002側仕えたち
「エルシィ様、どうかなされましたか?」
心は上島丈二であるところの薄金色の髪の少女が、鏡の前で仁王立ちし腕を組みウンウンと考えていると、部屋の唯一の入り口である両開きのドアの向こうから声が上がった。
若い女性の声だ。
「えるしい?」
丈二は呼ばれた名前に首を傾げ、思い至って手を叩く。
「おお、『レジェンダリィチルドレン』だから、頭文字を取ってLCで『エルシィ』だっけ」
それは、あの怪しい露店で買ったゲームソフトで、丈二が主人公に付けた名前だった。
ソフトを購入した後、アパートに帰って押入れを探しゲーム機を引っ張り出した。
古い規格の配線に苦戦しながら何とかモニターに繋ぎゲームを起動。
そして主人公に名前を付けたことまでは記憶がある。
と言うかそこまでしか記憶がない。
つまり、疲れのあまりにそこで寝落ちしたのだろう。
「え、そうするとここはあのゲームの中? はっはっは、なんだ夢かぁ」
納得気味に呟くのと、返事が無いことに業を煮やした声の主がドアを開けて入って来るのが同時だった。
入ってきたのは二〇歳前後の女性だ。
長い茶の髪を後ろで纏めたその女性が着ているのは、黒のワンピースと真っ白なエプロン。
いわゆるメイドさんスタイルである。
もちろん、スカートは踝までのビクトリアンメイドだ。
ミニスカで胸元が開いたようなフレンチメイドでは、断じてない。
メイドさんは緊張気味の表情ながら楚々と部屋に踏み入り、呆然と立ちすくむエルシィに歩み寄った。
そして周囲を警戒するように見まわしてから、おもむろに額や手首に触れる。
「熱は……下がったようですね。安心しました」
ここでメイドさんは心底ホッとした表情へと変わった。
おそらく、『エルシィ』とはごく親しい関係なのだろう。
ここまでの短い言葉から丈二はそう判断し、今度は彼が緊張の表情へと変わった。
マズい。
それがこの時、彼が真っ先に思い浮かべた言葉だ。
丈二は今、エルシィの身体の中にいるらしい。
言わば少女にとりついた悪霊の様なモノだろうか。
そう考え、このメイドさんにそれがバレるのはいささかマズいのではないだろうか、と思い至ったのだ。
もちろん自分は悪霊のつもりなどない。
それでも、このメイドさんの立場からすれば、ごく親しい者が何者かに乗っ取られたのだとすれば、それはもう気が気でないだろう。
ご心配かけてしまいそうでごめんなさいメイドさん。
そう、このメイドさんを慮った瞬間がいけなかった。
この緊張と沈黙で、メイドさんは何かに気づき眉をゆがめた。
いや何かではない。
当然、このエルシィと言う少女に起こった異変についてだ。
「……あなた、エルシィ様じゃありませんね?」
メイドさんの表情は途端に険しいのもへと変わり、同時に身構えた。
身構えたとはいえ、どうも彼女は格闘などには慣れていないようで、その構えは全く様になっていない。
それでも全身で警戒している様は伝わってきた。
「あ、いや、その」
丈二も丈二で、慌てずにいられない。
警戒されようが丈二としては特に悪さをする気はないし、また、なぜこうなっているのかも解らないのだ。
少女の姿の丈二とメイドさんの間の空気が緊張に満たされる。
と、その時、扉の向こうから新たな登場人物が現れた。
「キャリナ、どうした! 姫様に何かあったのか!?」
そう言いながら扉を開けて飛び込んできたのは、若い男だった。
戦う者らしく短く切りそろえた黒髪に生真面目そうな顔。
詰襟紺色の軍服っぽい服装に、左の腰には短い直刃の剣らしき物が下げられている。
若い男はその剣の鯉口に左手を添え、いつでも抜ける様に身構えて、そして不思議そうに首を傾げた。
彼の目に映ったのは、イタズラを見つかって慌てて困っているような表情の姫君と、なぜか緊迫した面持ちの侍女であった。
「なにこの状況」
困惑ながらにも警戒は怠らない。
おそらここの男は護衛とか警護とかそういう仕事をする人なのだろう。
プロフェッショナルだ。
などと、丈二は若い男の姿に現状も忘れて感心した。
だがキャリナと呼ばれたメイドは当然状況を忘れず、視線だけはエルシィに向けたままに若い男へと鋭く声を掛けた。
「ヘイナル。この者を捕えてください」
「え? 姫様を?」
ヘイナルと呼ばれた若い男は、この言葉にはさすがに警戒も忘れて呆然とした。
彼は近衛士と言うお役目を大公陛下より直々に受けた、エルシィ姫を守る盾であり刃である。
その彼が、同じく大公陛下より命じられ、姫がもっと幼かった頃より側に仕えてきた侍女であるキャリナからの言葉を理解できなくても仕方がないだろう。
守るべきエルシィ姫を、捕える?
