199開かれた戦端
「ちっ、やはりこの距離では当たらぬでござるな」
セルテ侯国サイード将軍は馬上から遠く土塁越しに見える砦のテラスを眺めながら、たいして悔しくもなさそうにそう舌うちした。
彼の手には常人では引くことすらできない強靭な弦を張った大弓が握られている。
今しがた、この大弓から放った矢が、視線の先にある砦のテラス腰壁に突き刺さったところだ。
「この距離で届く方が驚きですよ」
轡を並べる副官の青年が真顔でそう言う。
今彼らが立っている場所から砦まで、目測でおよそ八〇〇メートルはあるだろう。
いくら宙に弧を描く曲射をしたとはいえ、平地でこの距離を届かせるのは驚異の強弓と言えるだろう。
もちろん、それを引き、狙いを付けられるのはサイード将軍の腕力と修練あってこそなのだが。
「ふん、届いたとはいえ、当たらねばどうということは無かろう。
さぁ、気持ちを切り替えて砦へ攻め上がるぞ!」
サイード将軍が副官青年の言葉に鼻を鳴らし、そして率いる軍勢に対して叫びをあげた。
彼を囲むように布陣しながら進んでいた軍の総数は非戦闘員を除いて八〇〇名。
このそれぞれが困惑交じりに「おお!」と雄たけびを上げた。
それは「話が違うのではないか?」という困惑だった。
そもそもこの進軍において、最初の戦端が開かれる予定だったのは、今いるナバラ街道を抜けたもっと先だったのではないか。
まぁ、予定というのは得てして想定通りに進まぬものではあるが、かといってここまでがっつりとした衝突があるとは、誰も考えていなかった。
あってせいぜい小競り合いだろう、と。
とは言え、将からの下知があったからには動かぬわけにはいかない。
従う兵たちはいそいそと自分の武具やら何やらを準備し始めるのだった。
さて、昼前に土塁前まで到着していたサイード将軍率いるセルテ侯国軍だったが、戦闘準備が整ったのはその数時間後、お昼を少し過ぎた頃だった。
これがあらかじめ予想された戦闘であれば、到着前から行軍しつつ準備を進めるのだが、いかんせん予測外の接触であった。
ゆえに、武具を荷物から取り出したり輜重隊を退避させたりと、準備をいちから行わなければならなかったのである。
この準備に時間を使ったせいもあって、おそらくはハイラス領側の砦もまた、すっかり準備を整えたであろう。
と、サイード将軍は憮然と鼻息を鳴らした。
もっとも、土塁が邪魔で向こうの兵など殆どそうそう判るモノではない。
ひょこひょこと土塁の稜線状に顔を出す物見高い連中が、たまに見えるだけだ。
それでも互いに認識したうえで数時間経っても何一つ準備していないなどあり得ないだろう。
さて、どうして攻めたものか。
配下の兵たちが準備を整える間、サイード将軍は黙したままずっと思案していた。
本来であれば、砦や城、街などの拠点を攻めるなら、破城槌など攻城用の道具が必要だろう。
だが、この砦に関しては準備が全くなかった。
なぜか。
そもそも破城槌などの攻城兵器は重いので、現地にて調達するつもりだったのだ。
破城槌などと大仰な名が付いてはいるが、それは言わば丸太の加工品であり、槍や矛とは違い業物が必要なわけではない。
現地の森林などでちょうど良い樹木を切り倒してやれば一日もかからず出来るモノなので、わざわざ重い思いをして持って来るまでもないのだ。
もっとも、土塁相手に破城槌など役には立たない。
これを攻略するなら正面から斜面を駆けあがって越えるか、さもなくば工兵を使って地下を掘らせるくらいしかない。
投石機でもあれば話はまた別だろうが、あれを持って来ると、軍の進行スピードが著しく落ちる。
ゆえに、電撃戦のつもりだった今回は持ってきていないのだ。
「騎兵を先頭に突撃する!
歩兵はその後に続き、土塁を駆けて越えるのだ」
サイード将軍の号令が兵の隅々まで轟いた。
八〇〇名もいると騎兵の数はおおよそ一割ほどいる。
その騎兵たちが列から進みだしてサイード将軍の前に並んだ。
どの顔も意気軒昂。
急な接敵とは言え士気は程々に高い。
それもそのはず、これは緒戦なのだ。
必勝を信じて送り出された軍が、最初からヨレヨレな訳ないのである。
ひとつ、不満を言えば、ハイラス勢が偶にひょこひょこくらいしか、土塁上に顔を出さないことだ。
これでは弓で牽制しながら接近するという戦術が取れない。
まぁ、もちろんその弓を警戒してのことなのだろうが、あれではハイラス勢だって接近するこちらを攻撃もできないだろう。
いったい何を考えているのか。
サイード将軍は怪訝に思いつつも、自分の職務を全うするために叫びをあげた。
「吶喊!」
「おおー!」
応えて兵たちも声を上げた。
続いて騎馬たちが土塁に向かって速歩を始める。
歩兵たちも後に続いて駆けだす。
次第に騎馬たちは駆歩へ。そして襲歩へと移り変わっていく。
こうなればもう歩兵がいくら駆けようと、ついていくなど出来ようもない。
そうしてトップスピードにかかったおよそ八〇の騎馬が、あと十数メートルで土塁の前端へ足をかける。
そうなった時にそれは起こった。
頭上から、雨あられのような石が降って来たのだ。
「な、なんだと!?」
多くの馬が面食らって足を止めて棹立ちになった。
たかが石、と侮ってはいけない。
襲歩と言えばおよそ一般道を行く自動車並みのスピードで走っている騎馬なのだ。
手のひらに収まるほど小さな石でも、当たればフロントガラスが割れるだろう。
それが生物である馬なら、慄いても仕方がない。
勝気な馬もいたもので、足を止めなかった十数騎あった。
が、止まった馬も止まらなかった馬も、等しく石雨の洗礼を受けるのだ。
サイード将軍は必死に馬のスピードを落としつつ回避に専念する。
そうしながら並行して考えた。
タイミングが良すぎる。
このタイミングを計るような物見の姿は無かったはずだ。
最初に大弓で射たおそらく砦の指令もすでに引っ込んでいる。
では誰が計ったのだ?
得も言えぬ気味の悪さに、サイード将軍は一瞬だけ背筋をブルリと震わせた。
次は来週の火曜です




