328商会に這い寄る破滅
フルニエ商会長の死から一週間もすると、その話は領内の各商会にも知れ渡り始めていた。
特に大商会や、フルニエ商会同様に小麦を扱う商会はそれほどの時を経ずして情報を入手している。
彼らは常に商機を図るために、ライバルとなる商会の動きには敏感なのだ。
そしてそれはもちろんフルニエ商会も同じであり、同じだからこそ、いま、自分たちが窮地に立たされていることがよく理解できた。
その日もここ数日同様に、商会長執務室には次々に各地の情報が集まってきている。
執務室の主は新たに商会長に就任した、前会長の息子であり、そして副会長でもあった彼だ。
「タレス商会が我が商会のシェアを侵食しつつある、との情報が入って来ております」
ピシッとした背広風のスーツに身を包んだ背筋の伸びた老人が、今しがた受け取った情報を披露する。
彼は長年、この商会に仕えて来た大番頭の一人だ。
この報を聞き、新フルニエ商会長は頭の痛い思いをいだきつつ首を傾げた。
「タレス商会と言えば南方の街、トロッサが本拠だったな。
いや、シェアを浸食? すでに今期の小麦の仕入れは終わっているだろう。
今更か?」
小麦商による一年は夏から秋にかけて、つまり小麦の収穫期が勝負である。
この時期に国内に数多くいる小麦農家から、いかに多くの小麦を買い付けるかがポイントとなるわけだ。
これによって各商会の在庫が決まり、在庫がそのまま市場におけるシェアとなるわけだ。
なにせどんな有能な小麦商であっても、在庫がないのに販売数を拡大することはできないからだ。
だというのに、トロッサという街ではフルニエ以外の商会がシェアを奪っているという。
抱えている小麦の量は明らかにフルニエ商会の方が多かったはずなのに、である。
「あ、いや。もしかして侯爵陛下に買い付けられた分、トロッサにおける在庫量が著しく減っていると言う事か?」
と、フルニエ商会長はハッとして顔を上げた。
先日亡くなったばかりの彼の父、前フルニエ商会長は侯爵陛下と仲たがいをおこし、嫌がらせの一環としてフルニエ商会の小麦を市場に売らない方針を打ち出した。
これを侯爵には上手くかわされ、フルニエ商会の在庫する小麦の多くを政府に買い上げられたのだ。
そうなれば各支店の在庫も当然減り、他商会にシェアを奪われるのも仕方ないと言える。
「であれば、今は耐える時だな。
来年、また少しずつ巻き返すしかない」
だが、大番頭氏はため息交じりに首を振る。
「商会長、そうではないのです。
確かに全体の在庫数は低下しておりますが、トロッサ支店は影響の少ない店でした。
ですが、どうやらトロッサの支店長がタレス商会と通じて、当商会の在庫を相場よりかなり安い金額で流したようなのです」
「なん……だと!?」
これは青天の霹靂だ。
今は前商会長のやらかしのせいで、大変苦しい立場のフルニエ商会である。
ここは幹部連一丸となって乗り越えねばならない時期だろう。
そう、新商会長は考えているところだった。
そこへ来てこの裏切りの報である。
新商会長の脳裏にあったフルニエ商会立て直しプランにひびが入った瞬間だった。
「いやまだだ。
本店の幹部を早急に送り込んで引き締めに当たれ。
トロッサの支店長はすぐこちらに呼び出せ」
亡くなった前会長ほどではないにしろ、彼も有能な人物である。
と言うか攻めの商売に能を持っていた前会長と違い、彼は守りの商売に強い人物だった。
ゆえに破綻がちらりと見え隠れしたプランに修正案を提示する。
大番頭の老人はこれまで見守って来た御曹司の成長に、満足そうに頷いた。
頷き、すぐ自分の考えを口にする。
「であれば、私が自ら赴きましょう。
なに、タレス商会など私にかかれば小童同然でございます」
「うむ、無理をさせるが、お前が行ってくれるのなら安心だ」
彼なら裏切りなどと言うことは万一にもないだろう。
フルニエ商会長もその頼もしい言葉に喜ばしい顔をして頷いた。
その時、執務室の扉を叩くけたたましいノック音が響いた。
「何事か!」
気分を害されたとばかりに答えると、ノックの主たちが執務室になだれ込んでくる。
それらは蒼い顔をした各部署の長たる幹部たちだった。
彼らが持ってきたのは、各地の支店で前述のような他商会からの攻勢や背信行為が始まっている、という報告であった。
「くっそ、事態の収拾を図るにしても、圧倒的に手が足りない。
こうなればいくつかの支店は切り捨て、事業縮小で乗り切るしかあるまい」
これも最初から考えていたプランではある。
だがこれはフルニエ商会の「セルテ領最大の小麦商」と言う地位から、数ある小麦商の一つに転落するプランであった。
ゆえに、出来れば避けたいプランではあった。
とはいえ、このまま手をこまねいていれば、遠くない未来に商会倒産もありうる。
商会長はそう考えた。
と、そこへまた新たなノック音が響く。
今度は控えめなものだったが、いま部屋にいる人数にしては静まり返っていたので良く聞こえた。
「入れ」
気分を落ち着けるために大きく息をついて椅子に深く座り、フルニエ商会長は返事をした。
すると店で雇っている小者の少年がおずおずと戸を開けて要件を告げる。
「あ、あの、商会長にお客様がいらっしゃってます。
今は応接室でお待ちいただいております」
最初は商会幹部たちが集まっているこの部屋で気後れしているのかと思ったが、そうではないらしい。
彼が気にしているのはどうやら客のようだ。
いったいこんな時に誰が?
と思わなくもないが、むしろフルニエ商会長は好奇心を刺激された。
客とは、救いの神か。それとも破滅をもたらす悪魔か。
「わかった。すぐ行こう」
商会長は答えて立ち上がり、大番頭だけを引き連れて執務室から少し離れたところにある、日当たりの良い応接室へと赴く。
果たして、そこにいたのは誰あろう。
セルテ領主エルシィ侯爵陛下と、その供回りの者たちであった。
続きは金曜に




