288いぬ耳の男の子
さて休憩を切り上げてそろそろお仕事に戻りましょうか。
というところで執務室のドアがトントンとなった。
またぞろ新しい報告書か嘆願書か企画書か、とにかく新しい書類がやって来たのかな? と顔を向けてみれば、ねこみみ侍女見習いのカエデがドアに手をかけようとしたところで先に開いた。
「むぎゃ」
内開きのドアがしたたかカエデを打ったようで小さな悲鳴が聞こえる。
不覚をとった恥ずかしさでギロリと目を細めると、入って来たのはエルシィの盟友とも言える少年家臣、アベルだった。
「ああ、カエデか。すまない」
などと素直に謝罪の言葉が出て来たのでカエデのわずかな怒りも自尊心もすぐに書き消えかけた。
が、次の言葉でまた目が細まり、そしてため息が出た。
「こいつが言うこと聞かず急ぐものだから……」
何も言い訳がましい謝罪に腹が立ったわけではない。
カエデの憂鬱、というか最近の頭痛の原因はその「こいつ」さんなのである。
「わふっ、姫さま、にんむかんりょーですー!」
「あ、こら……!」
アベルとカエデがわずかな言葉をやり取りしている隙を見て、そのドアの陰からパッと飛び込んだのは、エルシィより少し小柄ないぬ耳の少年だった。
室内にいたキャリナやライネリオは少し驚いた顔を見せるが咎めない。
ドアの外から様子を見ていたフレヤ、そしてアベルたちと同行していたらしい神孫の双子、姉の方、バレッタもまた何も言わなかった。
すでにこのいぬっ子の行動は彼らにとってお馴染みだったのだ。
薄茶のキャスケット帽に同色の吊り半ズボンをはいたこの少年。
エルシィが旧セルテ侯国にやって来た時に、とある村で保護した違法奴隷家族の一員。
名をレオと言い、今ではカッコ仮が取れた正真正銘エルシィ家臣だ。
レオはアベルの制止も聞かずパーッと執務室内を駆けて行くと、応接席でお茶休憩をしていたエルシィの膝にダイブした。
ダイブし、すりすりと頭をこすりつける様にエルシィを堪能し、にぱっと顔を上げて主君を見る。
半ズボンのお尻にうまい具合に開けられた穴から出ている尻尾は千切れんばかりにブンブンだ。
無言ではあるが、不思議と「ほめてほめて」との声が見る者すべての脳裏に浮かぶ。
「はい、レオくん。よく頑張りましたねー。
ご褒美にこれをあげましょう」
エルシィもまたにぱっと笑顔を返しながらレオの頭をぐりぐりと撫でつけ、そして空いている方の手で焼き菓子を一つとった。
「わふ!」
エルシィに撫でられほわほわと嬉しそうにしていたレオの意識が、一気に焼き菓子へと集中する。
そしてエルシィの手ずから与えられ、はむはむと咀嚼して幸せそうにするのだ。
「おいしーです姫さま!」
「よかったですねー」
エルシィもつられてほわほわと笑い、そしてまたレオの頭をぐりぐりと撫でた。
「アベル。妬ける?」
「別に……?」
未だドア付近でその光景を眺めていた神孫の双子はそんなやり取りをする。
姉、バレッタはニヤニヤとした顔で弟を肘でつつき、弟、アベルは憮然とした表情でそっぽを向いた。
レオは見ての通り天真爛漫な『山の妖精族』の男の子だ。
年齢はエルシィやアベルたちより少しだけ幼く、家臣、同僚、と言ってもなんだかかわいい弟のような扱いに収まっている。
またこの愛くるしさで城内の大人たちにも人気が高い。
もちろん、男子としてではなく、マスコットとしてである。
そして憮然とした態を見せているアベルだが、ともすれば彼の参入を一番喜んでいるのはアベルだった。
なぜか。
それは何かと女性陣の押しが強いエルシィ一派において、やっと同年代の男子が現れたからだ。
しかも可愛げたっぷりの弟ポジションとして、である。
生まれてこの方、ずっとバレッタから姉貴風を吹かされてきたアベルからすると、弟という存在は待望であり、一種の憧れでもあったのだ。
「レオ、報告が先だろう」
「わふ! そうでした……」
アベルからそう注意され、途端にシュンとするレオ。
しょうがないな、という態で歩み寄り、アベルもまたレオの頭を撫でつけた。
「わふぅ」
そしてレオもまたアベルの手に頭を擦りつけながら機嫌を直す。
「うふふ、仲良しですねぇ」
エルシィはそんな彼らを見てポヤポヤとした気持ちになるのだった。
しばしそんな光景を楽しんだのち、アベルたちにも席を勧めてお茶会続行である。
カエデが追加でハーブティーを入れる。
「それで、レオくんのお仕事ぶりは」
「ああ、こいつは役に立つと思う。特にエルシィの負担も少しは和らぐはずだ」
そしてエルシィの問いに、アベルは静かにそう答えた。
続きは金曜日に




