031フレヤの独白
初めから好感度マックス、近衛士フレアのお話
事件から一〇日ほど経ったころ、最近良い気分だった私の耳にまた不愉快な話が入って来ました。
「コズールが逃亡したそうだ」
その知らせを持って来たのは同僚のヘイナルでしたが、つい不愉快過ぎて彼を睨みつけてしまいました。
いけないいけない。
別にコズールがああいう奴なのはヘイナルのせいではないのに。
ちょっと引いていたヘイナルに情報のお礼を言ってから笑いかけ、それから近衛寮の裏手へと回る。
ここには自主訓練用の丸太案山子があるので、ちょっとイラっとした時に重宝します。
コズールは例の事件の当事者で、警士班長だった男です。
そして私がお世話になった孤児院の出身者でもあります。
孤児院出身で類が及ぶ血族がいないから、逃亡などという真似が出来たのでしょう
まったく、孤児院の面汚しですね。
なぜ大恩ある孤児院や大公家の方々に唾を吐くようなまねができるのか。
私には全く理解できません。
惨めにも街道や川石の染みになるしかない運命だった養い親のいない子供を、愛と多大なる資金をもって養ってくれたのは孤児院であり、その孤児院を運営しているのは大公陛下なのです。
私たち孤児出身者の命は大公家の為にあり、大恩を返すために他所事を考える暇など無いはずなのです。
私たちが今ここに人間でいられるのは、大公陛下のおかげなのですから。
私が孤児になったのはちょうど今の姫様と同じ齢の頃でした。
父は文司の役人で、それなりに有能だったらしく出世頭と呼ばれていたそうです。
そんな父がある時、二つの村の水利権を取り扱う訴訟の担当者になりました。。
私の様な街育ちからすれば、川の水なんてお互い仲良く使えばいいのにと思うのだけど、そう言うことではないらしい。
農作物を育てにくいジズリオ島の農村では、水の有利不利は大げさでなく死活問題となるのだそうです。
それゆえ、片方の村は訴訟でよしなにしてもらおうと、訴訟の担当者に利益供与を行いました。
ただ、ジズ公国は権威こそ高いけど豊かな国ではありません。
そんな国の寒村となればたかが知れたもの。
利益供与、などと大げさなことを言っても、具体的にできたことなど、担当者である父に村娘を妾として捧げることくらいでした。
そして、生来よりそういう質だったのか、それとも魔がさしたのか、父はその利益を受けました。
受けてしまったのです。
だけど、訴訟は担当者だけで勝手に勝敗を決められるわけではありません。
担当者はあくまで情報の管理者であって、勝敗は様々な訴訟担当数人による会議の結果で決まるのです。
それでも父は、自分におもねった村の為にいくつかの工作をしたようです。
ですが、やはりそれは違和感として残り、しばらくしてから父の不正が詳らかにされてしまいました。
妾を受け入れた父に失望した母は私を残して姿を消し、父は自らが所属する文司より判決を言い渡される形で罰を受けることになりました。
役人が職務上で不正を行った場合、その受けた利益の金額によって罰は決まるそうです。
しかし、父は本来ならその罰を決めるべき側の役人です。
そうした役人の場合はさらに罪が重くなるそうで、父は終身刑を言い渡されました。
今でも父は刑に服し生きているはずですが、もう一生顔を合わせることは無いでしょう。
こうして私は孤児となったのです。
まだ八歳で父の罪も解らなかった私は、それでも何とか必死に生きました。
子供でも盗みが悪いとは知っていたので、小さなゴミを拾うような手伝いを見つけてはその日のパンを賄う、そんな生活です。
ですが犯罪者の子供という存在に対し、市井の人々の目はとても厳しかった。
私のことを知らない人は「可愛そうに」と仕事とパンを与えてくれましたが、父の罪が知れるとすぐ叩き出されました。
それもこれも、父が悪いのです。
父のやったことはそれほどの悪で、許されざる行為だったのです。
そうして街の片隅で冷たくなるのを待つだけだった私は、大公陛下の運営する孤児院に引き取られました。
それからは嘘のような幸せな生活が始まりました。
毎日パンと温かいスープが与えられ、ちゃんと部屋の中で布団を使って寝ることが出来る。
街に住む多くの人はこれがどれだけ素晴らしいことか解っていないようですが、食事と安全な寝床、これだけでも人間は圧倒的に死から遠ざかるのです。
それから孤児院に入った子供たちには、簡単な手仕事を教えられ、希望があればもっと高度な教育も受けることが出来ました。
ある日、孤児院にヨルディス陛下が御成りになられ、私たち一人一人にお声をいただく幸運を得られました。
私はたどたどしい言葉で思いつく限りの感謝を述べ、そして「どうしたら恩に報いることが出来るのか」そう訊ねました。
答えて、大公陛下は優しく微笑み静かに言いました。
「ここでの生活を恩と感じるのなら、貴女は私の娘に尽くして頂戴。まだ赤ちゃんだけど、きっと可愛く育つはずだから」
私はあまり頭が良くなかったけど、たまに来る騎士の方に「筋が良い」とよく褒められたから、私は武で姫様の役に立とう。
その後、そう心に決めました。
姫様を害するあらゆるものから守る大岩になろう。
姫様の行く手を塞ぐあらゆるものを穿つツルハシになろう。
数年後、念願かなってエルシィ様の近衛士になりました。
ですが姫様は病弱で、いつも苦しそうに寝てばかり。
私はいつも、扉の前で警護をしながら祈るだけしかできなかった。
そしてエルシィ様が八歳に成られた春。
奇跡と共に健康になられたエルシィ様が私の前にいらっしゃる。
やっと、恩を返す機会を与えられた。
この命は大公家の、エルシィ様の為にあるのだ。