317エルシィの内心
さて、余裕をぶっかまして営業スマイルを浮かべているエルシィの心情を、少しだけ覗いてみよう。
この時、エルシィはこう思った。
びっくりした。と。
エルシィの中には二〇年近く商社に勤めた男の記憶がある。
上島丈二。
彼は主に食品を取り扱う商社にて、新たな商材を求め海外に赴き、そして新たな流行を見つけることを任務とする部署にいた。
そんな経験の中には、年老いた化け物のような商人と交渉することもあった。
その時、彼が抱いた感想はと言えば、「一〇〇年たってもこの人には敵わない」であった。
それくらい、老獪な商人というモノはしたたかで狡猾で厄介なのだ。
実はこの度、セルテ侯国のトップ集団である三商会から謁見のオファーを貰った時、過去の化け物たちを思い出し、少し身震いしたのである。
気を引き締めて当たらねば、国庫を食い荒らされかねない。と。
そうして気合を入れて臨んだ会談であったが、ジャブのつもりで放った軽い言葉で、一人の年配商人が激怒して立ち上がったのだ。
さすがに商人にしては短気過ぎない?
って言うかあの短気さでよく大商会を切り盛りできるね?
いや、人間歳を取ると前頭葉の機能が低下して、感情が抑えられなくなると聞いたことがある。
あの怒りだしたフルニエさんもそこそこお歳を召してたし、そういうアレだろうか。
まぁ「話にならない」というなら仕方ないですね。
エルシィはそうため息交じりにヘイナルへ指示し、部屋の外に控えていた警士たちを呼んだ。
結局、フルニエ氏は引き摺られてエルシィの視界から消えるまで、顔を赤くしたり蒼くしたりで悪態をついており、その態度が変わることはなかった。
まぁいくら大商会でもアレがトップでは取引するのも怖いよね。
ただ、やはりふと気になった。
本当にあの態度は老化だけが原因なのか。
エルシィはすぐに控えているはずのねこ耳メイドカエデを呼ぶ。
部屋では誰からも気にされない位置で気配を断っているため、彼女が動き出した瞬間に残った商人たちがギョッとしていたのがちょっと面白かった。
「エルシィ様、どうしたにゃ?」
「さっきの商人さん……いえ、フルニエ商会を少し探るよう、忍衆に伝えてください。
商会内の構造とか派閥とか、あとフルニエさん自身の評判とか」
「承知にゃ」
カエデはこくりと頷いてすぐに会議室から出て行った。
おそらく扉の向こうには警士同様に忍衆の誰かが控えているのだろう。
ともかくこれでフルニエ商会に対する興味も満たせるだろう。
そう考えてエルシィは満足げに頷いて視線を会議室へと戻すのだった。
「シレリさん、アレなんですかね?」
「知らんのか。草原の妖精族と言うやつだ」
「いや、草原の妖精族は知ってますよ。そうじゃなくて……」
「ああ……すばしっこく足跡を消すのにも長けたあの連中は、密偵の技に長けていると聞いたことがある。
フルニエ商会に何か仕掛けるのかもしれん」
小声でシレリとやり取りしたチェレットは、そう聞いて身震いした。
いや「何か仕掛ける」と言うのはあくまでシレリの予想であり、ともすれば妄想の類だが、それでも人はよく解らないモノを恐れる。
この時のチェレットも自分に降りかかるかもしれない理不尽な暴力を想像してしまったのだ。
すなわち、寝室に忍び寄り自分の首を掻切る、闇に紛れたねこ耳黒装束の姿を。
もちろん我らがエルシィにそんな気は全く無いのだが、ほぼ噂でしかエルシィを知らないチェレットやシレリは「ありうる」などと固唾をのんだ。
「さて、少々騒がしくなりましたがお話を続けましょう?」
しばし、互いにハーブティーなどで喉を潤しつつ心を落ち着けていると、首座にいる侯爵陛下がそう宣った。
商人たちはカップを置いてピッと背筋を伸ばす。
「先にも言いました通り街道の優先通行権やそれに準ずる権利をお譲りするつもりはありません。
ただし、充分にペイできると思われる『代わり』を用意しております」
そう言って指示された護衛の少年が彼女の背後の壁に貼りだしたもの。それはこれから拡張整備する予定の、街道網を描いた地図だった。
そしてよく見れば、お互い繋がっている街道が地域ごとなのか何かの基準によって線を引かれブロック分けしてある。
「陛下。……これは?」
貴顕に対する礼儀や畏れより興味が勝ったのであろう。
シレリ商会長が身を乗り出す様にしてその地図にくぎ付けになりながらそう問いを発した。
共に座っているチェレット商会長も同様に、こっちは無言のまま食い入っている。
「皆様商人の方々には、整備された街道沿いでの商業権を貸与したいと思います。
とは言え出資した方に対し無制限にどこでも、などと言うと商家同士でも争いも起きましょう。
そこで、皆さまの貢献度に応じてふさわしい区域をお任せしようと、この地図はそういうブロック分けです」
つまり任されたブロックにおいてはどの商会も排除して独占的に商売する権利が与えられると言う事である。
これは通行権に匹敵する商機ではないか。
二人の商人はほくそ笑んだ。
地図はダマナン家の方が一晩でやってくれました
続きは金曜日に