209瞬間決着
「ケンカを売ったのは、君の方だよ」
セルテ侯国侵征軍副将のシモンは、ハイラス領防衛軍将軍スプレンド卿の騎馬の足元に転がった。
「つ、つえぇ……」
一騎打ちを挑み威勢よく飛び出したはいいが、たったの数合ほど互いのグレイブを合わせただけで、彼は吹き飛ばされ落馬したのだ。
しかもスプレンド卿は馬上ゆえに最も得意とする大剣は抜いていない。
ここまでの力量差があると悔しさすら浮かんでこないのが普通ではあるが、それでもシモンは負けた事実に歯噛みして、自らが転がる街道をコブシで叩いた。
街道は石畳などという上品なものではなく、大小織り交ぜた砕石であり、角が尖ったモノも多かった。
ゆえにシモンのコブシからはにわかに血がにじむ。
それでも、その傷などには顧みず、シモンはただ遥か頭上にいるスプレンド卿を睨みつけた。
この戦いの間にもスプレンド卿の後に続いた騎馬隊が、体勢の整っていないセルテ侯国軍を蹴散らした。
さらに後からやって来た歩兵の槍が突く。
そこへ来て将であるシモンの敗北である。
こうなれば多くのセルテ兵は最早戦意を喪失していた。
「シモン君……と言ったかな?
負けて悔しい気持ちはわからないでもないが、そろそろ選択した方がいい」
「何を言ってやがる。俺はまだ負けちゃいない。
生きているうちは、まだ負けじゃねぇ!」
この言い草を聞き、スプレンド卿は微笑ましくも思いつつ、苦々し笑いを浮かべた。
「そういうの、嫌いではないけどね。
でも君はこの集団の将なんだろう?
君は君の命以上に、彼らの命に責任があるのではないかい?」
それはまるで教導の様ですらあった。
スプレンド卿の言葉に怪訝そうな表情を浮かべたシモンだったが、彼の視線がシモンを導くように遠くを見たのでそれを追う。
そして、彼はやっと自分の立場を思い出した。
いや、自覚した、と言っていいだろう。
その視線の先には、明らかに勝敗が決しつつある戦場があった。
戦意を失ったが背後には崩れた崖があり、逃亡も叶わぬみじめなセルテ兵たちが必死に防戦に励んでいる。
それらを猛攻するのは当然、ハイラスの兵たちだ。
シモンはしばしその光景を信じられないもののように呆然と眺めたが、次期にがっくりと肩を落として呟くように、次いで最後には叫ぶように言った。
「俺の……いや、俺たちの負けだ。
俺たちの、負けだ!」
後半の言葉はさほど広く展開していなかった戦場にも聞こえたようで、ハイラスの兵たちはすぐに自分たちが対していたセルテ兵から数歩下がった。
セルテ兵たちも幾らかホッとした顔で槍を下げ、そしてすぐに投げ捨てた。
「状況終了です。エルシィ様」
スプレンド卿も肩をすくめて自らの持つグレイブの穂先を下げ、傍から見ればまるで独り言のようにそう言った。
程近くにいたシモンは不思議そうにキョロキョロと見回したが、次に聴こえた言葉でギョッとする。
「はい、お疲れさまでした」
それはまだ幼い舌足らずな少女の声だった。
まさかこの戦場にそのような者がいるとは思わなかったシモンは、慌てふためいてさらに声の主を探す。
「い、いるのか、噂に聞く、鉄血の鬼姫が!」
「誰が鬼姫ですか。ブチ殺しますよ」
言ったとたん、彼の頭に角が四角い何かがぶつかり、同時にさっきとは違う静かながらに迫力のある少女の声が聞こえた。
「???」
シモンが疑問符をまき散らしながら見回すと、彼の頭にぶつかったのは果たして、エルシィがスプレンド卿と通信するために顕現させていた虚空モニターであった。
その発言元を見つけても、彼にはそれが何であるか、まったく理解が及ばなかった。
「これ、実体があったんですねぇ……」
虚空モニターの画面中では、フレヤによって画角の端に追いやられたエルシィが、目を見開いて繁々とフレームを眺めているところだった。
「さてさて、後の処理はお任せして宜しいですか?」
「ええ、お任せください。
数日とかからずに私も動けることでしょう」
主君からの問いに、スプレンド卿がすまし顔でそう答える。
エルシィは少しだけ嫌そうな顔をしてから「ではお任せします」と答えて一時的に虚空モニターを消した。
エルシィとの通信が終わったスプレンド卿は改めて戦場となった街道を見た。
ひとまず敵将シモンは縄を掛けられ大人しくなっている。
降伏したセルテ兵たちはハイラスの兵たちに見張られながら、不幸にも死傷した仲間たちを片付け、その後はがけ崩れでふさがった街道の復旧作業に当たらされている。
たまに、分断された崖の向こうの後続隊から送られてきた、物見だろう数人の兵が顔を出す。
が、すぐにハイラス兵に捕縛された。
働かされている味方の兵やシモンを見るや、彼らはすぐに大人しくなり、こちらの指示に従った。
スプレンド卿はこれらの光景を満足そうに見渡すと、すでに消えた虚空モニターを追うかのように空を見上げる。
「さて、後はナバラ街道の様子次第でまた状況が動き出すかな。
楽しみだ。ねぇ、ホーテン卿」
彼のつぶやきは誰の耳にも入ることなく、空の青にかき消えた。
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