だがその困惑を解くように、侍女キャリナはすぐに言葉をつづけた。
「その姫様は偽物です。何者かが化けているか、あるいは操られているか」
このメイドさん、鋭い!
丈二は思わず拍手を送りたくなったが、さすがに自重した。
ここでそのような行動をとれば称賛とは取られず、むしろ挑発ととられかねない。
困った。
こんなに困ったのはいつ振りだろうか。
中央アジアの出張で銃撃戦に巻き込まれた時以来だろうか?
あの時に食べた肉まんじゅうが美味かったなぁ。
たしかマンティとか言ったっけ?
などと思考が現実逃避し始めた丈二だった。
また、そんな丈二と同じように「困った」と眉をしかめた近衛士ヘイナルだったが、しばしエルシィ姫と侍女キャリナを交互に見てから、とりあえずキャリナに従うことにした。
彼が姫に近しい直衛であることは間違いないが、キャリナは姫にもっと近い侍女だ。
彼女が言うなら、それが言葉通りでなかったとしても、そこには何かの意味があるのだろう。
そう考え、抜く構えをしていた剣からは手を放し、近衛士エイナルはジリジリとエルシィへと近づいた。
エルシィの姿をした丈二もまた、この状況に「どうしたものか」と思案する。
数多い海外出張からの教訓で言えば、「無実でも捕まったらダメ」なのだ。
日本人の感覚で言えば「悪いことしてなきゃ堂々としろ」と言われるだろうが、世界の国々には日本とは全く違う政体の国がある。
むしろ違う国しかないとも言える。
国によっては捕まるとそのまま裁判もなく有罪になることすらあるのだ。
何とかして逃げないと。
でもどうやって?
この丈二の考えは結果的に正しかった。
この時の侍女キャリナの心情をぶっちゃければ、丈二を捕まえた後は拷問処刑も辞さない覚悟だった。
丈二とは、彼女にとっては大事な姫様をどうにかした下手人なのだ。
ともかく、そんなそれぞれの思惑により、事態はジリジリと進行した。
「キャリナ、ヘイナル。待ちなさい!」
と、そこへ新たな人物の声がかかった。
いや、何やら聞き覚えのある声であり、厳密にいえば新たな人物、と言っていいかどうかわからない。
それは丈二の、いやエルシィ姫の頭上に現れた。
「ひ、姫様?」
侍女キャリナ、近衛士ヘイナルの声が驚きに重なった。
視線を追えば、声がした丈二の頭上を凝視している。
丈二もまた、この異常事態に恐る恐ると視線を上へと向けた。
そこには、今の自分と同じ姿の少女が浮いていた。
正確に言えば少し透けた姿でその足元はユラユラと揺らいで定かではない。
「足がないとか、古典的な幽霊さんだ……」
丈二は少し面倒になって、投げやりにそんなことを呟いた。