320頭の痛い副商会長
「……と言う話になっていたにゃ」
「あれまぁ」
フルニエ商会を探りに行っていたカエデから商会長副会長親子の会話顛末を聞き、エルシィは開いた口が塞がらないと言った風だった。
それは執務室で一緒に聞いていたキャリナやライネリオなど側近たちも同様で、皆呆れかえった顔をしつつ心配げにエルシィに視線を向ける。
それは「どうしますか?」と対策の指針を求める視線だ。
フルニエ商会の握る小麦が市場に出なくなる。
これは由々しき事態である。
場合によっては不作の年以上の混乱になる可能性も高い。
そんな方々から寄せられる視線を気に留めた風でもなく、エルシィは短い腕を胸の前で組み合わせため息をついた。
「ふむー、フルニエさんにも困ったものですねぇ」
とは言え、その様子にさほど困った様な色は見えなかった。
すでに何か腹案がおありのようだ。
と、いくつか後ろ暗い策を考えていたライネリオは、それらを実行しないで済みそうだと少しホッとした顔で頷き、そして己の主君の声を待つ。
エルシィは「よし」と今日のおやつを決めるような気軽な声で立ち上がると、いかにも勇ましく側近らに申し付ける。
「彼を呼んでください」
「……彼、とは?」
「先日、我らが陣に自分の有用性を売り込んできた彼ですよ」
「ああ、彼ですか。なるほど」
そのやり取りで察したライネリオは、大きく頷き颯爽と扉外に控えている申次の少年に言伝を頼んだ。
フルニエ商会長の息子にして副会長の地位に座る中年男は、数日前に会長より申し渡された仕儀をいかにしたものかと頭を抱えていた。
「実際、今季の小麦をセルテ領に回さなかったらどうなる?」
「民衆は困り、そして我が商会は在庫にあえぐことになりましょうな」
話し相手は長らくこの商会に勤めている番頭の一人であり、彼はフルニエの家で執事のような仕事も受け持っている。
当然、副会長とも長い付き合いであり、その問答はなめらかである。
「商会資金の方は?」
「まぁ多少傾くでしょうが潰れることはないでしょう。
ただし……」
「ただし?」
「信用はがた落ちでしょうから、来季から今まで通りの商売ができるとは思わない方が宜しいかと」
「……だよなぁ」
副会長は大きくため息をつきながら執務椅子に全身をゆだねる。
フルニエ商会は確かに大きい。
このセルテ領内においてその一挙手一投足を無視できる者は少ないだろう、というくらいには大きく影響力がある。
なぜなら領内の小麦のおよそ半分を握っているからだ。
だがあくまで「小麦を商うからこその信用であり権力」なので、それを自ら放棄するような今回の嫌がらせは、これから先も真っ当に商売していきたい商会からすれば致命的に頭が痛い。
「親父はもう、商売のこととかどうでもいいんだなぁ……」
そこへ来て、ふと気づいたようにつぶやく。
そう、あのようなことを平気でしようと言うのだから、もう父会長は商売、そして商会のことなどどうでもいいのだ。
我らがフルニエの旗下で働く何十と言う商会員の生活すら、どうでもいいのだ。
セルテに売らないなら他に売ればいい。
単純に言えばそうなるのだが、とは言え、そんな大きな取引先がすぐに現れるかと言えば常識的に考えてそんなことはあり得ない。
分散して捌く手もあるわけだが、侯爵陛下への嫌がらせであることを考えればハイラス領やジズ公国相手に商売するのも考える必要があるだろう。
出来ればこんなくだらない指示は無視したいなぁ。
と思うのだが、まだ商会長の椅子に居座られている以上は無視することもできない。
いや、クーデター起すか。
強制的に隠居していただいて、その後は今まで通りに商売するだけでいい。
その方がよっぽど手っ取り早い。
副会長がそう剣呑な案を検討し始めたところで、思考の海から呼び戻された。
呼んだのは同室で検討をしていた番頭の男だ。
「なんだ?」
「お客様がおいでのようです」
「客? 予定にはなかったが……どなただ? 急ぎか?」
「もしかすると救世主になるやもしれません」
「お前がそう言うなら間違いは無さそうだな。よし、すぐ会おう。して、どちら様だその救世主殿は」
「は、デーン男爵国外司府のヤニック殿です」
「おおヤニック殿。お久しぶりです」
「副会長殿もご壮健な様子……いや、何かおやつれになりましたか?」
「うむ、父、商会長がとんでもないこと言いだしましてな。
まぁそれは今は良い、今日はどのようなお話で?」
デーン男爵国外司府の対セルテ局の外交官。
その名が示す通りかの男爵国がセルテ侯国と付き合うために派遣する担当官である。
このヤニックと言う男はそれなりの期間、その部課にいて何度かこの領都にも訪れていた。
ゆえに大商会であるフルニエ商会とも多少なりとも付き合いがあり、副会長とも旧知である。
ヤニックは深刻そうに頷いて話始める。
「単刀直入に申しましょう。小麦を売ってほしいのです」
続きは来週の火曜日に