196女神の企み
女神アルディスタの神殿。
それは大陸のどこか、山岳地帯にある神殿だ。
アルディスタは世界の均衡を司る女神であり、上島丈二をこの世界に誘った張本人であり、また、ハイラス伯国やセルテ侯国をそそのかしてエルシィと矛を交えさせる張本人でもある。
そのアルディスタは神殿の風通しの良い広間で、優雅に籐で編まれた椅子に腰かけていた。
周囲に侍るのは三人の年端も行かぬ少年。
一人は大きな扇でゆっくりと彼女をあおぎ、一人は傅いて彼女の足の爪を磨き、最後の一人は傍らで冷えた飲み物の入ったコップとピッチャーを持って立っている。
アルディスタは満足そうに、しかしそれと読み取られぬよう物憂げな顔で彼らを眺めつつ、小さく感嘆の息を漏らした。
と、そこへ幾らか年長の少年が広間へやって来た。
「アルディスタ様。セルテ侯国の兵が進軍を開始しました」
少年は恭しく頭を垂れてそう報告する。
アルディスタは満足そうにうなずいて、優し気な目をして呟いた。
「そう。これでエルシィも磨り潰されて終わりかしら……」
クスクスと笑いながらそんなことを言う自らの主を、報告者である少年は怪訝そうな顔をしてから首を横に振った。
「いえ、そうはならないでしょう。
セルテ侯国は軍を二つに分けて出発しました。
どうやら二街道に分かれて進むつもりのようです」
「……なん、ですって?」
そんな少年の言葉で、アルディスタは唖然としたように口をポカンと開いた。
「それではエルシィを大軍で押しつぶすことが出来なくなってしまうじゃない!」
そして激高し、椅子から立ち上がった。
侍っていた少年たちは恐れおののき半歩下がって顔を下げる。
女神の怒りが自分たちに降り注がないよう、怯えているのだ。
だが、報告者である少年は小さくため息を吐いた。
「アルディスタ様。どうか冷静に。
聖下の目的を考えれば、実力差が拮抗していた方が良いでしょう?」
女神はそう言われ、しばし目をパチパチと瞬いていたが、すぐにバツの悪そうな顔をしてから誤魔化すようにそっぽを向いて笑う。
「そ、そうね。そうやって泥沼の戦いをしてくれる方がいいのだわ」
そう言いながらも、心の中では舌打ちをしていた。
アルディスタはイラついていたのだ。
何に、と言えば、この世界に呼んだはいいが、エルシィとなった上島丈二の行動が自分の思い通りでなかったために、だ。
ゆえに、多少目的から外れても、エルシィが潰れてしまえばいいと思っていたのだ。
とは言え、そこは女神の尊厳がある。
ここは少年たちの手前「計画通りである」という顔をして保たねばならない。
アルディスタはそう考えて、また優雅を装って静かに腰を下ろした。
さてさて。
ところ変わってこちらはハイラス領主城はエルシィの執務室。
こちらではアントール忍衆、棟梁アオハダに加えて、エルシィ補佐の一人であるライネリオと、これまた軍招集や訓練、砦建設にかかわる進捗相談の為に来ていた騎士府長ホーテン卿を交えてティータイム中だ。
「セルテ侯国軍はどのルートで来ると思いますか?」
具なしの小まんじゅうをホイと口に放り込み、エルシィがそう訊ねた。
茶飲み話としては物騒であるが、まぁ喫緊でホットな話題であることは確かである。
ホーテン卿は「ふむ」と腕を組んで地図を頭に思い浮かべた。
「可能性があるのは北西回廊と南東回廊、アンドール山脈越え、あとは海路でしょうな。
とは言え、海路と山脈越えは無いでしょう」
「なぜです?
お山はともかくとして、海は無いと言い切れないのでは?」
元々ジズ公国に攻め入ったハイラス勢は海路で攻め入った。
そのことが頭にあったため、エルシィは大きく首を傾げた。
まぁこれは、ジズ公国が島国であったため、それしかルートがなかったとも言える。
ホーテン卿は答える。
「海沿いに都があり、港も有するジズ公国やハイラス領であれば、招集した兵を船に乗せるのも容易でしょうな。
しかし、セルテ侯国の領都は内陸にありますので」
なるほど、兵は数が多くなればなるほど移動が大変になる。
一〇〇〇の兵士を公園から出してもう一度入れるだけで数日がかかった。
なんていう逸話も聞いたことがある。
まぁ流石にこれは大げさな例であろうが。
「俺なら……やはり数の利を捨てるのは馬鹿らしいから、まとめて全軍でどちらかの回廊を、それも出来る限り全速で抜けるのがよいと思うが……」
「いえ、おそらくですが、全軍を二つに分けて両回廊を通って来ると予測します」
聞いていた者がほぼ、ホーテン卿の戦略に納得して頷いている中、ライネリオだけが首を振った。
「ふむ、戦略上、それはセルテ侯国にとって美味くないのではないか?」
「美味くないでしょうね」
疑問に思ったホーテン卿の問いに、ライネリオが同意するもんだから場はなお混乱した。
「なぜセルテ侯国はマズいと判ってながらその戦略を選択すると思うのですか?」
と、この問いはエルシィから。
ライネリオはにこやかな表情を崩さぬままぬ頷いた。
「そうですね。
この時期にわざわざセルテ候が軍を上げるのは、おそらくエルシィ様を恐れたからと思われます。
で、あるならば、エルシィ様が旧ハイラス伯国を降した流れもよく聞いているでしょう。
それだけの情報があれば、セルテ候の性格から慎重を期して両回廊を塞ぐよう考えるのでは、と」
「なるほどー、さすがライネリオさん。
読みが深くていらっしゃいますねー」
エルシィは感心して深く頷いた。
頷き、賞賛しつつも、やっぱり首を傾げた。
「慎重な方なのに、なぜ急な侵攻を決めたのでしょうね?」
「そこは……私にも判りかねます」
まさにそこは、神のみぞ知る。というところだろう。
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