195将軍の策、侯爵の策
さて、そろそろおなじみになって来たセルテ侯エドゴルの執務室。
「して、進軍ルートはどうなる?」
引き続き、エドゴルは進軍についてサイード将軍に訊ねた。
こういうことは専制主がいちいち命令して動かすこともあるが、セルテ候は「専門的な仕事は専門家に任せるべき」ということを、ある程度弁えていた。
ゆえに、此度の侵攻についても、「侵攻し、公女を打倒する」という大方針は決めたが、以降は言葉悪く言えば丸投げであった。
そのことについて特に隔意のないサイード将軍は改めてカカトをそろえて答えた。
「この度は出来る限り電撃的に街道を通過し攻め入ることが大事と考え、北西街道を全軍で進む予定であり申す」
セルテ侯国とハイラス領の国境線は、大部分をアンドール山脈が塞いでいる。
ゆえに、旅人や商人が行き来するルートはほぼ二つに集約されることになる。
どちらもアンドール山脈を迂回して海岸線を行く、北西街道と南東街道だ。
当然ながらアンドール山脈越えという選択もあるにはある。
が、険しい天嶮を越えて行けるのは、それなりに登山経験を積んだ健脚者だけだ。
よもや軍を率いて越えるなど、正気の沙汰ではない。
ちなみに時は紀元前、我らの住む世界では軍を率いて山脈を越えて大勝利を収めた将軍がいた。
だがこれには山脈を越えた先に協力的民族がいたことや、山脈を越える時に道先案内をする者がいたことなど、様々な成功要因があったからこその成功である。
また、普通そうそう成功しない事例だからこそ、この戦いは燦然と輝く戦史に刻まれたと言えるだろう。
ともかく、通れる二街道のうち、一街道を選択して戦力を集中する。
これがサイード将軍の戦略であった。
敵となるハイラス領軍はセルテ侯国軍よりは少ないだろう、というのが、軍部におけるおおよその予想であった。
とは言え、その数が半分以下ということはないのだ。
いたずらに二街道へと兵を分ければ、局所において兵数をハイラス側が上回る場合もあろう。
戦いは数である。
これは戦争において常識であり、たいていの場合は正解である。
特に戦争準備において数をそろえることが出来た側は、いかに分散させず、敵に各個撃破の機会を与えないことこそが肝要なのだ。
ゆえにサイード将軍は一六〇〇という兵数をまとめて街道通過させることにしたのだった。
だが、これに不安を覚える者があった。
そう、この国の専制者であるセルテ侯エドゴルである。
彼はしばし視線をさまよさせてから絞り出すように言った。
「それで、……大丈夫なのか?」
「と、いいますと?」
何を問われたのかわからない。
そういう風で、サイード将軍は眉をひそめる。
実際彼が選択した戦略は、おおよそ正しいはずであった。
セルテ候はその不安を吐き出す。
「過日、ハイラス伯国がかの公女に盗られた時のことを思い出せ。
あの時、あの鉄の女児は思いもしない早さで旧ハイラス伯の隙をついたではないか。
そう、例えばだ。
我らがセルテ侯国軍が北西街道を全力で通過中に、かの公女の軍が南東街道を通過してこの城を攻め落とすとは考えられんか?」
何を馬鹿な。
とサイード将軍はため息をついた。
そういう経緯でハイラス勢がセルテ侯国主城を攻めることが可能か。
と、考えれば、まぁ不可能ではない。
ただし、これを実行するためにはセルテ侯国軍の動きを逐一知っている必要があるし、第一、攻め上がられたとしてこちらの主城とて空ではないのだ。
ハイラス勢も守兵を残さぬわけにはいかないだろうし、簡単に成る策ではない。
そう結論付け、サイード将軍は首を振った。
「陛下の杞憂は理解しますが、なおさら先にハイラスの主城を落としてしまえば良いことです」
しかし、この言葉でもセルテ侯エドゴルは安心できなかった。
「安全策は必要だ。南東街道を封鎖できぬものか……。
いや、いっそ軍を二つに分けて両街道を通り、ハイラス領へ入った後に合流して主城を攻めればよい。
であろう?」
「あ、いやそれは……」
名案とばかりにバッと立ち上がったセルテ候の言葉に、サイード将軍はつい答え淀んでしまった。
ゆえに、彼はこの時のことを後悔する羽目になる。
「いやそうだ、そうせよ。
進軍時の数が減れば、それだけ足も速くなるのであろう?
そう言ったな?
ははは、良い案ではないか。よしこれは厳命である」
そう、言い淀んでいるうちに、その否定したい案は、案から主命へと変わってしまったのだ。
こうなればもう逆らう訳にはいかないだろう。
「……仰せのままに致し申そう」
サイード将軍はそう言うしかなかった。
敵方ばかりで申し訳ありません<(_ _)>
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