奔西走していたヘイナルだが、最近の方針変更でやっと近衛士本来の仕事に戻ってこれたのでどこかホッとした顔だ。
そんな彼の言葉で何人かはピンときた。
「もちろん知ってるわ。あたし詳しいわよ!」
と、堂々たる態度で言い放つのは、神孫の姉の方バレッタだ。
現在、エルシィから海軍方面の編成を任されているので、あまり側仕え衆のような供回りはしていないのだが、なぜか今日はメンバーにいた。
「まぁ、そうだな。オレも知ってる。というか、あまりいい思い出はない」
頷き姉に同意するのは弟剣士アベルだった。
「ヘイナルはともかく、二人はなぜ詳しいのかしら」
「ともかくとはなんだ」
エルシィの次女頭であるキャリナのそんな言葉に、ヘイナルは苦笑いしながら言い返す。
別段怒ったわけではないが、それでもひどい言い草のように思えた。
まぁ、二人は本来のエルシィが亡くなり、中身が丈二に代わる前からエルシィの側近なので気安い仲ではあるゆえのやり取りといえるだろう。
「オレや姉ちゃんは爺様の言いつけであの鳥を追い回す修行を何度もやらされたんだ。
それで小さい頃は散々つつかれたからな。
あいつらは敵だ」
「そのおかげで詳しくなったと思えばいいじゃない。
それにチキンを食べるたびに『ざまみろ』って思えてより美味しいわ!」
アベルの恨み籠ったしかめ面に、カラカラと笑うバレッタだった。
今日はこの四人がエルシィの側仕え衆である。
ちなみにキャリナたちがそれなりにチキンについて知っていたのは、食材家畜としてジズ公国領主城では少量ながら飼われていたからだ。
まぁ、ジズ公国でよく食べられる肉はヤギの方が多く、チキン……鶏と言えばどちらかというと玉子採取の目的で飼われていた。
当然、この部屋の主であるフルニエ商会長やその番頭はよく知っている。
彼らの専門は小麦商だが、他の食品についても扱いがないわけではない。
というか、そこいらの商会から見れば、立派に独立部門と言える規模の扱いはあるのだ。
「なるほど、チキンを扱った料理というのはわかりました。
他は何を揃えたらよろしいので?」
会話の流れから、当の商会主であるフルニエ氏がそう尋ねる。
皆、一瞬顔を見合わせ、それから視線がエルシィに集中した。
なにせ彼女の口から出た「チキンカレー」なる料理は、彼女しか知らないのだ。
「そうですね、まず……」
「まず?」
「玉ねぎ、にんにく、しょうが、塩、それからトマト……はたぶんないから小麦粉を少々」
「なるほど、『とまと』は解りませんがそれ以外は普通に揃いますな。
そうだな?」
「はい商会長。もちろんです」
やはりトマトは知らないか。と思いつつも、エルシィはおおよそ満足そうにうなずいた。
「さすがフルニエ商会さん。わたくしが見込んだだけはあります」
以前、ハイラス領で作ったパエリアもどきも、本来であればトマトを使いたかったが誰も知らなかったのだ。
おそらく、この文化圏では手に入らないものなのだろう。
ちなみに玉ねぎやしょうがはこの文化圏全般で割と一般的な食材であり、にんにくはハイラス領の郷土料理でよく使われるのでエルシィもここにあることを確信していた。
まぁ、フルニエ商会規模でなければ、ここセルテ領で扱っていない可能性もあったが。
「まずは、と言われるのでしたら他にもあるのですね?」
「あとは香辛料です」
「ほほう、であれば、わが商会で、というのも頷けますな」
フルニエ商会長が自信ありげに胸を張った。
中世ヨーロッパにおいて香辛料は高い。
この認識は広く持たれていると思うが、この世界においてもそれらはまた高級品であった。
ゆえに、そうした高級品を扱うことのできる商会というのはおのずと限られてくる。
香辛料の輸入ルートを持つ専門商会か、またはフルニエのような大商会である。
とはいえ、高価なのは一部のものであり、ハーブなどに分類されるタイプのものはさほどでもない。
例えばミントやシソ、ヨモギなどもそうだ。
野草であったり、栽培したとしても大した手間なく育ち、採取後の加工もさほど必要としない。
ゆえにハーブと言われるタイプの香辛料は一般庶民でも多く使われていた。
「して、どのような香辛料が必要ですか?」
エルシィは問われ、ほしいと思うものを列挙した。
「唐辛子、ターメリック、クミン、コリアンダー、そして胡椒が欲しいです。
どうですか、ありますか?」
「ほう、ずいぶんと多くの香辛料を……なるほどなるほど。
どうだ、確か扱っていたと思うが」
「もちろんです商会長」
フルニエ氏と番頭氏は頷きあってそう答えた。
本当はあまりに多く挙げられ少し不安であったので、番頭の回答でフルニエ氏はほっと胸をなでおろしたところだった。
もちろん出来た商人なのでそんな様子は微塵も出さないが。
彼女が挙げた香辛料、それらはこれまでにこの世界で存在を確認したものばかりであったが、それでも一堂に集めるのはとても手間がかかるだろう。
だが、食品を扱う大手商会であれば話は別だ。
エルシィは思った通りだと、たいそう満足そうに頷いた。




