219カタロナ街道へ
神孫の双子のうち姉の方、バレッタがその覚醒スキルによって吹き飛ばしたカタロナ街道の土砂は、捕虜となったセルテ兵と防衛側の勝利者であるハイラス兵が一緒になって片付け始めた。
「なかよしはいい事ね!」
海上から陸へ戻ったバレッタが、スプレンド卿の隣までトテトテとやって来てそうのたまう。
全体の指揮官として作業風景を見渡していたスプレンド卿は、苦笑いを浮かべながら「おっしゃる通りだね、レディ」とだけ返した。
もちろん、お互いのわだかまりが消えているわけがない。
従っているセルテ兵の多くはバレッタの「|おーぷん・ざ・ふぁいやぁ《全砲門開け》」の光景に心を折られ、死んだ目をしたまま言われるままに作業しているし、何人かはまだ敗北を受け入れられないのか悔し気に瞳を歪めている。
ただ、それらを指揮する立場である隊長クラスの十数人は、何やら妙に晴れ晴れとした顔で現場指導に当たっていた。
バレッタは主に彼らの顔を見て、先の発言をしたのだろう。
その晴れやかな表情の原因を知るスプレンド卿は、複雑な思いと少しばかりの恐怖心にただ黙って肩をぶるっと震わせた。
つまり、彼らセルテの隊長格たちは、小歌姫ユスティーナの歌で一時、魔法的な魅了をかけらてた者たちだ。
あの「魅了の歌」にかかった者は、その歌が終わってもしばらくは多幸感に包まれ、歌声の主であるユスティーナの願いを多く叶えようとする。
とはいえ、この効果は然程長くない。
つまり今、作業に従事している彼らはすでに魔法的魅了の配下にはいないのだ。
それでも、あの場で感じた多幸感は憶えている。
ゆえに、彼らは喜んでハイラスの指示に従うのだ。
自分たちが仕えるべきはセルテではなくハイラスの御方である。と自然と宗旨替えしているわけである。
もっとも彼らの考える「御方」がどなたなのかは、まぁお察しだろう。
そのユスティーナはと言えば、少し高く積まれた土砂で作った簡素な舞台に置いた折り畳みの簡素な椅子に座って、指板が突き出たリュート属らしい弦楽器を弾きながら静かに歌っている。
これもまた、彼女の覚醒スキルの一つである「労働の喜び」という歌だ。
労働に対するネガティブな感情を和らげ、「よしやるぞ」という気持ちにさせる効果がある。
さて、そうして一度埋まったカタロナ街道が、どんどん元の姿に復旧させられていく中、スプレンド卿やバレッタの近い場所で忽然と光の粒が舞い始めた。
彼らも心得たもので、これがエルシィ、または彼女の家臣である何者かがやって来る前兆だとすでに理解している。
なので、その何者かが現れる場所を開ける為に数歩下がり、そして待った。
はたして、しばし後に光の中から現れたのは、堅牢かつ少しばかり豪華に設えられた馬車と、その周りに従う騎兵たちだった。
もちろん、それは伯爵館前から旅立ったばかりのエルシィご一行である。
スプレンドはその場で膝をついてかしこまり、馬車に乗座される御方が現れるのを待つ。
御者をしていたアベルが馬車を止めると、まず騎乗していた護衛のうち、まだ少年少女と言っていい十代半ばほどの男女が馬から降りて馬車の戸へ着く。
近衛士のヘイナルとフレヤだ。
二人は恭しくその扉を開け、中からは侍女のキャリナがあらわれ、その後にエルシィがゆっくりと降りて来た。
ちなみにもう一人乗っていたカエデは一番最後に確認しながら降りて影のように従っている。
「お待ちしておりましたエルシィ様」
「やっほーお姫ちゃん」
二者二様に挨拶を言上し、スプレンド卿とバレッタはご一行を迎えた。
「防衛任務と事後処理、ご苦労様です。
この後、皆様にお話があるので、集まっていただいてもいいですか?」
エルシィがニッコリと頷いてそう言うと、スプレンドはすぐに頭を下げて「ははっ」と返事する。
これはすでに予定通りなので、特に動揺もない。
スプレンド卿はすぐに傍らにいた補佐官に指示を伝えた。
「みな作業中なので、小一時間はかかるでしょう。
それまで我々の天幕でお茶でもいかがですか?」
ハイラス人、セルテ人、併せて一〇〇〇を超える人間を集めて話を聞く体制を整えようというのだ。
「はい集まれ」ですぐできるわけではない。
もっとも彼らは皆軍人なので、一般の人間よりは早いと思われる。
それでも、とスプレンド卿は小一時間という猶予を取った。
エルシィもそれを理解して特に口を挟まず、案内に従って天幕へと移動した。
たださっき伯爵館を出たばかりなので、特に休憩もお茶も欲してはいなかったが、それはそれなのだ。
エルシィはひそやかに「お腹ぽちゃぽちゃ……」と呟いた。
そうして天幕にて現場の報告やこれからの事などを話し、小一時間などはあっという間に過ぎ去った。
エルシィが再び天幕の外へと現れると、少し離れたところにはハイラス側の兵がおよそ七〇〇、そして崖崩れなどの巻き込まれながらも生き残ったセルテの兵六〇〇弱が整列していた。
彼らの前には先ほどユスティーナが歌っていた盛り土があり、ここもエルシィが立つにふさわしいようにということだろう。簡素な台と手すりが設えられ、櫓となっていた。
エルシィはアベルに手を取られながら、ゆっくりと櫓へ上る。
台上では左右に神孫の双子、アベルとバレッタを従え、台下には残りの側近衆が囲む。
「この度の防衛に当たられた将兵のみなさま、ごきげんよう。
ハイラス鎮守府総督エルシィです」
そしていよいよ、エルシィが舌足らずな口で、その小さな身体に似つかわしくないしっかりとした言葉を紡ぎ出すのだった。
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