279戦術心話
会戦が始まりしばらく経った。
弓や投石といった遠距離の探り合いの様な戦いから始まり、そこから騎馬による突撃と歩兵たちが追いつき斬り結び始める。
そこまで行けば後はもう乱戦であり、趨勢が見えてくるのには時が必要となる。
というのにだ。
「ええい、なぜだ! なぜ押されている。
兵もほぼ同数、各々の技量だって負けてはおらぬだろう!?」
独立を宣言した国境砦が将ダプラは、自群の中盤辺りで指揮を執りながら苛立ちに声を上げた。
まだ戦いの雌雄が決するには早すぎる時間。
だというのにもう自群が明らかに後退しつつあるのだ。
「士気の問題か?
あんなものを見せられたから皆消沈しているのではあるまいな」
思い出すのはこの会戦に及ぶ前の光景。
空に浮かぶ鉄血の悪姫、そしてほど近い丘の岩が粉みじんと吹き飛ぶさま。
どれも下兵の戦意を挫くには充分であったろうと想像できる。
「それにしたって、我々は後が無いのだぞ……」
そう。彼らはエルシィからの降伏勧告を蹴った。
であれば、ここで負ければ全員が罪人である。
すべてが根切りにされるとは思わないが、首謀者であるダプラは確実に斬首であろうし、生き残った下兵だって出世はもう望めず一生冷や飯食らいだろう。
であれば、ここで必死にならずしてどうするのだ。
と、ダプラは苛立ちに己の拳をギリギリと握りしめた。
「いえ、士気はそれほど悪くないですね」
が、そこへ言葉を差し込むのはダプラの副官として侍る騎馬兵であった。
彼の名はジュスト。
ダプラに並ぶと細く見える彼はセルテ領都生まれの、代々セルテ領に根を下ろす生粋のセルテ人だ。
首元で揺れるスカーフがいかにも洒落者という風である。
「士気ではないならなんだというのだ。
兵数も、技量も、士気も同等であれば押されている道理があるまい」
ジロリ、とダプラは副官を睨みつける。
セルテ領とはいえ田舎出身のダプラとはどうにも息が合わず、こうした衝突地味た意見交換はままある。
副官ジュストも慣れたもので、涼しい顔で唯一の上官を一瞥してから前線を見つめる。
指揮の差だよ。
そう言いそうになるところ口をつぐみ、静かに息をつく。
「即答はしかねます。
少し、各所を見てまいります。
何か原因がつかめるかも知れません」
「む、そうか。では頼む」
ジュストはさらりとそう言って馬を回頭させて少し後ろへと駆けさせた。
このやり取りでいくばくか落ち着いたダプラは、前線を押し上げるべく指示を出しつつ頭を巡らすのだった。
「もう負けは決まったな」
ジュストはそのまま自群ばかりか戦場から少しずつ目立たぬように外れ、そんなことを呟いた。
「右翼一班と三班、前面の敵群が乱れつつある。呼吸を合わせ押し出せ!
そのまま孤立した一群を半包囲して二班が叩け。
左翼全班はそのまま攻撃を受け止めつつ、一〇歩まで下がって良い。
だが、整然と下がれよ。
その隙に遊軍班はサイドへまわれ」
砦軍のダプラ同様に、スプレンド卿は自軍の中央付近で指揮に専念していた。
この指揮の様子を事情を知らぬ軍人が見たら「やけに細かい」と評するだろう。
スプレンド卿が操っている群数はおよそ五〇〇。
たかが五〇〇、されど五〇〇である。
この数の人間を自在に動かすというのは、都に住む文官衆や民草が思うほどに簡単ではない。
だがスプレンド卿はその経験と才能、そしてエルシィの家臣となったことで新たに得た御業によってそれを容易なものとしていた。
スパンオブコントロールという言葉がある。
一人の人間が直接指示を出してコントロールできる限界数、という意味だ。
これはおよそ五人から七人と言われている。
であれば、たった五〇〇人という群勢であっても一人の将軍で指揮を執るなど出来っこないではないか。
となるわけだがこれにはカラクリがある。
五〇〇を一つの塊ではなく、分隊、小隊、中隊、という風にピラミッド構造で分けていくのだ。
そうすれば最終的に将軍たる人間が直接指示を出すのはほんの数人で済む、という寸法である。
ところが、これにも弱点はある。
上流から放たれた命令が下々まで到達するのにタイムラグがあるし、また伝言ゲームであるからして場合によっては正確性に欠けることもある。
まぁ後者については復唱の徹底などである程度防げるが、それでも複雑な命令程伝わりにくくなる。
であればどうするか。
命令を簡略なものに限るのだ。
ゆえに、軍は数が多くなればなるほど、複雑な動きを必要とする作戦ができなくなるのだ。
だがスプレンド卿率いる五〇〇の兵はどうだ。
これは素人が見ても解るくらいに、明らかにダプラ将軍の群とは動きが違った。
まるでそれは一つの巨大な生命体のごとく、乱れなく、そして細かく統率されている。
「『戦術心話』……
これがスプレンド卿の覚醒スキルですか」
虚空モニターを通して戦場を俯瞰して見ていたエルシィがゴクリと喉を鳴らして呟いた。
その言葉だけでかの将軍の能力を汲むことはできないが、それでもそのポテンシャルは執務室にいる側近衆に伝わる。
特に一応戦訓を学んでいる近衛ヘイナルやフレヤなどにはその凄まじさが解る。
つまり、スプレンド卿の覚醒スキルとは、自群限定の通信能力である。
先に「直接管理できる限界数」という話をしたが、マルチチャンネル的通信ができるのであればまた話は違ってくる。
いや管理できる数は変わらずとも、直接指示できる数は格段に変わって来る。
直接管理は各々の隊長格に任せればよい。
指示だけをすべて将軍が一喝することができる分、隊長たちの負担は減り、タイムラグも減り、そして現場に即応した幾らか複雑で細かい指示も可能となるのだ。
これがほぼ同等同士の戦いなのに、セルテ軍が優位に立っているカラクリであった。
続きは来週の火曜日に




