030うわさの姫様
事件から一〇日ほど経った。
結局あの当事者二人は文司経由で『降格と半年の蟄居』という、少額横領としては妥当な判決を言い渡された。
大公家侮辱罪についてはエルシィの意向もあり、担当役人の懇願を受け入れる形で此度は不問、と言うことになった。
なんでか大公家への忠誠心が初めからMAX状態らしいフレヤ辺りは、かなり不満がおありのようだったが、そこはまぁ「エルシィ様の仰せのままに」で何とか抑えてもらった次第である。
というか、ちょっとした横領をちょちょいと処理するつもりだったのに、何だか絶対君主の恐ろしさの片鱗を味わった気分で、エルシィも深く反省した。
絶対的な権力を持つ者はうかつにあちこち口を出してはいけない。
それが今回のことでエルシィが得た教訓である。
そんな反省を心に抱き、あれからも、そして今日も兄殿下から割り振られた会合へ参加したり、関係司府の現場視察と称しては街に出ている。
「口出しするのをやめたのではないのですか?」
と言うキャリナの呆れ声には、いつもこう答えるエルシィだ。
「顔は出しているけど、別に口は出していないのでセーフ」
まったく反省の色が見えないのは気のせいだろうか。
「それはともかく」
「『ともかく』ではありません。少しはお控えください」
「……それはともかく」
今日も今日とて会合の帰りの馬車の中、いつものようにデコボコ主従が話をする。
「何か最近、お役人さんに恐れられているような気がするのですが」
「気がする、ではなくて恐れられているのですよ」
ソロリソロリと「まさかな」などと思ったことを訊ねてみれば、またもや呆れ顔のキャリナはバッサリとそう断言した。
「なして! こんなに可愛い幼女なのに!」
小さな悲鳴をあげれば、馬車に随伴していたフレヤがニコニコと寄ってきて窓から顔を出した。
「大公家の姫君であり、可愛くも賢いエルシィ様を畏れ敬うのは当然のことです」
なにかあの事件からさらに好感度が上がったような気がするのでちょっと怖いフレヤである。
エルシィは「そ、そう?」と身を引きながら引きつった笑顔を浮かべるしかできなかった。
「まぁ、ご存じでしょうがエルシィ様は最近『烈火の高潔姫』と呼ばれておりますから、少しでも自信がなかったり疚しいことがある者は気後れするのでしょう」
「ちょっと待って。何それ知らない」
「姫様、言葉遣い」
「あ、ハイ」
ともかく、知らないうちに何か気性が激しそうな渾名がつけられていたらしい。
どうしてこうなった。
「どうしてこうなった?」
思ったことをそのまま声にしてみた。
するとやはりキャリナも今度は少し頭の痛そうなそぶりで首を振った。
「例の一件が方々に伝わっているのですよ。それも尾ひれがついて」
「……どの様に?」
怖いもの見たさでゴクリと固唾を飲みつつ訊いてみる。
するとキャリナも神妙な顔で伝え聞いた話を語りだした。
曰く「とても小さな手掛かりから役人の不正に気付いて白日にさらした」
曰く「逆上して襲い掛かった罪人を鎧袖一触ではじき返した」
曰く「不正役人の首を次々跳ねてまわっている」
などなど。
「いやいや」
「噂ですから」
「いやいやいやいや」
尾ひれがついたどころか、もうすでに尾ひれが本体かと言う勢いである。
まぁ確かに不正を行う役人を懲らしめるとか、庶民が好きそうなお話である。
そういや高貴な落とし胤のお侍が身分を隠して悪代官をバッサバッサと切るドラマとか、じっちゃも好きでよく見てたっけ。
こうなるとこの国でもそのうち「領内をお忍びで旅する世直し姫」などという虚構な都市伝説が生まれそうで怖い。
「もうそんな劇を上演していいかと市井の劇団から問い合わせが来ておりますが」
「不許可ですからね」
「そうですか、残念です」
最後にニッコリとそう締めるものだから、どこまでが冗談なのか判断付きかねた。
付きかねたので、エルシィは「全部冗談だった」ということにしておいた。
うん、面倒ごとはフタしてポイするに限る。
ちょっとザワつく心境になったので馬車から外を眺めてみる。
流れていく街の景色のなかで、こちらに気づいたらしい幾人もの子供たちが一生懸命手を振っていた。
「なごむー」
エルシィはホッと目じりを下げて手を振り返した。
「というかですね」
「はい?」
すこし平穏な心に戻ったところで第二ラウンド開始である。
「なぜ例の事件の話が巷に流布しているのです?」
これは是非にも突き止めておかねばならない案件であった。
そもそもテレビニュースや新聞などというメディアが無い世間なので、役人が司府内で完結するような不正を行って裁かれても、普通は巷の知ったことではない筈なのだ。
それがなぜ表沙汰になっており、あまつさえ『姫殿下が裁きを下した』などという話になっているのか。
「ああ、それはですね、フレヤが最初の発信元みたいですよ」
「え、フレヤが? 触れまやっているの? ぷぷぷ」
つい思いついて駄洒落を喋り、自分で笑っていては世話がない。
もちろん、その駄洒落は日本語で、キャリナには自動通訳されているだけであるから、そのニュアンスは通じていない。
ただ不思議な顔をされただけだった。
「ひふー。それで、なぜフレヤが? あの娘は寮住まいでしょう?」
ひと時笑い、それが収まったところでまた疑問だ。
独身の近衛士たちは、基本的には城内の寮で暮らしている。
城外の者と世間話するような機会があるとは思えなかった。
「休みの時に孤児院で子供たちに話しているみたいですよ。あの娘、孤児院出なので実家みたいなものですし」
孤児院出身と言うことで一度驚き、彼女に休みがあることに二度驚いた。
ともかく、触れやすいところから聞いてみる。
「フレヤにもお休みがありましたか。ヘイナルも?」
なぜそんなことが疑問なのかと言えば、エルシィがこの世界に顕現してからというもの、近衛士の二人には毎日会っているからだ。
「城にいる時は交代でしょう? エルシィ様のお側にいない時は、騎士府の訓練だったり、非番だったりするそうです」
ははぁ、とエルシィは感心して頷いた。
なるほど、そうすると一日フルで休暇と言うことは無いが、半休ならそこそこ取れる訳か。
が、ここでもう一つ疑問が生まれた。
「キャリナは、いつ休んでいるのですか?」
この問いには、途端に口を閉ざしてニコリと微笑むキャリナだった。
年がら年中エルシィの側に仕えるキャリナには、お休みのなどというものは存在しないのだろう。
とんだブラックだよ!
と、エルシィは誰に言うでもなく、心の中で抗議した。
まぁ、丈二も出張の時は基本すべてが拘束時間の様なものだったので、自分もキャリナと同じで体調不良以外の休暇など無いことには気付かなかった。
ともかく、なぜ街の人々にエルシィの噂が出ているのか、と言う疑問は解けた。
エルシィは色々と衝撃の事実によって疲れ切った顔で城へと戻った。
孤児院ではフレヤが子供たちに「かわいい! かしこい! エルシィ様!」とやらせていたりいなかったり