028少額予算の使い方
エルシィの言葉を受けて一行は合同庁舎ロビーから、築司の事務所へと移動する。
突然現れた小さな姫君と側仕えたちに事務所で仕事をしていた役人たちは少し騒然としたが、エルシィが「社会科見学です」と言いつくろったので次第に治まった。
当たり前だが件の担当役人はまだ現場なのでここにはいない。
なのでいかにも事務員らしい風体のお姉さん職員を捉まえて、該当現場の日誌を出してもらうことにする。
「何かございましたか?」
不思議そうに首を傾げるお姉さんに無言でニッコリ返して日誌を受け取る。
そのまま一行は事務所の一角にある打ち合わせテーブルを占有して日誌を広げた。
お姉さん職員も他の課員たちも気になってしようがなかったが、テーブルの傍らで立つ近衛士フレアが何やら怖かったので様子をうかがうのをあきらめた。
そうフレアがいつものふんわりとした雰囲気を纏わず、何やら冷気を醸し出すかのような無表情で護衛任務に従事しているのだ。
「フレヤ? どうかしたのか?」
同僚のことが少し心配になって声を掛けるヘイナルだったが、フレヤはただ冷笑を浮かべて「いいえ?」と答えるだけだった。
さて、件の日誌である。
「不正はどのあたりですか?」
一日につき一枚ある日誌をテーブル上へ順番に並べながらキャリナが問う。
エルシィは人差し指で自分の顎をつつきながら「んー」と声をもらしつつテーブルを覗き込んだ。
「まだ不正かどうかわかりませんよ。ただ人工がいつもと違ったので気になったのです」
人工とはつまり人件費だ。
日誌には工事へ参加した工夫たちに支払う人件費の合計が書かれている。
ちなみに工事に携わるのは担当の役人と警士班長。あと班長配下の警士数人。そして国民から募集された工夫たちとなる。
このうち役人と警士は国から給与が支払われているので人件費に含めないのだ。
「この前の会合の時に日誌を眺めたのですけど、この現場はしばらく毎日金額が同じだったので憶えてたんですよね」
答えつつ日誌を一枚ずつ精査し始める。
キャリナやヘイナルも倣ってそれぞれの日誌を眺めた。
「今日は工夫が多かったのでは?」
眺めながらヘイナルが怪訝そうに眉を顰める。
先ほどに比べると表情から険が取れているので、不正の存在を疑い始めたのかもしれない。
エルシィも不正を決めつけているわけではないので彼の言い分に頷きつつ、日誌の内の一枚を手に取った。
「そうかもしれませんが、日誌ではそれが確認できないんですよね。この書式はこれまで問題にならなかったのでしょうか」
そう首を傾げるエルシィに促されて見てみれば、日誌には購入品や人工の合計金額はあるだけで、何を買ったとか、工夫の人数を書き込む欄が存在しなかった。
「課員に確認してまいりますね」
そう言ってキャリナが席を離れ、さっきのお姉さん職員の方へ行く。
その間も日誌を眺めていたヘイナルはヘイナルで別の疑問が浮かんできた。
「これは気になりませんか?」
ヘイナルの指摘に目を移してみる。
それは人工の欄でなく、購入品の金額合計だった。
「見るとここ一〇日ほど毎日金額が同じです。人工ならそれも判りますが、購入品の金額が同じと言うのはあり得るのでしょうか?」
「ふむー」
彼の疑問を理解する為には、まず日誌に書かれている購入品金額と言う値がどういうものであるかを理解する必要があるだろう。
まず工事にかかる資材というのは、もっと大きな枠の予算でまとめて手配されるので日誌には登場しない。
では日誌にある「購入」とは何かというと、日々の工事の中で細かく必要になった物品や少しだけ足りなくなった資材などを、決められた少額予算枠で決済するためのものなのだ。
この日額で決められた少額予算を超える購入の場合、また書類をそろえて申請し、予算分配会議において承認を得なければならない。
ここまでは似たことをどの司府でもやるので共通の理解であった。
ヘイナルの疑問は「日々の臨機に応変するための小口予算なのに、毎日同じものを購入するということがあり得るのか」と言う疑問であった。
毎日同じものを買うなら、元の大枠予算に含めてしまえばいいではないか、と言う訳なのである。
エルシィは、これについては先日の会合で気になっていて、すでに調べて大まかなことを理解していた。
「簡単です。現場で大きな資材を買い物したのです。
ただ日額予算を越えてしまう資材だったようで、領収書を越えない金額で一〇数枚に分けて発行してもらったそうです。
ほら、これで毎日同額な購入金額の謎が解けました」
「なるほど、でもなぜそんなことを?」
ヘイナルは一応の納得をしながらも首を傾げる。
「正確な所は担当者に詳しく聞かないとわかりませんが、そうですね」
次々に投げかけられる疑問に、エルシィは手にしていた束を置いて腕を組む。
そしてなんと例を出せば解りやすいか、考えた。
「例えば一日の予算では済まない不具合が発見された場合の対処とか。
新規に予算を出してもらう手続きするよりは、一〇日分で処理してしまう方が手っ取り早いことも考えられます」
「……それは不正ではないのですか?」
ヘイナルのもっともな疑問だった。
そもそも大きな金額を動かす場合に、より高位の決済を必要とする申請が必要という面倒なシステムになっているのだ。
この方法は確かに面倒な申請を回避できるが、そもそもの趣旨に沿っていない。
「うーん、グレーだと思います。よろしくはないですが、厳密に取り締まる法も無いらしいので、実際に築司では手早く工事を進めるテクニック扱いのようでした」
「そう、なんですか。なるほど、テクニック……」
なにやら釈然としないまでも、今後の参考にしようという少し悪い顔のヘイナルであった。
今後、近衛府の予算に関する革命が起きるかもしれないので注意が必要だ。
そんな話をしている間にキャリナが新たな紙束を持って戻ってきた。
それはどうやら日誌金額を裏付けるための領収書類のようだった。
「過去一〇日ほど遡ってみましたが、雇っている工夫は書類上で確認する限り毎日定数で一五人でした」
さすが出来る侍女である。
紙束は万が一エルシィが確認する場合の為に借りて来ただけで、彼女がすでに精査済みだった。
なのでエルシィは目を流す程度にパラパラとめくり、横から覗き込んでいたヘイナルは物品購入の話を裏付ける領収書に注目していた。
「今日は何人だったのか数えてくるべきでしたね」
付け加えてキャリナが言うが、ここでエルシィはニヤリと悪い笑顔を浮かべる。
「数えてきましたよ。一五人でした。今日も定数ってことですね」
つまりこれで、本日これから提出される日誌の金額が合わないことが確定したわけである。
先ほど見た今日の日誌にあった人工金額と今までの人工金額の差は、おおよそ一人分の賃金ほどだった。
工夫が仕事帰りに少し豪勢に飲み食いすればすっ飛ぶような、その程度の金額である。
だが、少額でも不正は不正。
「さて、どうしましょうかね」
エルシィはテーブルの上で手を組んで側仕えたちを見回した。