263ハイラス府君の人選
「なんでですか!
なんなら伯爵号もお譲りしますよ?
ほら、旧伯家復活ですね?」
「元々そんな野心は持っておりませんよ。
というか、今のハイラス領で旧伯爵家がどれだけ嫌われてるかご存じでしょう?」
「そうでした」
ハイラス領を治める長をライネリオにお願いしたところ、見事に断られた。
街一つを治めるとなれば太守であるが、さらにその太守をまとめて一国であったハイラス領全体を差配する。
ハイラス鎮守府の長官とでもいうべき存在である。
ライネリオは今でこそエルシィの補佐を行う宰相的な存在に収まっているが、元々はエルシィの前にハイラス伯であったヴァイセルの弟だ。
血筋で言えば充分な資格があると言えよう。
ただまぁ、彼が言うように、旧伯爵家は現在のハイラスにおいて、どちらかと言えば嫌われ役に甘んじているのであった。
なぜか。
それはエルシィの仕掛けた広報戦略、言葉を変えればプロパガンダが上手く行き過ぎたからに他ならない。
エルシィがハイラス領を治める正統性を、基本的には真実だが多少の誇張を含む表現で喧伝した結果なのだった。
「うみゅぅ……ダメですか。
いい案だと思ったんですけどねぇ」
「ハイラス鎮守府を任せる府君を任命する。
というところまでは基本的には良い案だと思いますよ。
ただその人選がいけません」
「ちなみにいっそセルテ領を治めてみる気はございませんか?」
ライネリオはただ笑顔で首をかしげるだけだった。
ダメっぽい。
と、エルシィは言葉の先を目線で変えた。
その先にいるのは、先日『特別巡回執政官』に任命されて送り出されたばかりの旧侯爵エドゴルだ。
彼は侯爵号を禅譲した際の会話でエルシィの持つ元帥杖から家臣認定されたようで、今ではその名前を一覧に連ねている。
今日もそういう経緯でこの席に座っていたのだ。
「当然だが、俺もお断りさせていただく。
すでにこのセルテ領はエルシィ殿……いやエルシィ様を頭として動き始めている。
今更俺に復権などさせたら混乱するだけだぞ」
「ですよねー……」
エドゴルの言うことにも納得できてしまうので、エルシィは会議机に突っ伏した。
しばしそのまま動きを止めたかと思うと、ゆっくりと顔を横に向けて起こす。
「でしたらどうしたらいいと思います?」
訊ねる先は先ほど府君の地位を断った一人、ライネリオだ。
まぁ彼はエルシィがハイラス領にいた時はこうして相談役として働いていたのだから順当なところだろう。
「そうですね」
ライネリオは考える風に腕を組んで顔を少し上げる。
ただその表情はいつものさわやかかつ胡散臭い笑みを湛えているので、もう腹案はあるに違いないのだ。
それがわかっているから、エルシィは黙って彼がその案を口にするのを待った。
「私やエドゴル殿のように旧支配層の血筋とはしがらみがなく、なおかつその土地で相応の活躍があり、地位や人望がある方がふさわしいかと」
「条件が多いですね。
……でも、なる程です。そうした人物に、一人、心当たりがあります」
エルシィは深く頷き、そしてゆっくりと目を上げる。
会議に出席している主だった家臣たちがその視線を追い、指示している人物を捕らえて納得気に頷いた。
それは、旧ハイラス伯国において将軍府の長であり、今、エルシィ政権下においてもまた将軍の名を拝命している老美丈夫。
ラット・スプレンド卿その人であった。
「あー……」
当のスプレンド卿は少し困った顔で横を向いて頬をかく。
すぐ隣には長年のライバルであり、今や同主君を仰ぐ同僚である鬼騎士ホーテン卿がいる。
ホーテン卿はとても楽しそうな顔でニヤニヤしながらスプレンド卿を見る。
「ははは、良いではないか。
長年、将軍府を仕切って来ておるお主にはうってつけではないか」
「それを言うならホーテン。
君だって長年騎士府を治めているだろう」
「なんの。
騎士府は純粋にもののふしかおらんから、政治などよく判らぬ。
そこをゆくと海千山千の将軍府は格が違かろうよ
だいたい俺の経歴はジズ公国のモノだぞ」
「ぐぬぬ」
言い負けた風に悔しそうな顔をしたスプレンド卿だったが、数秒もすると一転して落ち着いた穏やかな顔に戻った。
それどころか「いいこと思い付いた」とでも言わんばかりのいたずらっぽい笑顔まで浮かべる。
「エルシィ様。小官、良い人材に心当たりがございます」
「スプレンド卿が『小官』などと名乗ると他の人が困りそうですね。
まぁそれはそれとして。
卿がお勧めするのは、いったいどなたですか?」
「長年、私の下でその能を振るい続け、今では政治も軍事も一人前以上にこなす稀有な人物ですよ」
「なるほど? あの人ですね?」
「そう。あの者です」
二人の視線が同時にその者を捕らえる。
視線を向けられた当人、現ナバラ市府のチョビ髭太守クーネルは、暢気にすすっていたハーブ茶を盛大に噴いた。
続きは来週の火曜日です




