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025ヨルディス陛下の出発

 結果から言うとその日の現場視察は、特筆するべきことなく終わった。

 まぁエルシィ初めての城下出張だったので、警護を担う近衛士二人の気苦労は如何ほどだったかお察しである。

 もちろん何を言い出すか解らないので、オーケを始めとした現場担当者も戦々恐々と言った態であった。

 ただ道路普請の様子などは日常なので、特に変わったことは起きやしない。

 エルシィの隠した表情から不謹慎にも「がっかりだよ」と言う声が漏れ出ていたが、関係者各位はホッと胸を撫でおろした。

 そして次の日もカスペル殿下からはお役目を振られる。

 朝食後に部屋に戻って着替えた後は、また兄殿下侍従のオーケがやってきて、本日の予定を述べる。

「本日のお役目は文司の会合です」

「文司は何をする司府なのですか?」

 予定を知り、エルシィは端的に疑問を呈した。

 文司と言う名前は初めて聞いたような、そうでなかったような。

 ともかく記憶があやふやだったので思い切って訊ねたのだ。

 オーケは昨日のエルシィから、「好奇心旺盛な姫君」と言う印象に更新したようで、こんな質問にも特に感慨なく答える。

「文司は公文書、古文書等の保管や管理を行います。あと訴訟を取り扱っているのもこの司府です」

「訴訟、ですか」

 名前からして前者の仕事は想像していた通りだったが、後者については少し驚いた。

 つまり裁判所のお役目である。

「そーすると、今日の会合は裁判ですか?」

「裁判……ああ、そう言ってもいいでしょう。実際には関係者からの聞き取りは終わっていますので、役員同士で話し合い、罪の軽重を決定するだけです」

「ほうほう」

 日本語からの女神通訳なので、たまにエルシィの言葉は一瞬通じないことがある。

 それでもそれは瞬く間の事であり、しばらくすれば意訳が出るようになっているらしい。

 ともかく、そんな返答を聞いて、エルシィはまた好奇心に目を輝かせた。

 警戒したオーケはすぐに額のシワを人差し指で捏ね繰りながらお小言を口にする。

「良いですか姫様。姫様のお役目はあくまで『出席』です。『参加』ではありません」

「はい、解っておりますとも」

 元気よく返事をするが、それが即答なだけに逆に不安なオーケだった。

「エルシィ様、本当に解っておいでですか? 見ているだけで口出ししてはいけない、と言われているのですよ」

 不安なのはオーケだけではなかったらしく、側に控えたキャリナが耳元でそうかみ砕いて言う。

「……解っておりますとも」

 エルシィはわずかに視線を逸らして、そう答えた。


 後は昨日と同じく城内二層の合同庁舎へ赴く。

 門や庁舎玄関でキャリナが記帳を済まし、昨日と同じ様に庁舎内をグルグルと歩いて目的の議場へと辿り着いた。

 エルシィは、キャリナが議場のドアに手をかけたところで、今日はこの段階から同行していたオーケに声を掛ける。

「本日の裁判に関する資料は用意してありますか?」

「すでにお席の方へ整えてございます」

 昨日の様子からそう求められるだろう、と思っていたオーケは得意顔で頷いた。

「さすがお兄さまの侍従ですね」

 これにはエルシィも満足げに頷き、小さく手を叩いて褒め称えた。


 議場の上座でエルシィとキャリナが資料を見始めしばらくすると、文司の役人たちがゾロゾロとやって来て、そして昨日の築司たちの様にギョッとした。

 すぐにエルシィの元へ参集して跪く。

「遅くなりまして失礼いたしました。姫様、ご挨拶の儀をお許しください」

 そして彼らは貴顕に対するつらつらとした言葉を述べ、エルシィはそれに対して短い返事を寄越す。

「はい。よしなに願います」

 そんな儀式めいたやり取りを終えれば、役人たちは慣れた様子で本日の議題へと取り掛かった。

 本当に慣れているのだろう。

 助手から議長に、争いごとのあらましや当事者それぞれの言い分、それに対する警士の調査結果などが書かれた資料を渡される。

 そこからは議長が読み上げ、並んだ役員たちが妥当な刑を口々に言っては判決を下していく。

 それをまた助手が書き留めて、次の案件へ移るのだ。

 この繰り返し。

 読み上げられている資料は先ほどエルシィが目を通したものと同じなので、せいぜいそれがどんな罪に問われるのかが最後に判る程度だった。

 なのでちょっとどころじゃなく退屈であった。

「ふぁ。眠くなっちゃいますね」

「寝てはいけませんよ」

「解っておりますとも」

 時折、キャリナとそんな小声を交わしつつ、その日のお役目は終了した。

 昨日と違って会合の終わりに余計なことを言い出さなかったので、オーケはホッと胸を撫でおろした。

「では部屋へ戻りましょうか、エルシィ様」

 役人たちと挨拶をして別れたところで、キャリナがそう提案するが、当のエルシィはキョトンとした顔で首を傾げた。

「まだお昼までには時間があるではありませんか。今日も城下へ参りますよ」

「え、どこへ行かれるのですか!」

 ギョッとして、警護についていたヘイナルが声を上げる。

 エルシィはとても良い笑顔を返す。

