325フルニエ商会の暗雲
「どーすんだよこれ……」
「すっかりやられましたなぁ」
フルニエ商会の副商会長執務室にて、商会長の息子であり二代目商会長を期待される副商会長が頭を抱え、そしてもう何十年とフルニエ商会に仕えて来た大番頭の老人がため息をついた。
フルニエ商会長の怒りに端を発した企み。
小麦を売り渋り国を治める侯爵陛下を困らせてやろう、というまるきり子供の癇癪のような方針は結果的に潰えた。
これはまぁ、副商会長にとっても悪い結果ではなかった。
セルテ領内のおよそ五割の小麦を有するフルニエ商会が、この冬から来期の秋にかけてその小麦を売らなかったらどうなるか。
市場は混乱し、民の食卓からパンが消えてゆく訳だ。
困るのは侯爵陛下だけではない。
と言うか最も困るのは民衆であり、そしてその怨嗟の声は侯爵ではなく売らなかったフルニエ商会に向いたことであろう。
「そうなんだよ。結果的には最悪は逃れてはいるんだよ」
「おかげさまで余計な在庫を抱えないで済むのは助かりますな」
そして売らなかったフルニエ商会もまた困る。
なぜなら売ることで得るはずだった金銭収入がなくなり、売らなかった小麦が死蔵品として保管料的な意味で大赤字を叩きだすことになるからだ。
が、結局のところ、セルテ候エルシィの機転によって、その小麦は政府が買い取ることになった。
だまし討ちのような経過ではあったが、赤字が最小限に抑えられたのは大助かりだった。
まぁ、父フルニエ商会長がこれを知ったら何というか、と考えれば少々頭が痛いことこの上ないのだが。
「しかし、その後がなぁ……」
ここからが副商会長の頭痛の種であった。
「これもまた先手を取られましたな。
商会長の考えなど、侯爵陛下にとっては手の平だったと言う事でしょう」
そう、売り渋りから民衆の怨嗟がフルニエ商会に向かぬよう、「市場の小麦不足は侯爵の失策が原因である」と噂を流すつもりだったのだ。
実際、その準備も進めていた。
が、それより早く『とある小麦商とお姫さま』という歌が吟遊詩人たちの手によって流行り始めてしまったのだ。
フルニエ商会から流れた小麦が政府の手によって、今までより数割安く出回り始めたこのタイミングに合わせたかのように、である。
「もちろん、合わせたのでしょうな」
「侯爵陛下はまだこの国に来て何か月も経ってないだろう。
もう吟遊詩人を掌握したのか? あの自由人どもを?」
「どうやらハイラス領から流れて来た者も多いようです。
おそらく向こうで懇意にしていた者たちを呼んだのでしょう」
「そいつらが歌い民衆が興味を持てば、地元の吟遊詩人たちも歌わないわけにはいかない、か」
この『とある小麦商とお姫さま』と言う歌には固有の名詞は一切入っていない。
が、多少事情を知る者であれば、その小麦商がフルニエ商会であることはだいたいわかってしまうだろう。
そしてフルニエ商会を相手に立ちまわる姫と言われれば、隣国からやって来て瞬く間にセルテ領国主に収まってしまった鉄血のエルシィ姫だろうと想像に難くない。
「その歌に対する想像を裏付けるように触れ回っている者もおるようです」
「誰だ?」
「孤児院の子供たちです」
「……やはりすべては侯爵陛下の手の平ってことじゃないか」
この国、と言うか旧レビア王国の文化圏においては、孤児院とは公的なモノが八割以上を占める。
これは民衆に対するセーフティネットがあるというアピール政策の一つではあるが、それ以上に忠実な人材の育成などの意味合いも強い。
ゆえに孤児院の子供が動いていると言われれば、事情通であれば「それは侯爵の意である」と思わずにいられないのだ。
大赤字を出すのは免れた。
だが商会としての信用は大幅に落ちた。
それでもこれまで大商会としてやって来た名前がある限りは取引が一切なくなることはないだろう。
とは言え、為政者に睨まれた商会と取引しようという者は、やはり大幅に減るに違いないのだ。
「商会の規模を幾らか小さくして再出発するしかありませぬな」
大番頭が、ため息が絶えない中でそう提案する。
もちろんこれは副商会長の頭にもあったことだ。
だが、ここまで順調に成長してきて、このまま父の跡を継ぐものだと思っていた彼にとっては認め難い提案でもあった。
と、そこへやけに慌ただしいノック音が執務室の扉を襲った。
二人は一度ビクッとしてから扉の向こうの者を怒鳴りつけるようにして入室を促す。
入って来たのは顔面蒼白にした、父フルニエの側近であった。
「なんだ騒々しい。今は頭の痛い話をしていたところなんだから、少し静かにしてくれんか」
その商会長のせいで頭の痛いことになっているのだから、側近には嫌味の一つも言いたくなる。
だが、側近はそんな事お構いなしとばかりに声を張り上げた。
「しょ、商会長が! 亡くなられました!」
「はぁ!?」
室内にいた二人はあまりのことに脳内が真っ白になる思いだった。
そして副商会長はゆっくりと再び両手を使って頭を抱えた。
「これ、どうすんだよ……」
大番頭はひときわ大きなため息をつきながら商会長の死を悼みつつも、二代目をもまた困ったという顔で見る。
副商会長は有能である。
この大商会を切り盛りするのに不足はない能力をお持ちだ。
だがそれは「大商会を運営する」と言う能力であり、波乱に満ちた商戦を乗り越えて商会を大きくする能力ではない。
その能力を持っていたのは訃報が届いたばかりの商会長であった。
二代目の時代は安定の時期。
そう思っていたところにこの訃報である。
フルニエ商会はますます厳しい時代を迎えるだろう。
大番頭氏はそう、暗い想像を巡らせるのだった。
続きは金曜に




