324井戸端の奥様方
ある日の昼下がり。
セルテ領都の下町にある小市場の出入り口付近で、買い物がを終えた奥様方が集まりうわさ話に花を咲かせる。
季節は冬。寒空の下ながらに欠かせぬ行事。
つまりこれは毎日開催される定例井戸端会議と言うやつである。
そんな中、ベテラン奥様の一人がふと市場を振り返りながら言う。
「そう言えば、最近小麦がちょっと安くなったんじゃない?」
「あ、私も思ってた。ここ数年、値上がり気味だったし助かるわぁ」
他の奥様も相槌打つように頷いた。
領都に住まうセルテ領民は、他の街や農村に住まう者たちに比べれば比較的裕福な者たちだ。
その領都民が言うのだから、やはりこれまで小麦は少し高かったのだろう。
「なんで小麦は値上がりしてたのですか?」
そこへ若々しい奥様が可愛く首を傾げる。
彼女はこの井戸端会議メンバーとしては新米であり、つまりはまだ新婚なのだ。
ベテラン奥様方は微笑まし気に彼女を見て頷くと、眉をひそめてため息をつく。
「農村の方では年々穫れる小麦が減っているって聞いたわ」
「なんでかしらねぇ。お百姓さんがサボっているわけではないでしょうに」
それはまぁ当然である。
農業従事者も毎年頭を悩ませて頑張って入る。
だが、土地が徐々に徐々に痩せてきているようなのだ。
ぶっちゃければこれは前侯爵であるエドゴルが土地の管理神であるイナバ翁と契約を結んでいなかったためのマイナス効果であった。
イナバ神と契約して印綬を授かると、その土地の支配者として神に認められたと公言できる以外に特典が発生する。
それがイナバ神を通じて豊穣神などから得られる気候の安定や作物育成ボーナスなのであった。
これがない状態なのに同じ場所で同じように農業を続けていれば、土地がやせるのも当然である。
ゆえに神の祝福無き我々の住む世界の現代農業では、輪作などの方法論や、はたまた様々な農薬、肥料が存在するのだ。
「なるほど……そうすると値上がりも当然なのですね。
では、なぜ最近小麦が安いのですか?
もしかして今年は豊作だった?」
若奥様が納得気に頷きつつも、また可愛く首を傾げた。
これにはベテラン勢も顔を見合わせて誰かの回答を待つ。
「さぁねぇ、豊作って話は聞かなかったけど……」
「侯爵様のおかげだよ」
そうして会話が途切れ顔を見合わせるところ、井戸端会議に急な闖入者が現れた。
まだ幼く高い声の主を探して奥様方がキョロキョロすると、ちょうど彼女らの腰くらいまでしか背丈の無い少年の姿が目に入る。
「あらー、可愛い坊ちゃんね。
どこの子かしら?」
彼女らはだいたい同じ生活圏で暮らしているので、話したことがなくともたいていの家族は見たことがある。
ところがその子供はここにいる誰の子でもなく、また見かけた記憶も無かった。
少年は無言で振り向きながら街むこうを指さす。
目でその先を追えば、そこには時を知らせる鐘の尖塔があった。
それは街で一番大きな孤児院の目印だった。
奥様方は不思議そうに尖塔と少年を交互に見る。
少年は高価とは言わないまでも身ぎれいな服に身を包んでおり、とても孤児院に住まう様には見えなかった。
と、そこまで来て数人がふと気づいた。
夏ごろまではよく見かけた小汚い孤児たちを、最近は見かけないのだ。
さらに気づく。
見かけないのではなく、こうして身ぎれいになったので目立たなくなっていたのだ。
「なるほど? 侯爵様?
というと、最近就任されたというジズ公国のお姫様でしたっけ?」
一人の事情通らしい奥様がそう呟く。
「侯爵様ってあの厳しい顔した方じゃなかったかしら」
「それがね、どこだかに戦争を仕掛けて逆に潰されたらしいわ」
「あらやだ。それでなんで……なんとか公国のお姫様が?」
「鉄血姫って仇名されてるらしいから恐ろしいお姫様なのね。
きっと戦争はジズ公国としたのだわ」
民衆にとってお上の動向はあまり興味の対象ではない。
ジズ公国と言う名前は辛うじて知っていても、どこか遠くの国、位の認識しか無いのだった。
だが戦争と言えば隣国とするもの。なのでジズ公国も意外と近くなのだろう。
くらいに思っていたのである。
まぁ、実際には海を隔てれば隣国と言えないことも無いのだが。
少年はそんな奥様方の話に少し憮然とした表情になり、また口を挟む。
「エルシィ様は優しい方だよ!
エルシィ様のおかげで僕たち、最近ちゃんとご飯も食べられるようになったし、奇麗な服も着られるようになったんだ。
それに小麦が安くなったのもエルシィ様のおかげだよ!」
「あら、そうなのね」
剣幕に気おされた奥様方がちょっと驚いた顔で口をふさぐ。
少年はぷんすかした素振りで市場外れの広場を指さした。
そこでは大衆娯楽の一部である吟遊詩人が、様々なお話を歌いあげているところだった。
「詳しく知りたければお歌を聞くことだね。
じゃ、僕は行くよ!」
少年はそれだけ言い残すと、まだ拗ねたそぶりを見せたまま井戸端会議会場から掛け去っていった。
奥様方は目を見合わせ、そして自分の買い物かごから財布を取り出し小銭を数えると、少年に言われるままに吟遊詩人のいる広場を目指した。
「小麦が安くなった事情が聞けるってそうだけど?」
恐る恐る、そして半信半疑の表情で一人の奥様が美しい絹で着飾った吟遊詩人に代表して小銭を数枚渡す。
吟遊詩人はにこやかに、そして慇懃に大仰なお辞儀をして見せると、さっそうとした素振りで手にしていた弦楽器を奏で始めた。
「それではリクエストにお答えしまして、最新の一曲を。
『とある小麦商とお姫さま』、お聞きください」
それはまさしく、フルニエ商会とエルシィのやり取りを大雑把にまとめて脚色を加えた歌であった。
つづきは来週の火曜日に