313待たされる商人と近衛事情
どうしてこの二人がここに。
チェレット商会長は一瞬そう考えたが、同様の大商会がここにいる理由などはすぐに思い至る。
至るゆえに彼は歯噛みした。
つまり、彼らもまた新侯爵陛下が旗振りをする街道整備事業に食い込もうとしているのだろう。
「遅かったですねチェレットさん。おかげでたいそう待たされましたよ」
と、涼しい顔でそういうのはフルニエ商会の会長だ。
フルニエ商会は国内における小麦商の大店。いわゆる小麦メジャーと言うやつである。
「フルニエさん、そう責めるものではない。
チェレットさんも気に病むことはありませんよ。待ったと言ってもほんの数日の差です」
そう、とりなす様に言うのはもう一人の商会長、シレリだ。
シレリ商会は薪や木炭と言った、人が生活するのに必要不可欠なエネルギー関連を扱う大手商会である。
その歴史は馬車産業から転身したチェレット商会より長い。
実際、数日とは言っているがせいぜい一日か半日の差だっただろう。
歴史で言えば両商会に負けるが、それでもトップ集団の自覚はある。
彼もまた配下に色々と街の情報には気を配らせているのだ。
とは言え、その一日半日が勝負の分目になることもあるのが商売である。
これは厳しい争いになるか?
チェレットはそう考えつつ、より一層気を引き締めるのだった。
さて、ピリピリとした空気の会議室とは裏腹に、側近衆に囲まれたエルシィは侯爵執務室でほんわかとした空気に包まれていた。
その若干八歳の侯爵陛下は、彼女を包むように集まった子犬と山の妖精族の子であるレオを存分にわしゃわしゃしている最中である。
「商人たちが待ってるようだが、行かなくていいのか?」
呆れたような困惑したような表情で神孫アベルが言うが、エルシィはニコニコ顔を崩さずに首を振った。
彼女の代弁でもするかのように侍女頭のキャリナが口を開く。
「こういう時は少しくらい待たせるものですよ。
彼らには彼らの交流もありますでしょうし」
「そういう……モノか」
その答えを聞いてアベルは「ふむ」と考え込む。
確かに集まった商人は三人。
それぞれ別の商会の代表というが、どうやら旧知でもあるらしい。
であるならエルシィと会合を持つ前にあいさつなどもあるのかもな。
と、そう落ち着いた。
まぁキャリナのいう言葉はそのままの意味ではない。
貴顕とはその権威を示すためにこうした時間の使い方もするものなのである。
簡単に言うならば「ただ謁見するにしても多少もったいぶることでその価値を高める」と、そう言った話であった。
ところがエルシィの思惑はどっちでも無い。
「ヘイナルを呼んでいますので待ってるだけです」
「……さようか」
アベルは少々拍子抜けた顔だった。
しばらくして件のヘイナルがやって来た。
現在、ハイラス領での仕事に引き続き、エルシィの為の近衛府を編成する仕事に従事している。
とは言え。
「どうですか、近衛府のお仕事は」
「大領主であるエルシィ様の身辺を守るにふさわしいものにするのは……少々難しいかもしれません」
主君からの問いに眉をひそめて首を振るヘイナルであった。
「そもそもエルシィ様はジズ公国の公女殿下ですから、ジズ公国であれば問題なかったでしょう。
ただそれがハイラス伯爵領、セルテ侯爵領、ついでに言えばアントール子爵領の主でもあるのです。
ここまで大領となれば近衛も数人では格好がつきません」
まぁそうなるよね。
とエルシィは割とあっけらかんとした顔で頷く。
ジズ公国主であるジズ大公ヨルディス陛下の近衛、直衛士は六人いた。
その息子にして嗣子であるカスペルには四人。
そして当時のエルシィにはヘイナルとフレヤの二人がいた。
これはジズ公国が小国であったから、近衛府が小規模であったからこその人数である。
対して現在のエルシィは、建前こそはジズ大公の下にて幕府を開いている態ではあるが実情三つの貴族領を差配する大領主である。
こうなればとてもじゃないがヨルディス陛下と同数でさえも足りないのだ。
と言ってもないものはない。
近衛士に求められるのは護衛に必要な武力と、護衛対象に向ける高い理解と忠誠心である。
特に忠誠心と、そして理解。
この面において、ちょっと前まで他領であったハイラスやセルテではなかなか基準を満たす者がいないのは仕方ない。
「しょうがないのでもう妥協しましょう」
「妥協、とは?」
エルシィが肩をすくめながらそんなことを言い、ヘイナルが首を傾げる。
アベルあたりは「またぞろ変なこと言うんだろ」と言う顔で黙ってことを見守る。
「もうわたくしの近衛はヘイナルとフレヤ、アベル。そしてカエデがいればいいです。
あと現状ヘイナルが及第点と思っている人材は、国賓などの警護に当たってもらうことにしましょう」
国賓の警護。これも近衛府の重要な仕事である。
とは言え、実際には多くても領主一族の護衛と同数程度しかいないモノだ。
それをエルシィは逆転してしまおう。と言っているのである。
ヘイナルは「現状それもやむなし」と納得してしまっているために明確な反論もできずに頭を抱えた。
抱えつつ、せめてもの反論としてか細く声をひねり出す。
「そのフレヤには他の仕事を任せて側にいないではないですか」
そう、ここ最近、フレヤには近衛以外の仕事をお願いして外に出しているのである。
毎日報告にはやって来るが、それでも直衛の仕事をしているとは全く言えない。
「まぁ、その話はまた後で詳しく。
とりあえず、今は謁見の方を片付けるとしましょう」
と、言って、エルシィはこの場を切り替えるためにソファーから立ち上がった。
その彼女を「もっと撫でれ」と不満そうに見つめる子犬たちであった。
次回は金曜日に