210将軍と伶人
カタロナ街道での戦闘があっという間に終了し、スプレンド卿は少しスッキリしながらも物足りないという顔で後処理に奔走する現場を眺めていた。
せめて相手が侵征軍大将であるサイードであれば、もう少し楽しめたのに。
シモン程度の小童では、まだ領都で騎士たち相手に打ち合っていた方がいい。
などと、小声にもならぬつぶやきをブチブチ言いつつも、表情だけはイケメンらしい笑顔を浮かべる。
これも働いている部下たちを不安にさせないための、将の務めである。
実際、エルシィを通して元帥杖の加護を得ているハイラス領の騎士や警士たちは、メキメキと腕を上げている。
おかげでスプレンド卿の見立てでは、他領の兵と比べて頭抜きんでる程度には育っていると思われた。
つまり、こたびの戦いでも、おそらく策なくとも負けはしなかっただろう。
というのが彼の自負だった。
もっとも、正面からの激突ともなれば、いくら実力で優っていようとも多くの犠牲が出たことは間違いないであろうが。
と、そんな具合でしばらく経った頃、彼のすぐ後ろ当たりで何かが光った。
一瞬身構えたスプレンド卿だったが、すぐに最近見慣れて来た光景だと判る。
誰かがエルシィの能力でこの地に移動して来る前兆だ。
いったい誰が来るのか。
少し楽しみにしながら虚空に集まり形を成してく行く光の粒を眺める。
最後に人の形になり現れたのは、今やハイラス領都で人気の歌姫となりつつある少女、ユスティーナであった。
「これは歌姫殿。
このようなむさ苦しいところに、ようこそお出で下さいました。
すぐにお茶の席でも用意させましょう」
スプレンド卿は腰を折って恭しくお辞儀をして出迎える。
これが他領の兵であれば「道化如きが戦場になにをしに?」などと思うところだろうが、そんな考えなどおくびにも出さず、ともかく大歓迎という態度なのがスプレンド卿らしい。
幼きから老いまで、ともかく相手が女性であれば、どんな時でも嫌な顔一つせずの丁重に迎えるのがスプレンド卿という人物だ。
彼は旧ハイラス伯国時代より、名うての紳士なのである。
「う、歌姫なんてよしてください。
ボクはまだまだ未熟な一介の伶人でしかありませんよ」
前髪を気にするような仕草をしながらそう答えるユスティーナだが、その髪に隠れた顔が赤いところを見ると照れているのだろう。
実際のところ、前述の通り領都でも評判であり、またエルシィ一派の一員でもある為、領都内で彼女を疎む者などほとんどいない。
いるとすれば、まだ反抗的な態度アリとして釈放されない、彼女の師でもあるユリウスや一部の吟遊詩人くらいだろう。
そのほとんどは、地位を向上したユスティーナに対するちょっとした妬みなので対処もしようがない。
「それにボクはお仕事をしに来たんです。
将軍、何なりとボクの役目をお申し付けください」
しばし照れていたユスティーナだったが、自分の使命を思い出しキリリと両コブシを握ってアピールする。
そんな少女をスプレンド卿は少し微笑ましそうに眺めてから、小さく頷いた。
「そうか。では、よろしく頼みますよ。レディ」
淑女、などと言われ、またあたふたするユスティーナだった。
さて、その日のナバラ街道も見てみよう。
こちらは昨日の防戦に成功してからは、特に敵軍の接近は無かった。
とは言え、こちらの土塁から半キロ強の距離に陣取るセルテ軍の方はそれなりに動きがある。
そんな様子を高い位置にあるテラスから見て、砦将クーネルは安堵の息をついた。
別に敵軍が押し寄せてこないことへの安心でなはない。
では何に対する安楽なのかと言えば。
「上司の目がない職場って、心休まるねぇ」
つい緩んで、そう、吐露した。
今日はエルシィがもう片方の戦場に注視しているので、こちらは見られていないのだ。
これを聞いた傍らに控えている彼の秘書は、少しばかりカチンとした表情を浮かべる。
「閣下? エルシィ様に何か不満でもおありですか?」
この秘書はクーネルがナバロ市府太守として赴いた時に、現地の官僚から有能そうな者を抜擢したに過ぎない。
であるから中央領都との関係性はほぼないだろうと思っていた。
だが、今の発言である。
まさかこやつもエルシィ様の信望者か?
クーネルは一瞬冷っとして虚空をこそっと見回してから、また息をついた。
「いやいや、別に何の不満もございませんとも。
ともすれば旧ハイラス家の方々なんかよりよっぽど伸び伸び仕事させてもらってますし?」
もっとも、その仕事は山と増えたがね。
と言わないのが、彼の処世である。
実際、クーネルは今の方が仕事しやすいと思っている。
上司のエルシィは無茶苦茶言うことも結構あるが、押さえつけて来ることはない。
平民から出世したクーネルにとって、それは中々有難いことなのである。
とは言え、彼はエルシィの信望者ではなく、スプレンド卿の信者だ。
これはもう、彼がスプレンド卿によって将軍府に引き上げられてからずっと変わっていない。
別にスプレンド卿のようになりたい、などと思っているわけではない。
出来れば恩返しに、自分の能力をかけて役に立ちたい。
という思いが、自分の身命と同じくらいの重さで存在するのだった。
「閣下」
「は、はい?」
少しばかり物思いにふけっていたので、再びの呼びかけに少しだけ焦る。
言を発したのは件の秘書女史だったが、振り向けば彼女の眼は特にクーネルを責めるモノでもなく、ただただ前方の敵陣方向を見ていた。
「陣から出て来たようです。また、戦いになりますか……」
心配そうな女史の言葉に、クーネルも自身の目で確認する。
出て来たのは戦力と呼べるほどでもない数騎だった。
「軍使、という訳ではなさそうだ。
あれは威力偵察? いや様子見だろう。
戦闘というほどのことにはならんと思うよ」
クーネルはそう、気楽そうに肩をすくめた。
伶人=音楽を奏する人
金曜は休載させていただきます<(_ _)>
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