191現状の把握
元帥杖の権能を使いアンドール山脈の温泉よりたちまち戻ったエルシィたちは、ひとまず荷物などを各屋敷や自分の部屋に置いてから主城の会議室に集まった。
今、評定の間などともよばれる会議室には、温泉旅行へ同行していた侍女キャリナ、神孫姉バレッタ、吟遊詩人ユスティーナ、近衛士フレヤ、老騎士ホーテン、元将軍スプレンド、神孫弟アベル、忍衆兼メイドのカエデなどがいる。
他にも自らの仕事が忙しくて温泉に同行しなかったヘイナルやエルシィのいない間の留守居役として残ったライネリオも呼ばれた。
また、此度は主戦場になる可能性の高い国境近くのナバラ市府の太守クーネル、カタロナ市府の太守フリアンも虚空モニター越しのリモート参加である。
「ではこれより、第一回、対セルテ侯国会議を始めたいと思います。
ご意見や希望などありましたら忌憚なく発言することを求めます」
まず開会についてエルシィがそう宣言した。
と、モニターの中で肩をすくめたクーネルが口火を切る。
「緊急、とのお呼びでしたが、いったい何があったのですか?
まずその経緯からお願いしたいですな」
これには同様にリモート参加のフリアンや、また温泉に同行していなかったヘイナルたちも頷いた。
「おお、そうだな。
おぬしらにはまずそこから話さねばならんだろう」
すでにセルテ侯国と激突後のことに思いを馳せていたホーテン卿がポンと手を叩く。
「ではホーテン卿からお願いできますか?」
これ幸いとエルシィが話をぶん投げる。
「ふむ、よろしいでしょう」
ホーテンは大仰に頷いてから席から立ちあがった。
「姫様がセルテ侯国を探るために送り込んでおった忍衆から報告があった。
セルテ侯国に進軍の兆しアリ、とな」
「なんと……それはこちら側に、ということで間違いはないのですか?」
一瞬、耳を傾けていた者たちが息をのんだ音が聞こえ、その中からヘイナルがそう訊ねた。
エルシィは無言で視線をカエデに向ける。
カエデは小さく頷いてから口を開いた。
「そこまではまだわからないにゃ。
ただ兵糧を集めているのは確かで、近いうちにどこかへ兵を出すのは間違いないとアオハダは言っていたにゃ」
アオハダはホンモチの引退でアントール忍衆の棟梁となった壮年の男だ。
彼はエルシィからの指示を受け、周辺諸国へと忍衆を数人ずつ送っている。
そのうち、セルテ侯国へ送った者たちからの情報である。
もちろん彼らは情報収集や工作の専門家であり、軍事政治にはそこまで造詣深くはない。
それでも情報を集める専門家としては「その情報がどういう意味をもつか」をある程度分析する訓練をしている。
これはおよそ一〇〇年を費やした彼らの蓄積によるものだ。
「信用に値する情報、ということでしょうな。
まぁ、まだ確定ではないとはいえ、十中八九、ハイラス領が目標でしょう」
自慢のチョビ髭を撫でつけながら、クーネルがやれやれとため息をつく。
「なぜそう言えるのですか、クーネル先輩」
と、疑問顔で訊ねるのは、もう一人のリモート参加者フリアンだ。
彼もそれなりの能力を持つ人物ではあるが、つい先日までいち軍人だったので国際情勢まではあまり詳しくない。
というか、情報の伝達手段が人間同士の対話や書物、手紙などでしかないこの世界では、自国以外に興味を持つ極上層部の人間でないと国際情勢など知らないのが普通だ。
むしろある程度把握しているクーネルの方が特殊と言えるだろう。
クーネルは自分の情報を開示して良いかの判断を視線でエルシィに投げかける。
そしてエルシィの小さな頷きをもらってからフリアンと、その他、彼の話に耳を傾けている者たちに向けて口を開いた。
「私もそれほど詳しいわけではありませんがね。
まず前提として、セルテ侯国は我がハイラス領とは違い、いくつかの国と陸路で隣接しております」
「ここは大きな半島だから、周りほとんど海だもんね」
頷くようにそう言ったのはバレッタだった。
彼女は水司出向の身で、港や海岸、また海にいることが多いので特に実感が強いのだろう。
クーネルとバレッタの言う通り、セルテ侯国は海に面した土地有れど比較的内陸国と言えるし、ハイラス領は陸で接する国有れど、ほぼ海洋性国家と言えるだろう。
「こほん。
えー、そうですな。
ともかく、多くの国と接するセルテ侯国ですが、そのほとんどが自国より小国であり、セルテ侯国の敵とはなり得ない軍事規模しかありません。
つまりですな、それらの小国相手にするのに、わざわざ兵糧をいつもの備蓄以上に集める必要はないのです」
「その小国群がセルテ侯国包囲網を敷いて連合を組む、ということはあり得ないかい?」
そう口を挟んだのは旧ハイラス伯国の将軍であり、現状はエルシィの元で群を束ねる
スプレンド卿だ。
言葉こそ質問調ではあるが、その表情を見れば答えは知っているという態である。
「もちろんないとは言えませんが……小国群の不満はあれど、セルテ侯国を討とうという機運まではない、と聞き及んでおります」
スプレンド卿はその回答に対して満足そうにうなずいた。
彼ら軍部の人間としては、おおよそ同じ認識を持っているのだろう。
実際、セルテ侯国は大国として周辺の小国に幾らか傲慢な要求をすることはある。
これは大きな企業が下請けに多少強引な取引を持ち掛けるようなもので、それほど珍しいこともない。
これがあまりにひどくなり、「要求をのみ続ければ国が亡ぶ」というレベルになれば、もちろん連合もあるだろう。
ただ、まだそこまで酷い不満は溜まっていないという現状なのだ。
それに、とエルシィが言葉を挟む。
「それに、もしそういう機運があるなら、そちらに行っている忍衆からそういう報告があるでしょうしね」
この言葉にカエデも深く頷いたので、「そういう情報はないのだろう」という証左として皆は納得した。
ともかく、話をまとめれば「状況から見て、セルテ侯国が目指すのはハイラス領だろう」という共通認識が出来たと言っていいだろう。
「さてさて、問題はここからですね。
セルテ侯国さんちはいったい何人くらいで攻めて来るのでしょう」
一同はエルシィに視線を戻し、緊迫した様子でその答えを発する誰かを待った。
答えは、やはりというか、旧ハイラス伯国で軍事を司っていたスプレンド卿からだった。
「セルテ侯国全軍は四〇〇〇と言ったところです。
が、出てくるのは最大で二〇〇〇。それは無いにしても少なくとも一五〇〇は出してくるでしょう」
実際にセルテ侯国は一六〇〇を準備しているが、その正確な数を知る者がいない以上、スプレンド卿の予測はかなり正確だったと言えるだろう。
眉をひそめたエルシィが訊ねる。
「対するハイラス領はどうです?」
「……全軍かき集めればで一六〇〇。
迎撃戦に出せるのはその最大でも一〇〇〇というところでしょうね」
どちらも全軍出撃という訳には行かない。
都市の治安や国境防衛に残さなければならないからだ。
それでも、比率で見ればハイラス領は海に囲まれている分多く出せる。
が、国力が違うのでどうしても実数で負けるのだった。
「ふーむ、数で負ける分、どう戦いましょうか……」
ここからが対策会議は本番となる。
続きは来週の火曜予定です




