266クーシーの親子
エルシィが「拾った」山の妖精族の親子。
彼らはそもそも村で養われていた違法な奴隷である。
そのまま村に置いていたら、違法奴隷所持の証拠隠滅にと処分される可能性があるため、エルシィが預かり、後送するために一時的に家臣にしただけなのだ。
家臣であれば、元帥杖の権能で自由に移動できるからだ。
そして彼らの身柄については、後でセルテ候に押し付けるつもりだった。
ところが今ではエルシィこそがセルテ候その人となってしまったのである。
そこまで頭が回って、エルシィは微妙に困った顔をする。
「あー……どうしましょうね。
あくまで緊急避難でしたから……解放します?」
元々仕えさせるつもりで家臣化したわけではないので、とりあえず奴隷という立場からだけ解放して、後は幾らか援助しつつ市井に戻せばいいか。
と考えていたエルシィに、ライネリオは静かに言った。
「私としては、そのまま留め置くことを進言しますよ。
あれは、役に立ちます」
あ、これは初めから腹案あって話題にあげたな?
と思いつつ、エルシィは首を傾げる。
「役に……立つ?」
疑問に思いつつもライネリオの回答を待つまでもなく、エルシィは虚空モニターを出して家臣一覧から例の山の妖精族たちを見つけ、ステータス画面に移行した。
そしてエルシィもまた、これは確かに手放すのは惜しいかも。
と思ったのだった。
山の妖精族の親子。
父をオスカ、母をベラ、そして子をレオと言った。
彼らはエルシィの保護の当初、ひとまずカタロナ街道に仮布陣したハイラス軍に預けられた。
とは言え、責任者であったスプレンド卿はその時すでにエルシィと共にセルテ侯国にあり、ここでは輔佐の位にあった上士官の預かりだった。
そして時を置かずしてセルテ侯国はエルシィの支配下に置かれセルテ領になる。
つまり彼らハイラス軍はもうカタロナ街道に陣を置いておく必要がなくなったのだ。
そうなると軍を置いておくだけでコストが消費されていく訳だから、早々に引き上げることになるわけだが、ここで困ったのが彼ら山の妖精族親子の処遇である。
彼らは曲がりなりにもエルシィの家臣である。粗末に扱う訳にはいかないだろう。
そう判断した輔佐殿は、悩み悩んだ末にひとまず簡単な仕事を割り振って、それぞれの現場主任たちに責任をぶん投げることにした。
父オスカはその嗅覚を生かして文司の探偵方に。
母ベラは司府食堂の調理方に。
そして子であるレオは城内に勤める高官の子弟同様、申次として。
こうして彼らは一時的にではあるがハイラス領都にて平穏な生活を始めたのだった。
エルシィ暗殺未遂の首謀者の一人として収監された元山の民の首領であったホンモチ老は、その罪状とは裏腹に割と自由の身であった。
なぜなら、彼は読み書きや計算など、知識層が持つ技能があったからだ。
ハイラス領を治める官僚はとにかく人手不足なのである。
ゆえに、罪人であっても役立つと認められた技能があれば、一定の監視のもとに自由と仕事が与えられる。
もっとも、よっぽど思想や思考に問題があるような者は、獄に繋がれたままに一生を終えるか、拘束具を付けたままに普請の労働力として使い潰されるわけだが。
ともかくホンモチ老は、今日も午前の仕事を終えて財司庁舎にある司府食堂へやって来た。
この食堂は安価でそれなりに美味しい食事が採れるということで、昼時は下級官吏でにぎわっている。
「今日のお昼はなんじゃろにゃぁ」
最近では食事が日々最大の楽しみとあって、ホンモチはウキウキ気分で配膳カウンターへと並ぶ。
基本的にはここで調理されているわけではなく四角い弁当箱で配られる食事だが、スープだけはこの場でよそって渡されるのだ。
「今日のスープも良い香りがするにょ」
と、気分良く順番を待っている時、ふと気づいた。
この香りはしばらく嗅いでなかった気がする。と。
しばし考えて、それが何だったか思い至る。
余韻が残る独特の香り。これは確かセルテ侯国の家庭料理でよく使われるありふれた一年生植物の香りだ。
隣の国なのだから食文化的な交流はあるのだろうが、こちらではスープにはニンニクを使うことが多いのであからさまに香りが違うのだ。
「珍しいこともあるにゃ」
そう気楽に考えつつ、自分の番が来たのでスープを受け取ろうと前に出る。
そこでホンモチ老は面食らった。
配膳していたのは中年くらいの山の妖精族の女性だったからだ。
ホンモチ老の心拍数が跳ね上がる。
恋……ではない。
どちらかと言えば危機感である。
山の妖精族と草原の妖精族の間には、種族的な溝がるのだ。
詳しく言えば、陰に潜み人目を避けることに長けた草原の妖精族を、山の妖精族はその嗅覚と俊敏な脚力で見つけ狩り出すことに長けている。
いわば山の妖精族は草原の妖精族の天敵とも言えた。
その天敵がなぜここに!
確かハイラス伯国ではもうかなり前に彼らの集落は無くなっていたはずだ。
ホンモチ老は冷や汗を背中いっぱいに感じながらもスープを受け取る。
まぁ、天敵とは言ったが何も今ここでお互いいがみ合う仲ではない。
しかしそれでも確かめずにはいられない。
これは興味ではなく、一種生存本能である。
「ク、山の妖精族のご婦人殿。
確かあなた方はもうこの国にいないはずでしたにゃ。
何故ここで働いてなさるにゃ?」
「わふ?」
山の妖精族のご婦人もまた珍しいものを見た、という風で首をかしげてから頷いた。
「これはこれは草原の妖精族の。
私たちはこの国のさる高貴な方に拾っていただきまして。
まだお役目を頂いてないので、とりあえずこうしてこまごまとしたお仕事をお手伝いしているのです」
ホンモチは少しだけ嫌そうな顔をしながら
「へーそうですにゃ……。お勤め頑張るにゃ」
と言ってその場を去るのだった。
スープに使われているのはクミンです
続きは金曜日に




