198ナバラ街道の砦将
「砦将閣下、いよいよおいでになったようですよ」
「う、うむ……」
ナバラ街道を塞ぐように急遽でっち上げられたハイラス領所有の砦。
ひとまず街道砦などと呼ばれるその大きな丸太小屋のテラスから、いまいちやる気が見えないチョビ髭の中年クーネルと、その秘書らしい妙齢の女性が向こうを眺めて言葉を交わした。
向こう、とは。
すなわち街道で繋がるハイラス領のお隣さん。セルテ侯国側ということだ。
彼らが立っているテラスは段々構造三階建ての三階にある。
つまりは最上階であり、砦将である彼の指揮所兼、執務室兼、寝室となっている。
とは言え、建物が末広がりの構造なので、最上階であるここはそれほど広くはない。
まぁ、ここにこもるのは非常時の事なので、快適に過ごすためのモノではないのだ。
さて、今はまさに非常時であり、ゆえにクーネルと秘書、その他の砦を守る兵たちがここに詰めている。
砦から望む土塁の向こうにセルテ侯国軍がお目見えしているのがその証左だろう。
「諦めて帰ってくれないかねぇ」
「砦将ならお帰りになるんですか?」
土塁から距離を取った位置で足を止めたセルテ侯国軍を眺めつつクーネルが呟けば、秘書女史もまた呆れたような目で仕える主を見やった。
「君、なかなか鋭いねぇ」
クーネルは肩をすくめてため息を吐いた。
実際、クーネルも以前ジズ公国を攻めた時に「退きたい」と思った場面は幾らかあった。
だが軍を動かすということはそう簡単なことではない。
まず準備に時間もお金も人手かかるし、前線から遠く離れた地では全軍の主たる領主様が「攻めよ」と下知を出しているのだ。
簡単に無視して帰るわけにはいかないのである。
そうしたしがらみがある故、土塁の向こうにいる将とて、一度も攻めずに帰ることはないだろう。
そう、クーネルだって判っているのだ。
判っていながらも、言わずにおれないのがクーネルという男であった。
「まぁ、この砦ならそう簡単に突破されることはないのではないですか?
……私は専門でないので判りませんが」
秘書女史が上司の態度に肩をすくめながら視線を別へと移す。
そう、今自分たちが寄って立つ砦である。
先にも述べた通り、砦本体は三階建ての丸太建築物だ。
一階二階の層はそれなりの広さが取られ、砦に詰める兵たちを一応全員収容できるようになっている。
「一応」というのは言葉通りで、「詰め込めば何とか」ということだ。
基本的にそこまで考えて設計されてないのがこの急造砦であり、役割は監視でも検問でもなく、あくまでただ一つ。
ただいまやって来たセルテ侯国軍を跳ね返すこと。だけなのだ。
その分、防御力については全振りと言えるだろう。
砦本体の建築物は切り出した丸太そのままで組んであるので、木材はまだ乾燥前である。
これは将来的なことを考えればまったくもって良くないが、今、戦いに際して言えば、燃えにくい、断ちにくい、など利点もある。
またその砦を囲う堀と土塁が三重構造になっていて、さらに向こうには街道を塞ぐように盛られた土塁があるのだ。
ここを突破せねば砦本体を攻撃することすらできない。
「クーネルさん、お相手さんはもう見えてるのですから気を付けてくださいな。
こちらから見えてるとなれば、相手からも見えてるのですからね」
と、唐突にそこにいないはずの声が聞こえた。
秘書女史は一瞬ビクッとしてから、胡散臭そうな顔でその声の元を見やる。
声の元は、宙に浮いた四角く薄っぺらい妙な光る物体から発せられている。
これこそ、ハイラス領を治める鎮守府総督、エルシィの御業による虚空モニターだ。
秘書女史は未だ慣れない情景に頬をヒクヒクしながらも、失礼にならぬようにと頭を下げる。
クーネルはさすがに慣れたもので、ゆっくりと振り返って嫌そうにモニターに映った主を見た。
「陛下。お言葉ですが、ここから土塁の向こう、セルテ侯国軍のところまでおおよそ八〇〇メートルはあるでしょう。
見えたからと言っておいそれ何かできる距離ではありませんよ」
「……うーん、そんなもんですかね?」
エルシィはコテンと首を傾げつつ、視線をどこかへ向けた。
モニター越しのクーネルからするとその視線の先に誰がいるかわからなかったが、そんなものは疑問に持つより先に判った。
エルシィと変わってその視線の先にいた人物がモニターに割って入ったからだ。
それは老いてなお腱骨の徒。周辺国にて並ぶ者なしとも言われる騎士ホーテン卿である。
もっとも、クーネルの信望してやまないスプレンド卿は彼のライバルであり、「並ぶ者なし」という評判だけは納得できていないのだが。
ともかく、そのホーテン卿はいかにも楽しそうな顔をして言う。
「おい砦将殿、油断するなよ。
見たところセルテ侯国軍の将はサイード卿だ。
あやつ、腕力だけで言えば俺より上だぞ」
「え、そんなにすごいんですか?」
画面の見えないところで、少し驚いた声を上げたのはエルシィだろう。
ホーテン卿は「がっはっは」と笑ってその問いに答えた。
「国際交流で何度か会ったが、腕相撲では俺もスプレンドもあやつに勝ったことがない」
ひえぇ……。
と、クーネルは慄いた。
彼が知る中でホーテン卿もスプレンド卿もそのパワーはまさに別格だ。
特に元々軍人でありながら剣豪タイプではないクーネルなど、三人くらいで束になっても勝てる気はしない。
その両名に勝るというのだから、サイード卿恐るべし、である。
とは言え、だ。
「いやそれは恐ろしい話ですが……この距離で何が出来ますか」
そうなのだ。
八〇〇メートルという距離。
そしてその間にある数々の防塁がある以上、その腕力を生かしてサイード将軍がクーネル砦将を殴りつけるわけにはいかないだろう。
だが、ホーテン卿はニヤニヤしながら片眉を上げる。
「さて、そうかな? ほれ、危ないぞ」
そんな言いように疑問符を浮かべながらクーネルは恐る恐ると振り返る。
「あ!」
同時に振り返った秘書女史から悲鳴にも似た単声が上がった。
見れば、その遥か八〇〇メートル先から、一本の太矢が飛来するところであった。
「のわっ!」
クーネルがその矢の発する圧に負けたようにテラスの腰壁から急ぎ離れる。
そのすぐ後に「ガン!」という大きな音を立てて、矢は砦の二階と三階の間に突き刺さった。
さすがに直前で失速したようでクーネルまでは届かなかった。
とはいえ、「あそこから飛ばすとは、どれほどの強弓を使っているのだ」と、クーネルは流れた背中の冷や汗にゾッとする。
後ろでは画面越しに「ほらみろ」というホーテン卿の笑い声が聞こえた。
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