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032港の視察

 翌日出席する会合は水司のものだった。

 水司は漁業や水運業を管理指導する司府である。

 実は農林業も管轄だったりするが、ジズ公国は島国で海が身近なため、水場関連が主な仕事と言う認識をされている。

 また、あくまで「管理指導」が仕事なので、実際に彼らが船を運用したりするわけではない。

 漁をしたり水運仕事をするのは、あくまで民間団体や個人の船主なのだ。

「よくわかりませんが、結局のところ具体的に何をするのです?」

 合同庁舎へ向かいながら、エルシィは素直に質問をあげる。

 説明役はお馴染み、兄殿下から派遣されている侍従オーケだ。

「船籍の登録、漁業や水運業の許認可などです。あとは新しい漁のやり方を漁師と共に研究したりもします」

「なるほどなるほど」

 思った以上に現代的なお仕事をやっているようで、エルシィはいたく感心した。


 ただ、会合の方は想像以上に退屈だった。

 なぜかと言えば、許認可が主な仕事なので、工事関連の打ち合わせをする築司や訴訟を取り扱う文司の様な「変わった案件」が存在しないからだ。

 会合の内容と言えば、「あの船はそろそろ船検をしておけ」だの「財司から漁獲量の問い合わせが来ている」だの、水司内部署間での連絡事項を担当上長たちが連絡し合っているだけだった。

 ゆえに会合もすぐに終わる。

「これ、わたくしが出席する意味あるのですか?」

「出席することに意味があるのです。

 別に現場視察や役人の取り締まりは姫様の仕事ではありませんよ」

 つい、退屈さに対する八つ当たりを誰にするでもなくもらせば、逆にオーケから釘を刺された。

「……そう言えばそうでした」

 つまり、上の者が見ているぞ、という姿勢が大事だということなのだろう。

 そして何かがあった時の責任を取るのが上の者の役目なのだ。

「でもそれなら、やはり何をやってるのかはきっちり把握しておかないと。

 責任は出席したわたくしなのでしょう?」

「まぁ、確かにそうですが……」

 エルシィの言葉もまた正論だった。

 なのでオーケも言葉に詰まり、困ったように眉を寄せた。

 ただ、正論ばかりでは堅苦しくなり仕事の能率も悪くなる。

 エルシィもそれは重々わかっていたので、口答えするのはここまでにしておいた。

 所詮は退屈に対する愚痴なのだ。

 ともかく、と気を取り直してエルシィは庁舎を出た所で立ち止まった。

「では、今日の視察は港へ行きましょう」

「もう、なにが『では』なのですか」

「せっかく、水司のお仕事でしたから」

 理由になってもいないような話を聞き、これまでの付き合いですっかりエルシィの動向に慣れたキャリナは、溜息を吐きながらも申次を捉まえて馬車の準備などを言い渡した。

 どうせどこかに「視察」へ出かけることは、言わなかっただけで予定調和なのだ。

 また、当然、護衛についているフレヤも慣れたもので、別の申次を捉まえてヘイナルへ伝令を飛ばす。

「水司の者に案内するよう手配しますので、私はこれで」

 と、小忙しく動く側仕えたちを他所に、オーケはそう言って、また庁舎へと戻っていった。

 オーケはカスペル殿下から仕事のサポートの為に派遣された側仕えなので、振られた仕事には同席するが、すでにエルシィの趣味ともいえる視察に同行する義務はない。

 しばらく前からそのことにようやく気付いたらしく、それからは同行者から外れるようになっていた。

 彼には彼の仕事があるのだろう。

 まぁ、エルシィに付ききりのキャリナや武官である近衛士たちよりも、官僚の仕事事情に詳しいため重宝していたが、確かに同行の義務はないのでエルシィも頷いて「今日もご苦労でした」とオーケの背を見送った。


