287デーン男爵国の憂鬱
外交官ヤニックの報告を聞くために集まった各司府の長達。
互いにけん制し合う顔。
いったい何なのだ。
そうヤニックは眉をしかめる。
その疑問は男爵陛下の言葉ですぐ氷解した。
「念願の不凍港が手に入るのではなかったのか?
そのための準備もすべてご破算ではないか!」
ああ、なる程。
とらぬ狸の皮算用。という訳か。
要するに彼らはこの作戦が必ず成功することを前提として、はやくも港を利用する準備を進めていたのだ。
場合によっては交易船の新造も発注していたのかもしれない。
財司長と水司長があの顔しているのはそういうことだろう。
そして築司長は二人と仲が悪く、一枚かませてもらえなかった。
そういうことだ。
まぁヤニックだって失敗するとは思ってなかった。
それにしたって気が早すぎるだろう。
しばし男爵陛下が近隣の書類や道具に当たり散らし、そして少し落ち着いた。
「で、経緯を報告せよ。
いかにして此度の作戦が失敗したか詳細に説明するのだ」
そして男爵陛下はタヌキの様な瞳でギロリとにらみつけて来る。
迫力はない。が、ヤニックはこの後の自分の立場を想像してゲンナリした。
もう出世の目はないだろう。
そしてヤニックは詳報を始める。
私見は一切挟まない。この辺りは彼の優秀なところである。
ダプラ将軍に取り入り、彼をそそのかし挙兵させたこと。
冬を目前にし混乱するセルテ領ではこれを治める軍を出せないであろうという予想が立ち、作戦成功のめどは立ったこと。
予想外にセルテ領側は砦兵とほぼ同数の軍をすぐさま派遣してきたこと。
そして空に現れた鉄血姫、大岩を吹き飛ばしたどこともなく飛来した流星のこと。
ダプラは敗北して戦死。
ヤニックは捕縛され一度セルテ領都へ連れていかれた。
ヤニックは鉄血姫と謁見し、釈放された。
すべて、事実である。
なのに、信じてもらえなかった。
特に後半分について。
「時系列がおかしいではないか」
軍務の片翼を担う警士府長が腕を組んでそう呟く。
彼も日数的な計算して、そんなに早く軍が砦へやって来たことに首をかしげているのだ。
「空に現れた鉄血姫? 大岩を吹き飛ばす流星? 白昼夢でも見ていたか」
多くの司府長たちはそう呟いた。
「情報が漏れていたのではないか?」
これはヤニックが所属する組織の最上長。外司長である。
ヤニックの顔はどんどん蒼くなった。
「それで貴様はどうして無事帰って来られたのだ。
その流れであればそのまま斬首か、良くても外交手札としてそのまま軟禁されるところであろう」
デーン男爵が問う。
これに対してもヤニックは素直に答えるしかない。
自分でも「どうして」と思わんでもないのだが、事実なのだから。
「はっ、それが……帰って良い、と……」
「は?」
一同が不可解と言いう顔で訊き返した。
ヤニックはすぐさまより詳しい言葉で繰り返す。
「特に用は無いから帰って良いと、鉄血姫、いえ、エルシィ侯爵からそう直接言われました」
「……こやつを捕縛せよ。スパイ容疑だ」
デーン男爵が冷酷な目でそう告げる。
すぐに警士と近衛士が動き、ヤニックは拘束された。
「や、そんな、私は何も!」
「敵国の手に堕ちた者が、何もなく釈放などされるものか。
どうせ何か含まれているに違いない。
よいな、必ず吐かせよ」
「はっ!」
もがき暴れようとするヤニックだが、所詮は文官一筋の痩せ男だ。
鍛えられた武官たちにあれよあれよと引きずられていった。
出世が断たれたどころではない。
彼の命さえ、もう風前の灯火だろう。
「で、どうしたらよいのだ。
これでセルテ侯国、いや鉄血の悪姫を完全に敵に回したぞ。」
連れ去られるヤニックを見送ったデーン男爵は厳しい顔から一転、青い顔で執務机に突っ伏した。
彼らの目論見では、男爵国の関与が表ざたになることはないはずだった。
だが、ヤニックが一度捕まったことで表ざたになった。
そもそもダプラ将軍が退けられたということは、混乱があると見ていたセルテ領は驚くほどに混乱がない。
しかもだ、ヤニックが釈放されたということは、「これをネタに何かを要求する気はない。というか今にも攻め滅ぼしていいか?」という宣言ともとれる。
「い、いやさすがに雪の季節に進軍など無いでしょう?」
「……本当にそうか?」
騎士府長が常識を語り、だが常識では考えられない撃退を聞いたばかりの男爵閣下は
そう返した。
集まった諸卿の誰もが返事出来なかった。
デーン男爵の眠れない夜が始まる。
遠く離れたセルテ領主城の執務室。
エルシィは補佐を務める側近たちと顔を見合わせながら暢気に呟いた。
「ヤニックさんでしたっけ? 元気でやってますかねぇ」
呟きながらすすった薬湯が、今日はやけに美味しかった。
続きは来週の火曜に
次は明るい話になる予定