「昨日とはまた違う現場を視察に行きます。道路普請は一ヶ所ではなかったでしょう?」

 エルシィの言うことはもっともだった。

 昨日の築司で行われた会合で上がった現場は数件ある。

 その後視察したのはそのうちの一件のみであった。

「何もすべての現場を視察しなくても……」

 その一件の視察で満足したと思っていたヘイナルは、渋い表情でそう呟く。

 道路普請の現場など、子供が見て楽しいことなど何もないのだ。

 いや、子供だけではない。

 道路を作るために掘り、砂利を敷き詰め、均し、そして石畳を敷いていく。

 こんな単純作業の繰り返しで、大人が見るにしても退屈で仕方ない。

 まぁ退屈でも護衛はヘイナルの仕事なので不満は無いが、やはり城外へ出るなら護衛の手も増やさねばならないし、その分、城内散策なんかより手間も苦労も倍増するのだ。

 だが、エルシィは折れない。

「良いですかヘイナル。都市防衛で兵の移動は重要なファクターです」

 折れず、滔々と語りだした。

「兵をスムースに移動するには道路の出来は重要です。

 ならば、その普請現場を視察することは、わたくしに課せられた使命ともいえるでしょう」

 小さなコブシを握ってそう力説されれば嫌とも言えない。

 事情を知らないオーケは「なぜここまで」と首を傾げるところだが、エルシィの中身が女神様より遣わされた救世主であることを知っているキャリナやヘイナルからすれば、もう頷くしかなかった。

 まぁ救世主とやらの具体的な仕事は未だに判らないのだが。

 ともかく、そんなエルシィの屁理屈に負け、オーケとフレヤを加えた五人行列は、エルシィを真ん中にして、途中、馬車も使いながら城下へと向かった。

 そしてこの日の視察も、何もともなくつつがなく終わった。


 次の日はいよいよヨルディス陛下の出発である。

 朝食を終えたエルシィとカスペル殿下は、綺麗な石畳で舗装された城から港まで一直線に伸びる大通りを、数台の馬車と近衛の騎馬たちで列を作り港へ向かった。

 車中、カスペル殿下と向かい合わせで座るエルシィは、顔色を見て溜息を吐いた。

「食事の時も思ったのですが、少しお顔の色が優れないのではないですか?」

 そう、よく見れば確かに兄殿下の様子は数日前より元気を失っているように見えた。

 この言葉に幾らか瞳のきらめきを取り戻したカスペル殿下は、精一杯に笑顔を湛えて頷いた。

 一度気づいてしまえば、この笑顔もまた弱々しい。

「心配してくれてありがとう。

まさか母上の代理がこれほど忙しいとは思わなかった。これでは館まで食事に戻る暇がないのも頷ける」

 といいつつも、今のところ兄殿下は欠かさず食事の為に戻って来る。

 実のところ、妹との食事を欠かさぬために、慣れぬ仕事を少々無理してこなしているのだった。

 だがそこまでの事情は汲めないエルシィは、痛ましそうに頬へ手を当てて首を振る。

「お兄さま、無理はいけませんよ。お身体を害しては元も子もありません」

「そうだね。頑張るよ」

 話が通じているのかどうなのか、ともかくそんな言葉を交わしながら、馬車の一行は港に着いた。


 港にはすでに出港を待つばかりの三本マスト帆船が停泊している。

 沖には護衛用だろう、立派な衝角を備えた足の速そうな戦船がすでに出ていた。

 今日はこの出港が終わるまで他の船が出るのは禁止されているのか、少し離れた場所には、多くの漁船が停泊している。

 いや、すでに早朝からひと仕事終えて寄港しているだけなのか。

 この辺りは水司に訊けば事情が分かるだろうか。

 などと考えていると、桟橋から多くの側仕えたちを引き連れたヨルディス陛下がやって来た。

 彼女もまたカスペル殿下の顔色には気付いたようで、少しだけ厳しい顔になった。

「カスペル、何も私と同じ量の仕事をすぐにこなす必要はありません。

 急ぎの案件から順に片付け、期限が取れそうなものは私が戻るまで残しておいても良いですよ」

「ありがとうございます母上。初めのうちは多少無理して挑戦してみたく存じます。

 その後は仰せの通り、甘えさせていただきます」

 そんな息子の返答を頼もしく感じたのか、ヨルディス陛下はいくらか眩しそうに目を細め、優しげな顔で笑った。

 続いてその目をエルシィに向ける。

「エルシィ、初めてのお役目はどうですか? 困ってはいませんか?」

「大丈夫です。わたくし、ちゃんとお役目を全うしております」

 訊かれたエルシィは小さなコブシをぎゅっと握って力強く答えた。

 ヨルディス陛下は先ほどと同じ様に優しい顔で微笑み、今度はエルシィの傍らのキャリナに視線を向ける。

「エルシィはどうですか?」

「はい、大変頑張っておられます。できればもう少し抑えていただきたいところです」

 このキャリナの言葉には少し面食らったように呆然とし、その後クスクスと小さく笑った。

「側仕えたちの言うことをよく聞いて、つつがなく過ごすのですよ」

「お任せください。解っておりますとも」

 誇らしげにやる気を見せつつ胸を叩くエルシィに、一抹の不安を覚えるヨルディス陛下だった。

 そして陛下の一行は、ハイラス伯国へ向けて出港した。

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