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029おそろしや

「どうとは、どういう意味ですかエルシィ様」

 この国の作法に詳しくないがため少し迷いを見せたエルシィに、底冷えするような声が降り注いだ。

 ハッとして振り返れば、声の主はこれまで全く話に加わらず護衛任務に専念していたフレヤだった。

 いつもの柔らかな雰囲気はすっかりなりを潜め、その視線はまるで鋭利な刃物のようですらある。

「どどど、どうしたのですフレヤ?」

 つい動揺して聞き返したエルシィだったが、他の側仕えも同様に驚きの表情だった。

「どうもこうも、罪は裁かれなければなりません。

 不正があったというならば、法の下に正義の鉄槌が下されるべきでしょう」

 だがフレヤはそんな主や同僚たちの視線など気にも留めず、堂々とそう言い放った。

 言い放ち、勢いで腰の短剣に手すらかけていた。

「待てフレヤ。それ以上はいけない」

 慌ててヘイナルから制止され、フレヤも少し我に返ったようだった。

 が、それでも剣から手を離した彼女は、未だ険の残った表情のままである。

 フレヤ、まさかの悪は絶対許さないマンだった。

 あまりの剣幕にビビりつつも心でそう呟いたエルシィは、まぁそれはそれで方向性定まって良いかもね。と息をついた。

 気づいてしまったがどう処理していいものか、エルシィは未だ測りかねているのだ。

「ともかく、裁くにしてもそれは文司の分野です。我々はここで見聞きしたことを文司に伝えて、改めて裁判にかければ良いのです」

 と、そこに同時に大きく溜息を吐いたキャリナがそう述べた。

 それはもうまったくもってその通りである。

 ゆえにエルシィは「尤もだぁ」と呟きながら、少し気を楽にして頷いた。

「そうですね。横領が確定したのなら、そうすることにしましょう」

「……確定、したら?」

 エルシィの文言がいまいちハッキリしなかったことを疑問に思い、フレヤは眉根を寄せる。

 そんな彼女にニッコリと笑いかけ、エルシィは言葉を続けた。

「そうですよ。まだ今日の日誌は提出されていません。もしかしたら提出される時には金額も修正されているかもしれませんよ?」

 それはほとんど確定しながらも残された一縷の望み。

 当事者に知らされないまま進行する執行猶予。

「と、言うことですから。

 提出されるのは夕方でしょうし、わたくしたちは昼食といきましょう」

 気を抜いたエルシィの言葉へ返事するように、フレヤのお腹が「くぅ」と可愛く鳴った。



 築司で調べ物などをしていたせいもあり、昼食時間はすでに過ぎていた。

 なので大公館の料理人にサンドイッチなどを用意してもらい、エルシィは部屋で食事を摂った。

 その後は側仕えが交代で食事に行く間、借りて来た日誌や領収書に目を通す作業に没頭する。

 これは少額の横領が慢性化していないかなどを確認するための、ちょっとした監査作業である。

 とは言え、本来ならこの規模の監査ならもっと人数と日数をかけるものなので、ホントに気持ち程度のことだ。

 膨大な作業なので、没頭していると時が過ぎるのもあっという間で、気づけば今日も普請現場はどこも終了するような時間になっていた。

「では皆さま、参りますよ」

 借りてきた資料を返却できるように纏め持ち、一行は再び築司へと赴いた。


 最初は隠れるように会議室で待つことにする。

 お姉さん事務員には件の日誌が提出されたら、こちらに持ってくるように言い含めてあるのだ。

 キャリナが用意してくれたお茶を口にしながら待つこと数十分。

 会議室のドアはついにノックされた。

「失礼いたしますエルシィ様。お求めの日誌をお持ちしました」

「ありがとう。すぐ目を通すからそこでお待ちになって」

 優雅にティーカップを下ろして日誌を受け取る。

 ざっと見れば、昼前に見たままの数字と文字に、認めの印が入れられていた。

 一同は揃って大きく溜息を吐いた。

「確定いたしました。あなた、担当の役人と警士班長を呼びなさい」

 少し厳しい物言いに変わったキャリナに戸惑いつつお姉さん事務員が退出して行く。

 彼女には「参考のために各種書類を拝見したい」としか言っていなかったので仕方がない。

 ただ他の課員は薄々何かを感じていたようで、彼女の帰還と共に築司の事務所は離れた会議室でも判るくらいにどよめいた。

 しばらくして二人の青年がやって来る。

 一人はオドオドと視線を彷徨わせる現場担当の役人だ。

