220演説
「まずは、わたくしの勇敢な兵士のみなさまに感謝の気持ちを表します。
緒戦での防衛に成功することができたのは、ひとえに、皆さんの勇気と献身のおかげです」
エルシィがそのように言って頭を下げると、街道に立ち並んだ少なくない兵たちからどよめきの声が上がった。
それは動揺の声だ。
声を上げたのはほとんどがセルテ侯国からやって来た敗残兵である。
彼らも本国を発つ時、彼らの主君から激励の言葉を頂いている。
というか、それらは彼らが受けたわけではなく、あくまで将たちが受けたものだ。
ところがどうだ。
自分たちが攻め入ろうとしていた隣国の主君たるこの姫君は、自国の兵すべてに対して語り掛け、そしてお礼にと頭まで下げた。
セルテ侯国の者たちからすれば、こんな主君、見たことない。
という心境であった。
もっとも、それはハイラスの者たちもつい最近までは同様だった。
この小さな姫君。エルシィが自分たちの上に立つまでは。である。
今ここにいるハイラス兵のうち、およそ五〇〇名は彼女の家臣として立っているので動揺はない。
むしろどこか誇らしげですらあった。
起こったどよめきがある程度小さくなるのを待ち、エルシィは言葉を続ける。
「しかし、未だ戦争は終わっておりません。
むしろここからが本番と言ってもいいでしょう。
わたくしたちは、敵から我が国を守るために今後も全力を尽くさなければなりません。
ひとたびセルテの悪鬼たちがわたくしたちの領地へ押し入れば、田畑は荒らされ、街は略奪に会い、皆さまの愛する隣人たちが、友人が、恋人が、奥さまが、子供たちが、酷い目にあわされるかもしれません。
つまり、直面する危機は決して軽視することができないということです」
先ほどどよめいたセルテの兵たちは、今度は気まずそうに眼を泳がせ顔を伏せた。
自国の兵に掛ける感謝の言葉とは裏腹に、自分たちに投げかけられた言葉の何と厳しいことか。
しかし、これは自分たちの仕掛けた戦いの結果なので、言い訳の仕様もない。
まぁ実際には、彼らもまた上から命令されて従軍しているに過ぎないという理屈もある。
とは言え、占領した町村にて略奪行為が許されることを期待していたのも事実だ。
そうした心理があるからこそ、エルシィの批判的な言葉は胸に痛く、そして疚しくあった。
「この困難を乗り越えるためには、わたくしたち全員が一つになって戦うことが必要です。
もうしばらく、皆さまの力をお貸しください。
このような暴虐は、そう長く振るわせるつもりはありません」
壇上に立つハイラスの主君はまだ一〇にも満たない子供だが、それでも何と勇ましく、なんと義に満ちた言葉を連ねるのだろう。
セルテの兵たちは自分たちの境遇と比べて、ハイラスの者たちを悔し気に、そしてほんの少し羨ましそうにそっと眺めた。
ハイラスの兵たちの多くもその視線に気づき、逆に誇らしげに、そしてほんの少し煽るような視線を返した。
ところが、次の言葉で、そのすべてが息をのんで壇上の少女に注視した。
「そのために、わたくしが前線へと赴きます」
そのため、とはつまり、セルテ侯国の暴虐を打ち砕くためだ。
そのためであれば、この小さな少女が矢面に立とうという。
これにはさすがに、ハイラスの者もセルテの者も、すべてが驚きに目を見開いた。
「昨日今日の前線はここ、両街道にあります。
ですが、わたくしがこの前線を、わたくしの歩みで押し上げます。
もちろん、わたくし一人の力でどうこうできる戦いではありません。
ですから、皆さま、わたくしたちの土地、ハイラスを守るために、共に戦いましょう。
敵を退け、再び平穏を得る為に、勇敢に、一丸となって戦い抜きましょう」
ここに来て、ハイラスの兵たちには理解と喜びが広がった。
我らの主君は一方的に戦場へ行け、と命ずるだけの主君ではない。
共に国を守り、共に戦う同胞であるのだ。
これはもう、否応にも気分が盛り上がった。
すでに初戦の勝利はあるとはいえ、この勝利はまだ自分たちの力だったとは言えない。
なにせ、エルシィの最側近の一人であるバレッタ嬢の超越した奇跡あっての勝利である。
ゆえに、兵たちは心に固く誓うのだ。
こんどこそ、我らの力で主君に勝利を捧げるのだ。
いや、共に勝利を勝ち取るのだ。と。
そしてエルシィが演説を締めくくるように、元帥杖を持った手を高く掲げた。
「わたくしたちの、勝利のために!」
「勝利のために!」
自然と、ハイラスの兵たちの間から復唱の声が上がった。
その声は、次第にエルシィを讃えるモノへと変わっていく。
「我々はなぜ、このような国に攻め入ってしまったのだ……」
誰ともなく出たそんなセルテ兵の言葉は、とても小さかったというのに侵略者たちの心に重くのしかかった。
続きは金曜日です