 待つことしばし。

 エルシィの為に設えられた御用馬車と、フレヤと自分の馬を引くヘイナルがやって来たので一行は出発した。

 また、オーケが手配した水司の役人も一人随行することになった。

 二〇代後半くらいの人当りのよさそうな男だ。

 彼もまた、内司府共同で使用されている乗馬に跨ってついてくる。

 馬車に乗り込むのはいつも通り、エルシィ姫と侍女キャリナだ。

「港へはお母さまを見送りに行って以来ですね」

「そうですね。……ヨルディス陛下、早く帰っていらっしゃらないかしら」

 楽しみという感情を隠さず出すエルシィに、少し疲れた顔のキャリナが頷きながらそう呟いた。

 丈二がエルシィに降りるまでは、病弱な姫に付き添うのが仕事だったというのに。

 新しいエルシィに不満があるわけではないが、それでも急な変化が彼女の疲労となっているのは確かだった。

 薄々判っているので、エルシィもそれについては藪蛇にならないよう何も言わず、「そうですね」とあやふやな返答とともに頷いた。

 ヨルディス陛下の海外出張で延び延びになっているが、そろそろ本気で休みを取って、皆でお山の温泉に行かなくては、と心に誓うエルシィだった。


 城から港までは大きな道路が一直線に整備されている為、朝市などの時間を外せば他の現場に行くよりよほど早く着く。

 今日も特に混雑に巻き込まれることなくたどり着いた。

 潮の香が漂う中、キャリナに手を取られて港へ降り立ったエルシィに、水司のお役人は早速と跪く。

「姫様がお望みなのは何でございましょう」

 このお役人、ちょうど手が空いていたためオーケから「姫様の案内を宜しく」とお役目を振られたはいいが、そもそもその姫様が何を求めているのか知らなかったのだ。

 ただそれは側仕えたちも同様だったので、関係者すべての視線がエルシィへ集中した。

 エルシィは返答せず、しばし港に停泊する船を見回す。

 大陸と行き交う貨物船らしい三本マストの船が一艘、それ以外は近海沿岸で漁をすると思われる一本マストの半手漕ぎ帆船が十数隻停泊していた。

 沖を見れば、たった今漁に出ている漁船も数隻見えた。

 そんな情景を見て満足そうに頷いたエルシィは、お役人に向けて言葉をかけた。

「わたくし、漁船に乗ってみたいのです」

 これには役人だけでなくヘイナルやキャリナも唖然として目を見開く。

 ただフレヤだけは「あらあら」と楽し気にコロコロ笑っていた。


 たっぷり数十秒のフリーズを経て、お役人は人当りの良い顔を困惑に歪ませてゆっくりと上げた。

「今、なんと?」

 聞いた言葉が信じられず、思わず問い返した自分にハッとして、すぐ「失礼いたしました」と畏まる。

 が、そんなことを気にするエルシィではないので、眉を寄せたキャリナに構わず再度、自分の希望を正直に述べた。

「わたくし、漁船に乗ってみたいのです」

「漁船に、ですか……」

 かつて、漁船に自ら乗り込んだ貴顕がこの世界にいただろうか。

 旧レビア王国の建国前後なら、その混乱の中で何らかの理由から漁船に乗らねばならないこともあったかもしれない。

 が、少なくとも彼が知る歴史の中では、また少なくともジズ公国の国主一族である大公家の者が「漁船に乗りたい」などと口にしたのは初めてと思われた。

 これは自分が試されているのだろうか。

 などと、ついお役人は頓珍漢な思いに襲われた。

 水司に勤める者として、彼は勤勉であり、そして忠誠に厚いつもりでいる。

 では忠誠とは何であるか。

 ここは諫めるべきか、それともご希望をかなえて差し上げるべきなのか。

 そんな考えに嵌り、彼はまたフリーズした。

 もっとも、主を諫めるのは本来側仕えの役割なので、彼が思い悩む必要はない。

 キャリナが諫めない時点で、彼の役目は姫様の為に漁船を手配することなのだ。

 そのキャリナがなぜ諫めなかったか、と言えば、それはキャリナも絶句していたからなのだが。

 ともかく、キャリナより一瞬先に再起動を果たしたお役人は、急ぎ港にいる船主に声を掛け、なんとかエルシィの乗船を承諾してくれる漁船を手配した。

 エルシィは大喜びで船主に駆け寄る。

「希望を受け入れていただき、ありがたく存じます。ささ、早速乗せてくださいまし」

 ワクワク顔でやって来た品の良い服を身に着けた女の子を見て、未だ困惑から抜け出せない無精髭の中年船主は、キョロキョロと周りの大人に助けを求める。

 だが側仕えたちもお役人も、誰もが諦めた顔で首を振った。

「本当にお姫さんかい? 本気で乗るつもり、ですか」

 困惑から回復すれば次は呆れがやって来た。

 まぁ、本人たちが良いと言っているのだから、と船主は諦めて溜息を吐く。

「ただ小さい船だから全員は無理だ。お姫さんと、おつきの人は一人だけにしてくれ、ませんかね?」

 慣れない丁寧語を何とか駆使しつつ、船主はそんな条件を放つ。

 エルシィはにぱっと笑顔で頷いて、自分の側仕えたちに振り返った。

「キャリナはお疲れのようですし護衛も必要でしょうから、ここはヘイナルに同乗していただきましょう」

 そう聞き、ヘイナルはすぐさま「はっ」と敬礼を上げ、キャリナは複雑な表情のまま無言で頷いた。

 野放しなのは、それはそれで気苦労なのだけど。

 と、キャリナはそっと溜息を吐いた。

「エルシィ様、海上視察もやはり……」

「当然ですとも。我が公国が島国である以上、海を知るのは必要不可欠なのです」

 船へ向かいながらヘイナルから問われ、エルシィは得意げにコブシを握って答えた。

 ただその口元はだらしなく緩んでいた。

 求めるのは美味しい海の幸であることを、物語るかのように。

明日で10万字超えますので、それ以降は週二回程度の更新速度にしたいと思います

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