307路司
「マケーレさん。あなたには将軍府において新たな部署となる『路司』の長となっていただきます」
「くるま……の……?」
エルシィの言葉に、一堂が首を傾げる。
ここで特に表情を変えなかったのは、側近として事前協議に加わっていたキャリナと、あまり興味を持っていないアベルくらいのものだ。
「姫様。その、くるま? 司はなにをする司府なのですかな?」
ここにいながらも将軍府とは所属が関係ない老騎士ホーテンは軽い調子で訊ねる。
府に属する他の者たちがまず考えるところから始めているのに比べると、いかにも気楽な立場だからこその質問だろう。
「路司はその名前の通り街道整備をしていただく司府になります」
「エルシィ様。道路普請ということであれば、今まで築司と警士府が合同で行っていおりますが?」
回答が示されればすぐさま将軍から正将となったばかりのデニスが眉根を困惑に寄せて訊ねた。
彼の言う通り、これまで街道や街中の道路についてその整備・計画を行うのが築司の仕事であり、その実作業としては警士府の普請番の者たちが監督し工夫を雇って行われていた。
そこへ新たに将軍府から道路普請の司府を出そうというのだから疑問も出る。
改革して行政府の整理を行いたいというエルシィの思惑とは外れるように思えるからだ。
もっとも武官の中でも文官寄りの思考もできるデニスだからこそ出た疑問ではある。
同じ正将でも「力こそパワー」という風体のサイードからなどは、この質問をしたデニスを感心気に見ているくらいである。
ちなみにこれは副将のシモンも同様である。
「それにつきましては仕事の範囲を分けます。
これまで建築普請の全体を担当していた築司は領都や他市府内の普請に限った部署とします」
もともと築司ではオーバーワーク気味であり、街道までの整備はなかなか手が回らなかったのだ。
なのでこの変更に対する実質的な影響は少ないだろう。とエルシィは考えていた。
「すると路司は街と街を繋ぐ道路の普請が担当、ということですか。
なるほど。将軍府にふさわしい仕事かと存じます」
ピンときて、改めて将軍府長に任じられたスプレンド卿が大きく頷き手を打った。
ところが、当の路司長として打診されているマケーレはいまいち不満げである。
その顔を見咎められ、オブザーバー参加のホーテン卿からゲンコツをくらう。
「いってぇ! このジ……何だってんだよ」
ジジィ、と言いかけてついさっきホーテンに都外でボコされたことを思い出し勢いが萎むマケーレだ。
ホーテン卿は大きくため息をつき、呆れた顔で彼を見下ろす。
「たわけが。お主は首を刎ねられても文句を言える立場では無かろう。
それを降格だけで許されるのだから感謝こそすれ不満をいだくなどあっていいモノではない」
「む……いやそうだろうけど。俺は武将だぞ? その、いわば武の頂点の一人である将が工夫の真似事だなんて」
この言葉でまたホーテンのゲンコツを浴びる。
二人のやり取りをにこやかに見ていたエルシィは、マケーレの頭の痛みが引くのを待ってから口を開く。
「武官だからこそ、軍事に明るい方であるからこそお願いするのですけどね。
まぁ嫌というなら他の方にお願いするまでです。
マケーレさん、ご苦労様でした。退出していただいて結構ですよ。
今回の沙汰についてはまた後日通達しますので」
エルシィの意を受けて部屋の警備に当たっていた警士数人がすぐに入って来たかと思うとマケーレの両腕を掴んで連れ出そうとした。
マケーレは途端に青くなって叫びをあげる。
「ちょ、まて……待ってください!」
待てよ、と言いかけたところでまたホーテンの拳が見えたので急いで言い直す。
まぁ、これもまたにこやかな笑みで眺めていたエルシィは、その表情を崩さぬまま片手をあげて警士たちを下がらせる。
ホッとして再び席に付きなおすマケーレを見て、各武将たちは「こいつどうしようもないな」という顔で大きくため息をついた。
誰がこいつに教えてやるんだ?
という顔を見合わせていた武将たちだったが、仕方なしにという態でスプレンド卿が口を開いた。
「マケーレ将軍……いや今は無位無官だからあえてマケーレと呼ぼう」
「いいかい? 道路普請と言うのは軍事に密接な関係がある仕事だよ。
だからこそ、これまでも警士が監督を行っていたんだ」
「え、アイツら平時にはあまり仕事が無いからじゃなかったのか!?」
またホーテンからゲンコツをくらうマケーレだった。
頭の上には大きなタンコブが三段重ねである。
「逆に訪ねるけど、街から街、国境、そしてその向こうにある他国。
これらを繋ぐ道がどうして集団で通る軍兵に関係ないと思えるんだい?」
「……なるほど、確かに」
やっと納得したらしく、その表情にやる気が出始めた。
これはマケーレが無能というより、おそらく彼の受けて来た教育のせいなのかもしれない。
彼はそれなりの名家出身ではあるが、戦争がない時代が続いたせいもあり認識に偏りがあるようだった。
「という訳で、これを見てください」
話がまとまったと見て、エルシィは会議机の真ん中に大きな紙を広げた。
それはセルテ領全土を示す地図であった。
地図には領内にある都市町村が載っており、それらを繋ぐ線が引かれている。
覗き込んだ者たちは、その線こそが道であると理解する。
理解しつつもサイード正将が「ふむ」と首を傾げる。
「侯爵陛下。こうしてみるとすでに道は充分あるようでござるな?」
そう、地図で見る限り、すでに各都市町村を結ぶ道は蜘蛛の巣を張り巡らせるかの如く存在するのだ。
だが、それは地図だけでの理解でしかない。
「道はあります。ですがあるだけとも言えます。
これらの道の多くは『人が通ることができる』だけのレベルなのです」
言われて理解する。
領と周辺や大きな市府を結ぶ主要道路は確かに立派なところが多い。
だが、町村を結ぶような街道となれば、場所によっては獣道と見紛うようなところすらあるのだ。
「マケーレさんにはこの道を広げ、均し、最低でも小荷駄の馬車が問題なく通れるだけの道路にしてもらいます」
「はぁ……はぁ!?」
マケーレは理解し驚きに声を上げる。
あげてからまたゲンコツを警戒するが、ホーテン卿すらも驚いていたのでこの警戒は無駄に終わった。
そもかく、言うは簡単だがその仕事は途方もなく大変だと想像に難くない。
「このお仕事は歴史に残る大業となるでしょう。
成功すればマケーレさんの名前はきっと語り継がれることになると思いますよ?」
この言い様はマケーレの琴線を激しく弾いた。
彼の顔は途端に輝き、ガバと勢いづいて立ち上がった。
「やる、やります! やらせてください陛下!
このマケーレ、必ずや陛下のご期待に応え、やり遂げて見せますとも!」
こうしてマケーレ元将軍は、エルシィからの辞令を満面の笑みで受け取り、路司初代司長に就任した。
その陰で、エルシィもまたニンマリとしながら呟く。
「流通の基本はやはり道路ですからね。これが整わなければ経済発展もあり得ません」
続きは来週の火曜に