298よきにはからえ
郵便庁は特に滞りもなく発足した。
アントール忍衆棟梁からの推薦という形で出向してきたご隠居ブンカンカは、エルシィから長官の申し出を受けると一も二もなく承諾し、その場で家臣として治まった。
それからまた数日が過ぎたが、今まで文司が行っていたモノのついでの郵便業務とは違い、専業職員《元野良犬たち》による迅速なお届けはおおむね高評価の様子であった。
ちなみにブンカンカは文司から郵便業務に携わっていた職員のうち数人を引き抜いたので、エルシィの元には幾らかの苦情が上がっていたりもする。
まぁこれはしようがない事なので、よくよくお話をして納得してもらうしか無い。
今やどの官庁でも人手不足。
クレタ先生が展開している促成校業務が花開くのを、今か今かと待つばかりである。
という訳で今まで気ままにウロウロしていた野良犬たちは、今や毛並みを身ぎれいにし、首輪と郵便庁職員であるという印の帽子とバッグを身に付け、レオと共に元気に街を走り回っている。
痩せぽちだった身体も、お届けついでにおやつをもらうのか気持ちふっくらしつつあるようにも思える。
「これで一つ、わたくしの仕事が減りましたね」
セルテ領主城の執務室にて、エルシィは一息つきながらこぼす。
するとチェック済みで後は領主の検印を押すだけという書類を運びながら、宰相格のライネリオがため息交じりに言葉を挟む。
「ようございました。
というかエルシィ様はもっと仕事を減らすべきです」
言われ、エルシィもまたため息をついた。
「そうは言ってもわたくしにしかできないことが多いので……」
現状、ジズリオ島外領鎮守府の総督としての仕事に加え、元帥杖の権能を利用することで効率化できる仕事はエルシィにしかできない。
ゆえにエルシィはまた多忙を極めていると言える。
それでも先日の過労による昏倒からはお医者様からきつく言われるので、出来るだけ休息を入れる様にしてはいる。
が、それでもまだ常人の数倍は働いていると言えるだろう。
「エルシィ様は真面目過ぎます。
私の父や兄など、エルシィ様ほど働いていやしませんでしたよ。
もちろんエルシィ様の特別な神能に関する仕事を除いたとしても、です」
ライネリオの父、そして兄とは、旧ハイラス伯爵家の面々ということである。
つまりは旧ハイラス領主ということだ。
エルシィはそれを聞いて「ふむー」と腕を組み首を傾げた。
「どうしてそれで国が回るんでしょうねー?」
ライネリオは苦笑いを浮かべながらその疑問に答える。
「エルシィ様はすべてを自分でやろうとなさり過ぎるのです。
上に立つ者としてはもっと部下に仕事を回した方がよろしいでしょう。
そうでなければ家臣も仕え甲斐がありません」
「そういうものでしょうか?」
「エルシィ様を敬い仕える者たちですから、『よきに計らえ』と任されれば張り切りますよ」
なるほど。
とエルシィは深く頷いた。
配下の人たちの意見もたくさん聞いて「さようせい」としてきたつもりだったが、まだまだ足りないということだろう。
これからはもっとバカ殿化を促進していかなければ。
エルシィはライネリオの言葉をそう受け取って飲み込んだ。
といった一息の幕を挟みエルシィはまた承認待ちの案件に目を通し始める。
時にはやって来た官僚の話に耳を傾け、意見をし、そして可否の判をぺったんぺったん押してゆく。
結局は人に仕事を任せるにしても、この裁可仕事だけはどうにも減らしようがないのである。
他にも国内の有力者や各司府の長たちとの会合や辞令、任命、式典。外国からやって来た大使との謁見や親書への返答。戦や文化事業における功労者への恩賞勲章の授与などなど、人任せにはできない仕事はいくらでもあるのだ。
そしてまた一つエルシィでなければ裁可できない案件が飛び込んできた。
「将軍の一人が兵を率いてやって来た……ですか?」
その日、エルシィが執務室にいる時間の始まりを見計らってやって来たのは、現在将軍府の長として差配しているスプレンド卿だった。
すわまた挙兵か。
と思いはしたが、その割にはどうも悠長な様子である。
「ええ、何と言いますか。
『新たな侯爵陛下に恭順することに異はないが、まずはその威を示せ』などとのたまっております。
いかがなさいますか?」
セルテ領において将軍とは、二〇〇から五〇〇程度の兵が詰める各国境の砦にて、彼らを指揮する権限を与えられた者たちだ。
ゆえに国境を接している七国のうち、ハイラス伯国との国境を除いた六つの国境砦にそれぞれ将軍がいた計算になる。
ただデーン男爵国境砦については、その将であったダプラが反乱を起こしすでに首を上げられたために砦の将はあと五名。
そこにスプレンド卿と、ハイラス平定の為に送られた軍の将、サイード将軍を入れて全部で七名になる。
すでにエルシィの家臣であるスプレンド卿以外の六名についてはエルシィが侯爵位を譲り受けてから割とすぐに「引き続き侯爵に従うよう」と書状を出していた。
それかひと月以上が過ぎ、ぽつぽつとその返事がやって来ているころである。
まぁぶっちゃければすでに五名の返事は来ている。
二名は恭順。一名は出奔。残り二名は隠居と。
つまり、今城外に来ているのが返事していない最後の将であり、その将がゴネているわけだ。
「もう、お仕事増やさないでほしいですねぇ」
「いやホントに」
エルシィとスプレンド卿は、大きく立派な執務机を挟んで苦笑いで肩をすくめ合った。
続きは金曜日に




