217エルシィの出征…前準備
セルテ侯国の主城、エドゴルの執務室に突如現れたエルシィご一行。
さて、ここで一〇日ほどさかのぼってその登場プロセスを見てみよう。
つまりは、スプレンド卿やバレッタが勝利した翌日からである。
受けた侵略戦争を終結するため、エルシィが前へと出ることが決まった。
その準備ということでホーテン卿が御座馬車を準備しにハイラス主城の執務室から出ると、今度は侍女頭のキャリナが動き出す。
「さぁエルシィ様。お着換えの時間です」
「えー、このままでも良くないですか?」
少しめんどくさそうに言い放ち、エルシィが着ているスカートを翻して見せる。
今の服装はと言えば、まだジズ公国にエルシィが降り立ったばかりのころお勉強用などに使っていた茶を基調としたブラウスとスカートのコンビである。
言ってみれば文官スタイルに近いので、執務の時などに重宝する服装である。
もちろん、毎日同じ服という訳にはいかないので、近いコーディネートで何枚か着まわしている。
「いえ、他領に赴くのですから、大公家の娘としてそれなりの格式ある服装をしなければなりません。
でなければ、大公家のメンツにもかかわりますし、第一相手にも失礼に当たりましょう」
「そんなもんですか」
「そいういうモノです」
これについてはエルシィも判っていながら反抗して見せただけなので、肩をすくめて恭順を示した。
エルシィの中身は元ビジネスマンである。
それも日本国内のみならず、海外へも赴かねばならぬ商社マンだ。
海外には想像もつかない富豪というモノがいるもので、そうした者の中には元貴族、または現在をもってしても貴族という人物が少なからずいる。
歴史と伝統を背負ったそう言う家系の者は、人一倍、自分と、そして相手の服装をよく見ているのだ。
彼らと商売するには、やはり気を使った服装が必要であり、そこを疎かにするとそもそもスタートラインにすら立てない。
それを知っているからこそ、エルシィも渋々ながら納得せざるを得ないのだった。
私服はしま〇らやユ〇クロばっかりだったけどねー。と思いながらも。
さて、そういう訳でエルシィは後の政務の一切をライネリオに任せ、近衛たちを連れて伯爵館の自室へ戻る。
するとそこではもう一人の侍女である灰色の髪のたおやかな少女、グーニーが待っていた。
「ご旅行の準備は整っております」
「ありがとうございます」
エルシィが帰って来るなり、グーニーが柔らかい笑顔を浮かべてそう宣うので、エルシィもニッコリと返す。
見れば海外旅行をする時に使う様な大きなハード鞄が五つほど並んでいた。
何が入ってるのだろう……。
とゴクリ固唾を飲み、エルシィはゆっくりと目をそらした。
もちろん、あの中身のほとんどがエルシィを飾り立てる服飾品の数々であることは解っていて、あまり考えたくないのだ。
「これでは少なくないかしら?」
「必要とあれば、すぐ用意いたしますが……そもそもエルシィ様のお召し物自体が少なすぎるのです」
「……そうでしたね」
と、これはキャリナとグーニーのやり取りだ。
エルシィが立って出歩くようになって、まだ半年も経ってない。
それにしてはずいぶんと遠くへ来たものだと思わないでもないが、それはそれとして、貴顕の服を仕立てるには全く時間が足りないのである。
現代の大量生産大量消費社会に慣れた我々では想像しがたいところであるが、すべて手作業で進行される服作りにはとても時間がかかる。
しかもそれが高級素材と気持ちをふんだんに使い細心丁寧に仕上げる貴顕の服ともなれば、一着仕立てるのに最低でも一、二か月くらい普通にかかってしまうのだ。
そうなれば、まだ立ち居出来るようになって半年も経っていない今、エルシィの服が
貴族の娘にしては圧倒的に少なくても仕方がないのである。
ぜんぜん少なくないよ!
と声を大にして言いたいところだが、そこはじっと我慢の子であった。
エルシィも自分の感覚が庶民の、しかも男性視点であることは重々承知しているのだ。
ともかく、荷物の多少についてはキャリナとグーニー、そして侍女見習いとなっているねこ耳メイドカエデも加わって話が付き、今度は出立時に何を着るかという話題に変ってきている。
同室にいる近衛フレヤは「あらまぁこれは」と数ある服を見比べてにこやかに頷いている。
おそらく、エルシィが着たところを想像して悦に入っているのだ。
と、そこへノックの音が入る。
「どうぞ」
と、エルシィは咄嗟に返事した。
もっともこれは本来侍女の役割なので、キャリナたちはいっせいに気まずい表情になった。
果たして、返事を聞いて入って来たのは近衛士府長に就任したヘイナルだった。
「エルシィ様、こちらの手続きを一切任せて来ました。
護衛の任に着きます」
「うふふ、お願いいたしますね」
府長なので、ヘイナルはまだまだ司府仕事が山積みではある。
ゆえに普段、エルシィが領内にいる時はフレヤやアベルに護衛を任せることが多いのだが、それでも主君が他国へ赴くというのであれば随行しないわけにはいかない。
エルシィとしても、秘密を知る一人としてヘイナルをよくよく信用しているので、彼が来てくれることには大きな安心感を覚えるのだった。
「ホーテン卿の方は馬車の準備を終えたようで外で待っていますが……出立はいつになりますか?
そしてヘイナルが怪訝そうな顔で、数枚の子供服を持って言い合いを続けている侍女たちに目を向けた。
エルシィは肩をすくめて答える。
「あちらの話が終わったら、ですかね」
ヘイナルは大きなため息をつき、キャリナたちの輪に近づいた。
「どうせ順繰りで着まわすのだろう。ならどれでもいいではないか」
この言葉に女性陣は反射的にキッと睨みつけるような目をヘイナルに向けたが、すぐにそれもそうだ、という表情に変る。
そして顔を見合わせてそれぞれが手に持つ数着の服を突き出して見せた。
「ではヘイナル。最初の服をあなたが選んでください」
言われ、たじろいだヘイナルだったが、しばし視線を行き来させてその中からピンと来るものを指さした。
「最初はカタロナ街道でスプレンド卿たちに閲兵だろう?
なら、これが良いのではないか?」
侍女たちはまた顔を見合わせて頷くと、さっさとヘイナルを部屋から追い出して、エルシィのお着換えに取り掛かるのだった。
続きは金曜日に




