231ぶんなげる
ありとあらゆる生物がその存在を維持するために必要な物質の一つ。
それが水である。
人は太古の昔から、この水をめぐって戦い続けて来た。
それは現代においても変わらない。
現代、我々の住む日本では、蛇口を捻れば飲むことのできる水が安価で手に入る為、あるいはその意識は薄いだろう。
だが、その水道水を管理する市町村、またはその上の都道府県単位で水利を争っているケースも多い。
例えばA市を流れる川の利用量のほとんどがB市に占められている、なんてこともあるし、鉄道会社が施設予定の某路線工事に対する反対運動も、元をたどれば水利問題がその根にある、などという例も存在する。
ともかく、人はその長い歴史の中で、水利争いについての正解を導き出せずにいると言っていいだろう。
それは、エルシィたちが住む世界においても同様だ。
防御側ペグル村。
これは川の上流を要する農村。
そして攻撃側だったアステス村。
これはその川下にある農村だった。
「ペグル村が川をせき止めてんだ。
だがら俺たちの村で畑に撒く水が足んねぇ!」
「何を言う。
水量が少ないのは雨が少ないせいだろうが。
うちの村だって難儀しておるのだ」
「嘘言うな、おめえの村では畑の水に困ってねぇって、マチュアが言っとったわい」
「マチュアなんか知るか。俺らだって嘘言ってねぇ!」
いっぺんタガが外れると、どちらの村の住人も互いに言い合いを始める。
だが、多勢に無勢なので賊として捕まり、そして今連れてこられたアステス村の代表の方が分が悪い。
そんな光景を呆れつつ眺め、エルシィは肩をすくめた。
「マチュアってどなたです?」
「さぁ、たぶんアステスの住人ではないでしょうか」
傍らにいるヘイナルとそんな言葉を交わしつつ、エルシィは「さてどうしたものか」と思案に沈む。
そも、先にも述べた通り、水利問題は簡単ではない。
土地の人間に任せれば必ずと言って拗れる。
そしてその拗れた人間を調停すべきなのは為政者で、エルシィはその為政者だ。
ただし、ここに一つ大きな問題がある。
エルシィは確かに為政者だが、この土地を治める為政者ではないということだ。
つまり、この争いを治める義務もなければ、実は口を出す権利すらないと言える。
「とはいえ、このまま放り出してしまうと、また始めるでしょこの人たち」
「そうですな。間違いなく殺し合いをまた始めるでしょう。
ともすれば相手の村を滅ぼしてしまえば、この問題は解決しますからのう」
「そんな乱暴な……」
ホーテン卿の言葉に嫌な顔で応えつつも、結局はそういう争いなのだ、と理解してエルシィは口をつぐんだ。
「エルシィ様、細かいことは良いので、賊をすべて打ち首にしてしまいましょう」
と、また乱暴なことを言うのはフレヤだった。
エルシィに対する無礼をはたらいた者以外には割と肝要なフレヤだが、なぜかこの件については過激だった。
「いやでも、口論を聞く限り、アステス村だけが悪いとも言えないような……」
「ならばペグル村? ……の連中も打ち首に」
エルシィは難しい顔でふむーと息を吐いた。
フレヤがこの問題に厳しいのは訳がある。
フレヤが孤児院出身である旨は以前にも述べたが、親無し子となった原因は彼女の父にあった。
彼女の父は元々ジズ公国の文司に勤める官吏であり、国内の水利権問題で不正を行った罪で未だ牢に繋がれている。
ゆえに、フレヤは親無し子扱いとなり、孤児院に身を寄せることとなった訳だ。
そんな身の上を重ねるがゆえに、水利権で醜く争うこの現場が、彼女には許せなかったのである。
まぁ、ほとんど八つ当たりと言っていいだろう。
それでも、そんなフレヤの気持ちもわかるので、エルシィはまた「ふむー」と腕を組んで頭をひねった。
その間にも、両村の人々は入れ代わり立ち代わり、エルシィに「相手を罰するべきである」という旨を訴えて来る。
困ったものである。
「エルシィ様。
こんな話に付き合っていては、我らの目的にも遅れが生じますよ」
スプレンド卿からもそんな苦言が飛んでくる。
見れば、側近衆のどの顔も「こんなことにかかずらっていられない」と口ほどにモノを言っていた。
エルシィも解っているのだ。
ゆえに、もう思考するのを放棄することにした。
先にも述べたが、そもそも外国人であるエルシィがこの問題を解決する筋合いはないのである。
「申し渡します!」
心を決めたエルシィは、彼女を囲む側近衆を押しのけるようにズイと前に出て、村人たちを前にデンと構えた。
それでもヒートアップした村人たちは黙らない。
迫力が足りないのだ。
そこへホーテン卿が再びグレイブの石突で床をガンと叩く。
あまりやり過ぎて、床板が今にも割れると悲鳴を上げている。
さすがにこれに恐れをなして、村人たちはいっせいに黙った。
「伯爵様のお言葉に傾聴せよ」
「あ、はい」
にらみを利かせた鬼騎士の様子に、誰もが口答えできない。
「申し渡します!」
エルシィはもう一度デンと構えて言い直した。
「この争いについてはハイラス伯の名において、一度わたくしが預かります。
その上で、この件を裁くようにとセルテ候へと上申することをお約束いたします。
ゆえに、沙汰があるまで争うことを禁じます。
水については、沙汰があるまでは暫定的ではありますが、互いに半々となるよう分けてください」
「そんな!」
「半分じゃ足んねぇ!」
村人から悲鳴のような声が上がるが、すぐにホーテン卿のことを思い出して顔色を悪くしながら押し黙った。
エルシィにしても心苦しいが、今は何が妥当か調査している時間もない。
最後に、エルシィはふと浮かんだ疑問をアステス村の代表の男に投げかけた。
「そもそもこの手の問題は文司に申し出るものでしょう。
なぜ武力に訴えたのです?」
ジズ公国では実際そうしてるし、政治機構が似通っている旧レビア王国勢であればそう変わらないはずである。
ではなぜ今回こんなことになったのか。
アステス村の代表者は答える。
「警士たちがいないうちにカタを付けた方が手っ取り早かろうって」
つまり、取締りが薄い今なら、既成事実を作ってしまえるだろう。
という目論見だったらしい。
これは、あまり同情とか必要ないかもなぁ。
と、エルシィは少し気持ちが軽くなった気がした。
水利問題はやり始めるとキリがないので後回し
続きは金曜日です




