322小麦を巡るエルシィの思惑
続きは来週の火曜に
話の時系列は少し戻り、エルシィがヤニック氏を送り出した後辺り。
執務室にていつも通りに様々な案件を裁いている合間に、侍女頭、兼秘書であるキャリナ女史が問う。
「エルシィ様、なぜ国費を使って小麦を買い求めるのですか?
国庫にも税で納められた小麦がたくさんありますよね」
エルシィはちょうど読み終えた報告書兼決裁書にサインを書き入れ国璽のレプリカでポンと印を押したところで手を止めて、キャリナの問いに向き合う。
「ふむ、キャリナから見てそんなにおかしかったですか?」
問いに問いで返すのはどうか、と言う人もいるが、何を問われているのか把握できないと答えも正しく出すことができない。
ゆえの問い返しだった。
「フルニエ商会の売り渋りで領内に小麦が出回らなくなる。
これによって民衆が困るでしょうから、国費で小麦を回収し、商会に変って民衆に売り与える、と言う事でよろしいですか?」
これについて、キャリナも表面的なところは理解している。
その理解について述べてみれば、エルシィはニコリとしながら手に持ったペンで宙にハナマルを描いた。
「よろしいです。ただ、一応その後の目論見もあるんですよね」
と、エルシィは続ける。
「やはり、ですか」
これはキャリナも予想していたことだったので頷きながら続きの言葉を待った。
エルシィは少し考えるようにペンの柄で自分のアゴをクイクイと押して、それから執務室にいるもう一人の人物に振り返る。
「ライネリオさんは解りますか?」
エルシィの家臣の中では知恵者として名を馳せるライネリオ。
彼もまた、キャリナと共にこの執務室においてエルシィを補佐する立場である。
その上、エルシィが留守にする場合は代理を務める立場でもある為、エルシィからすればキャリナ以上に自分の考える政策案を理解しておいて欲しい、と思っている。
そういう希望を込めた問いだった。
こちらも次から次に積み上がる様々な書類を脇において手を休めこれに答えた。
「もしや、と思うことはあります。
エルシィ様は穀物の管理を国で行おうとお考えなのではありませんか?」
「正解です。よくできました」
エルシィはまたもや宙にハナマルを描いた。
「現在は小麦などの主食になりうる穀物も、他の農作物と同じように商人がそれぞれの器量に合わせて扱っていますね?」
「ええ、そうですね?」
まだピンとこない風のキャリナの為に、ライネリオが言葉を続ける。
「すべての売買が健全な意志によって行われているなら問題は少ないのですが、今回のように大きな商会によってねじ曲がった意思が働くと途端に窮地に陥ります」
「だからエルシィ様が買い占めてそれを正すと。そういうことですよね?
それで、その先と言うのは……」
「まぁ、もう少し話を聞いてください」
逸るように身を乗り出すキャリナにライネリオは苦笑いをこぼす。
こぼし、ひと息ついてからまた話し出した。
「今回はフルニエ商会の暴走でしたが、他にも豊作不作によってさまざまな困難が発生することも、これまでの経験上ありうることです」
「不作はともかく、豊作も困るのですか?」
ここはキャリナも理解できないという顔をする。
農作物がたくさん採れるなら、それに越したことはないのではないか。
特に地の痩せたジズ公国出身であれば多くの人が考え及ばない所である。
「場合によっては」
だが、ライネリオは力強く頷いた。
そしてその言の根拠を示そうと一枚のクズ紙を持ってきてそこに「相場」と描き込み丸で囲む。
「小麦が少ないけど欲しい人が多いと買い争いが起きるので価格が上昇します。
逆に多いと何としても売りさばきたい商人の手によって価格が下降します。
ここまでは解りますか?」
「ええ」
紙には次々と図説されていくので、キャリナは真剣な目でそれを追う。
「この価格変動はあくまで市場視点なので買う方としては値が下がった方がうれしい。
ですが農家の視点になるとどうでしょう?」
「!」
ここに来て、キャリナが「なるほど」という閃いた顔をした。
どうやら理解が及んだようだ。
「つまり、どれだけ採れても農家の方の実入りは変わらない、とそう言うことですか」
「場合によっては少なくなってしまうということもあります」
「豊作なのに実入りが下がる。
そして農家の方が困れば、その後の作付けにも影響しそうですね。
……頭では理解できますが、なんとも不思議な話です」
解ったら解ったで、さらに眉を寄せるキャリナだった。
「そこでです!」
と共通理解が出来たところでエルシィが割って入る。
微笑まし気なライネリオと、話を聞き洩らさぬようにと真剣なキャリナの視線が集まる。
「つまりですね。
主に無くては困ってしまう穀物の売買を、国で一括管理することで価格の安定化を図りたいと思っているのです」
「なるほど……今まで考えもしませんでしたけど、逆に言えばなぜ誰もしなかったのか不思議です」
と、キャリナは深く頷いた。
全く認識していなかったが、言われてみれば商人だけに任せておくのは何とも危うい、そう思った。
「まぁゆくゆくは穀物会所を開いて先物相場に任せたいと思っているのですけどね。
まずは第一歩と言う事で」
先物取引と言うと、人によっては財産をことごとく引っぺがしていく悪い存在のような印象を持っている場合も多い。
が、そもそもは価格を安定させる保険的な役割を担うシステムでもあるのだ。
ただ、さすがにその辺りまでは二人も理解が及ばず首をかしげるのだった。
「とまぁそういう訳で。これを機にフルニエ商会さんをこれに引き込んでしまおうかなって思ってるのですよね、ふふふ」
「……エルシィ様、また悪い顔なさっておいでですよ」
「……えへ」