 もう一人はこの期に及んでまだ太々しく舌打ちなどしている警士班長である。

 瞬間的にエルシィの勘が呟いた。

 あ、主犯は警士班長の方だな。と。

 そうすると役人の方は脅されて協力したか。

 この場では「文司にこの件を提出します」と一方的に告げて終わるつもりだったが、つい、エルシィは少しだけ興味を抱いてしまった。

 いったいこの二人はどういう経緯でこんなちょろまかしをするに至ったのか。

 ちょっとだけ知りたくなったのだ。

 エルシィは自分の席の左右に近衛二人を、後ろにキャリナを控えさせて口を開いた。

「お二人とも、今日の作業もご苦労様でした」

 そんな穏やかな切り出しだったので、おびえ切っていた役人は少しだけ頬を緩める。

 が、すぐにまた引きつらせることとなった。

「それで、お二人はなぜここに呼ばれたかご存じですよね?」

 もう知っているぞ、と言われているも同然のセリフに、役人は「ひっ」と小さな悲鳴を上げて縮こまる。

 とても口を開いて弁解をする余裕はなさそうだ。

 ところが、もう片方の当事者である警士班長は細い三白眼をキョロキョロと逸らしながら「さぁ」と短く答えるだけだった。

 うわ図太いなぁ。

 エルシィはもういっそ感心してしまった。

 感心しつつも話が進まないので、彼らの前に提出されたばかりの日誌を出した。

「本日の人工(にんく)金額が多いようですが、人数は前日から変わっていませんよね?」

 この言葉で役人の方はもう耐えられなくなったのか、勢いよく頭を下げようとした。

 が、すぐに警士班長の手によって止められる。

 その鋭い三白の眼光が突き刺さり、役人はおびえたようにスゴスゴと彼の斜め後ろに一歩下がった。

 自白しなけりゃ何とかなると思ってんのかな。

 そんな警士班長の行動に、エルシィは呆れてポカンと口を開ける。

 開けて、そこで気づいて納得した。

 ああ、何とでもなると思ってんだコイツ。

 つまりエルシィをなめてるんだ。

 今日。ヨルディス陛下が不在になったこの時を見計らってのチョロマカシ。

 なんでこんなことを、と疑問だったのだけれど、つまりはそう言うことなのだ。

 そうエルシィは悟って、急に興味も冷めてしまった。

 そんな冷めた視線を向けるエルシィに、警士班長はいけしゃあしゃあとのたまった。

「あれぇ? それは大変失礼をばいしました。どこかで計算を間違えたのでしょうなぁ。すぐやり直して再提出させましょう。

 おい!」

 言い切り、隣で縮こまる役人を引っ立てて、日誌をひったくって押し付ける。

 が、イキがる警士班長もそれまでだった。

 エルシィの左から何か小さな影が飛び出したからだ。

 それは近衛士フレヤ嬢だ。

 勝手に退出しようとする警士班長の頬には、いつの間にやら駆け寄ったフレヤの短剣が抜き身で当てられていた。

「ちょ、待てよ。ちょっとしたミスでこれはやりすぎなんじゃねーか!?」

 さすがに危険を感じた警士班長が慌てて声を上げる。

 が、底冷えするような笑顔を浮かべたフレヤは、斬っ先をピタリと止めたままフフフと声をもらした。

「あらあら、何か勘違いしているようだけど。あなたの罪は姫様への侮辱罪ですけど?」

 エルシィもこれにはちょっとドン引きした。

 右を向けばヘイナルが、後ろを見ればキャリナが「さもありなん」と言う顔で頷いている。

 あれ? もしかして不正なんかより侮辱の方が罪大きいの?

 ここまで来ると気の弱そうな役人は極まったようで、崩れ落ちるようにして床に伏した。

 そしてそのまま額をこすりつけるようにして泣き出した。

 エルシィ、再びドン引きである。

「姫様、お許しを! 此度の不正、私めが自分可愛さに判を押してしまったこと、誠言い訳の仕様もございません。

 この身に代えてどの様な刑にも服す所存でありますゆえ、なにとぞ、なにとぞ家族には寛大な、お慈悲を賜りたく!」

 震え声ながらに堂々たる訴えだ。

 エルシィはその訴えの意味するところを察しながらも、眼でヘイナルに問いかける。

 ヘイナルも心得たようで、顔を寄せて小声で教えてくれた。

「あの程度の横領でしたら降格と半年ほどの蟄居くらいと思われますが、大公家への侮辱罪が付くと親兄弟までの連座で縛り首が言い渡されます」

 やっぱりそうなんだー。

 さすが絶対君主制の国ですね。

 怖いにゃう。

 もうエルシィも、さすがにちょっと嫌になったという。

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