273ところ変われば将軍も
「イナバくーん!」
会議中ではあるがエルシィは唐突にそこにいないモノの名を呼んだ。
ここに集まっているのは家臣の中でも特に幹部と言える待遇の者たちではあるが、その中でもさらに上澄みとなる側近衆しかこの名の持つ意味を知らない。
ゆえに会議室は微妙な雰囲気に包まれた。
「あいよ」
とそこへ、ポンと音を立てそうな小さな煙を立てて白いウサギの翁がエルシィの机の上に現れた。
ウサギと言っても妙に偉そうで二本足で立つ御仁だ。
さらに言えば、彼をのことを見えその声をきけるのはエルシィと、そして旧統治者の血を引く前セルテ候エドゴルだけだった。
ちなみに旧統治者の血を引く者という意味では若き宰相ライネリオもそうだが、彼に至っては見えていても見えないふりをし続けている。
イナバ翁は神の分御霊である。
本来のイナバ翁はもっと大きな力を持つ土地神なのだが、旧レビア王国に加護を与えた海神より命じられ、分身にて何百年とその職務を全うしている。
その職務とは、線引きされた各領において統治者の継承を行うこと。
そして継承した新たな統治者に祝福を与えることだ。
それ以外は特に仕事がないので、こうして戯れに被祝福者と対話することもある。
中でもエルシィは神に対する崇敬の意思が薄いせいか、こうして頻繁に呼び出しては色々話しかけてくるのである。
「して、今日は何の用じゃ?」
いろいろ訊かれるというのは頼られているということでもあるので、イナバ翁もまんざらでもないという風である。
エルシィは現れた白ウサギに目線を合わせて耳をつんつんしながら疑問を口にした。
「領内でとある将軍が独立宣言したみたいなんですけど、神様の視点ではこれどうなります?」
つまり、そもそもセルテ領は一つの土地としてイナバ翁から祝福を受け、彼の差配で農業神や気候神から恩恵を受けるわけだが、そこから「人間の感覚」で「土地を切り取った」場合にどうなるか、という話である。
イナバ神は「ふむ」と髭の様な長いアゴの毛をひと撫でしてから答える。
「セルテの土地はセルテの土地で、人間が切り取れるものではない」
「セルテ領内で『独立だー』と言ったところで、神様的にはセルテ領内としての祝福を与え続ける、ということですね?」
「その通りじゃの。
我らからすれば人同士の諍いなど知ったことではない。
ワシは古の契約を執行し続けるだけじゃの」
「なるほど……イナバくん、ありがとうでした。後でお供え用意しますね?」
「うむ、苦しゅうない」
言って、イナバ翁はまた「ポン」と消えた。
先にも言った通り、このやり取りがすべて聞こえているのはごく少数だけだが、エルシィの言葉だけでもだいたい意味はわかるので室内の者たちは眉をひそめた。
ダプラ将軍。
それが今回、国内で独立を宣言してきた者の名前だ。
「そもそも、また将軍が出てきましたね」
ふと、エルシィが困り顔で首を傾げる。
そもそもジズ公国には将軍がいなかった。
旧レビア王国においては「将軍」と言えば戦争時の臨時職であり、その薫陶を受けたジズ公国にいなくてもおかしくはない。
しいて言えば、エルシィが数か月前の戦役において任命された将軍である。
そして隣国だったハイラス伯国ではどうだったか。
ハイラス伯国では本来臨時職である将軍を常任させる習慣があった。
ジズ公国を警戒するため、という理由からそうなっていたらしい。
ただしハイラス伯国においては将軍は一人だった。
これを踏まえて考えればセルテ侯国の将軍も一人であると思うのが普通である。
セルテ侯国もまた、旧レビア王国の文化圏なのだから。
この疑問に対する答えを持つ者も数人いるにはいたが、答えたのは旧国主であるエドゴルだ。
「セルテ侯国……いや今はセルテ領と呼ぶべきか?
セルテ領は長い国境線にていくつかの国と接しているのでな。
それぞれの国境を守る砦の将として『将軍』としているのだ」
「私もセルテ侯国なら将軍様だったという訳ですなぁ」
エドゴルの説明を聞いてそう軽口をたたいたのはクーネルだった。
先ほどハイラス領全土を治める府君をして任命された彼だが、ちょっと前はセルテ侯国とやり合うために急遽作られた砦の将だったからだ。
「クーネルさん、なんなら将軍任命もします?」
だがエルシィがマジ味を含む笑顔を向けると、クーネルはブルっと肩を震わせてから首を振った。
「遠慮します。器じゃありゃーせん」
ともかく、そういう訳でセルテ領には複数の将軍がいるらしい、ということが、他領から来た者たちにも共通理解として行き渡った。
ここで呟く者がいる。
ジズ公国からエルシィに付いて出奔してきた元騎士府長、老偉丈夫ホーテン卿だ。
「おかげで将軍府ばかりがデカくて、騎士府には引退前の老人ばかりよ」
自分が老人であることを棚に上げ、とても不満そうである。
旧セルテ侯国で騎士府と言えば、長く将軍府幹部を勤め上げた特に勲功ある者の上がりポストとなっている。
ゆえにいるのは枯れかけた老人ばかりということになる。
ここでも騎士府の掌握に張り切って出かけたホーテン卿は、肩透かしを食らって今に至るわけだ。
ともかく、その国境砦の一つを守る将、ダプラ将軍がセルテ領から離脱し、新たに国を建てると言い出したわけである。
続きは来週の火曜です




