187新たな主君と新たな家臣
そしてセルテ侯国主城が謁見の広間にて。
「そのほうが『山里の民』か。
して、余になんの話がある?」
最も高い位置に据えられた装飾の多い首座に着いたエドゴルがそう声を発する。
この間には彼の護衛を務める近衛や侍従、そして官僚たちの長が数名立ち並んでいる。
また、エドゴルと相対する最も低い位置に、ねこ耳としっぽの生えた若い男が平伏していた。
まるきり村人風情の服装のその青年は、恐縮しきりに頭を下げたまま口を開ける。
「わ、わたくしは『山里』にて若衆数名を与るクヌギと申しま」
「よい」
「……は?」
名乗りを上げようとして頭上から降ってきた遮る言葉で思わず顔を上げた。
上の首座にあるエドゴルは、心底興味無さそうな顔でクヌギと名乗りかけた青年を見ていた。
「お前の様な端下の名など良い。
謁見を求めた理由を話せ」
「は、はぁ」
クヌギはキョドキョドと動揺しつつも、気を取り直して姿勢を平伏へと戻す。
「陛下に置かれましてはご不快と思われますが、『山里の民』はハイラス伯エルシィの軍門に下りましたにゃ」
場に集まった者たちがどよめいた。
ここにいるのはセルテ侯国の中でも『山里の民』の存在を知るほんの一部の者たちだ。
ゆえに、『山里』の有用性もよくわかっていたし、その『山里』が他国に抑えられたという事実に動揺した。
エドゴルもまた奥歯を強く噛んだ。
耳元で「ほら見なさい」と言う女神を詐称するあの怪かしの声が聞こえたような気がした。
「して、お前は『山里の民』かハイラスからの使者と言う訳か?」
歯噛みしつつもそんな素振りを露とも見せず、セルテ侯エドゴルは鋭い目つきでねこ人の青年を見る。
見られたクヌギは小さくブルリと震えて、緊張で息を乱しながら答える。
「い、いえ! その……わたくしはハイラスに従うを良しとせず、里を抜けてまいりましたにゃ。
旗下に同じ考えの者を四人連れてまいりましたにゃ。
ぜひ、陛下の元で使っていただければと……」
エドゴルはこれを聞き、少しだけ気が抜けた思いだった。
苛烈にして鮮烈なイメージだけが伝わって来るエルシィとやらのことだ。
こうした裏切り者など許すと思えなかったからだ。
しかし今、こうして離脱者がここにいる。
案外、噂は大きくなりすぎているのかもしれないな。
エドゴルはそう結論し、小さく頷いた。
「よかろう、お前を連れて来た者たちの長と認めよう。
お前とその配下の者はこれからセルテ侯国の民として、余に仕え励め」
「ははっ、このクヌギ、身命にかえて陛下のお役に立ちますにゃ」
クヌギは激しく恐縮して床に頭をこすりつけた。
が、エドゴルは終始、彼には興味薄そうな態度のまま手振りだけで「退出して良い」と指示を出すのだった。
ところ変わってハイラス領主城の謁見の広間。
ここでも新たな主従が顔を合わせていた。
もっとも高い首座に着くのは、当然、我らが八歳女児、ハイラス鎮守府総督にしてハイラス伯エルシィ。
そして相対する低い位置に平伏するのは、ねこ耳としっぽを生やした壮年の男だった。
「お初にお目にかかりますにゃ。
それがし、ホンモチの家督を継ぎ新たに『山里の民』の長となった者にございますにゃ。
今日よりそれがしを『ホンモチ』とお呼びくだされにゃ」
エルシィは目を輝かせて彼の口上を聞きつつ、ただ少しだけややこしそうに視線を斜め上にあげた。
「ホンモチさん……ホンモチ青年……うーん、やっぱりホンモチのお爺ちゃんとこんがらがりそうですね。
別の呼び名は無いんですか?」
「べ、別ですかにゃ?」
今日からホンモチ、と名乗った男は少しばかり動揺した。
まさか家督と名を継いだすぐ後に、新たな主君からこんなことを言われるとは思ってもみなかったのだ。
「あ、ホンモチと言う名前に誇りとかあったらゴメンナサイ。
ただちょっとややこしいと思って」
「確かに……まぁ」
男もちょっと共感してしげしげと頷く。
当たり前だがこれまで男は別の名前があったし、そう呼ばれてきた。
それが父親の急な引退で、急にホンモチの名を引き継ぐことになった。
昔から継ぐことは決まっていたので否は無かったが、それより今までの名前の方が愛着があったのは間違いない。
「ついでに訊いちゃいますけど、里の皆さんは『山里の民』って名前に愛着あります?」
またもやまさかである。
まさかまさか、そんなことを聞かれるとは思ってもいなかったので、男はまた戸惑ってマゴマゴした。
しかし問われて考え、しばらくしてから返答を口にする。
「いえ、アンドール山脈に追いやられた歴史は、我らにとっては屈辱の歴史ですにゃ。
まわりからそう認識されているから『山里の民』と名乗っておりますが、どちらかと言えば忌むべき名前にゃ」
そうなのだ。
彼らが山脈に住むようになったのは、ある時期に起きた迫害のムーブメントによる敗走なのだ。
これが屈辱でなくて何だというのだろうか。
まぁ、もっとも、それはすでに何代か前の話であり、現代を生きる彼ら山里の者にとってはそれほど腹立たしいわけではなかったりもするのだが。
ともかく、ねこ人の男の言葉を満足そうに訊いたエルシィは大きく頷いた。
「では今日からあなたたちは『アントール忍衆』です。
あなたも元の名乗りをしてください」
忍衆!
初めて聞く言葉だが、妙にしっくりくる。
しかもそれは蔑みの名前でなく、新たな主君より頂いた栄誉ある名前である。
男はそう思って感動にうち震えた。
「それで、あなたの名前を改めて聞かせてください」
「ははっ、それがしの名は……」
これまで迫害、汚れ仕事と、影に生きて来た彼ら『草原の妖精族』の集団が、歴史にその名を刻んだ瞬間であった。
後の歴史家たちは突然史書に現れた彼らがどこから来たのか、大いに悩むことになる。
以上で一度区切りをつけて二章を終わりたいと思います
三章は年明けて1/10辺りから開始する予定です
コンゴトモヨロシク……




