184地下室で合流
エルシィがイナバ神との対話を初めて幾分が経ったろうか。
対外的には中身が空っぽになった大亀の甲羅をテント代わりにしてむにゃむにゃと安らかなお昼寝をしているようにしか見えないエルシィだが、これでも厳かな領地継承の儀式をしている最中である。
……のはずである。
少しだけ懐疑的になりつつも、アベルとフレヤは眠り続けるエルシィを眺め続けるしかなかった。
いや、他にもやることはあるな。
と、アベルがひらめく。
その視線の先は大亀魔獣が出て来た壁の先だ。
ヤツは、この地下室の奥の壁を破壊してやって来たのだ。
つまり、その奥にも何か部屋があると思われる。
「ちょっとあっちを探って来る」
「アベル?」
言うや否や、フレヤの呼びかけに止まるでもなく、大亀の向こうへと小走りに行こうとした
「待ちなさい、アベルあなた、ケガしてるんだから。
私が行きます」
と、フレヤは強引にアベルの方を掴んで引き戻した。
「いてぇ!」
そして、ケガしている背中に盛大に響き、アベルが大きな声を上げるのだった。
そうしてアベルと入れ替わりにフレヤは崩れた壁の奥へと消えていく。
アベルは背中を気にしながらもそんなフレヤを見送って、むにゃむにゃしているエルシィを見守る作業へと戻る。
これからしばらくは、何があろうとまたアベル一人でエルシィを守るのだ。
まぁ、このガランとした地下室で大亀魔獣以上の何かがやって来るとは思えないが。
そうしてまた幾分が経過した頃、彼女彼らが落ちて来た穴からやっとロープが降りて来た。
その直後には、当然、筆頭近衛のヘイナルがスルスルと降りて来るのだ。
「ふぅ、やっと下にたどり着いたか……だいぶ深いな」
床に着地して、今、降りてきた穴と地下室を目視する。
エルシィが出したのであろう、虚空のモニターが真っ暗なはずの地下室を照らしていたおかげで、新たに灯りを出す必要がないことに安堵しつつ、ヘイナルはそう呟いた。
そして、ほど近い位置に腕を組んで仁王立ちするアベルと、その視線の先の大きな甲羅を見つけてギョッとした。
「アベル! それは何だ」
「ああ、ヘイナル。やっと来たか。
これは……見ての通り大亀の甲羅だな」
「ホンモチ老が言っていた魔獣か」
「おそらく」
「それで、エルシィ様は?」
続けて問われ、アベルは無言のまま微笑まし気な視線を亀の甲羅に向ける。
ヘイナルは怪訝そうに首を傾げつつその視線を追ってギョッとした。
どうやらすでに中身は空っぽになっている大きな亀の甲羅の穴から、子供の脚だけがちょろりと覗いているのだ。
「アレがエルシィ様か? 無事なのか!?」
すわ、食われたのか? それとも何かのトラップか?
そう心配したが、アベルの表情をもう一度見てホッとした。
「そうか……無事なんだな」
もしエルシィの身に何かが起きていたなら、護衛であるアベルがこんなに平静であるわけがない。
だが、である。
主君の無事が判ったのは安心事項ではあるが、事情が全く分からない。
「そう言えばフレヤは?」
またもや問いかけたところで、地下室の向こうからフレヤが現れた。
「向うの部屋はここより狭くて何もありませんね。
と言うよりその大亀を閉じ込めて埋め封じた部屋ですね、あれは」
そう言いながらやってきたフレヤは、すぐにヘイナルに気付いて小さく手を挙げた。
「それで、エルシィ様は何をなさっているのか?」
どう見ても気持ちよさそうな午睡中にしか見えないが、この状況でフレヤ達が起こさないのだから何か意味があるのだろう。
ヘイナルはそう気を取り直してまた問いた。
「神様との対話中だよ。
例の金璽が見つかった」
アベルが端的に答え、ヘイナルはなるほど、と頷き、もう一つの懸案事項へと質問を移す。
「それで、この甲羅主はどうなったんだ?」
今更ではあるが、対大亀戦の詳細がアベルの口からやっとここで伝えられた。
「そうか……」
すっかり話を聞いてヘイナルは低く唸った。
魔獣がいたのだ。
魔獣とは、大昔の、それこそ旧レビア王国建国前まで遡るような、もはや伝説かおとぎ話かという物語に出て来る恐怖の象徴である。
まぁ、そんなモノから比べれば、この甲羅は想像よりだいぶ小規模のように感じるが、それでも魔獣であることには違いないのだろう。
倒した後に肉が泡と消えたという現象が、それこそ伝承にあった魔獣の特徴と一致するのだ。
まぁ、伝説は所詮伝説。
いろいろ誇張もあるだろう。
「しかし、実在したのだなぁ。
それにしてもフレヤとアベルが協力して、エルシィ様を守りながら魔獣を倒したか。
これは、よくやった、という言葉だけでは報いきれないな……」
呆れ半分感心半分、と言った態でヘイナルは大きく肩をすくめるのだった。
この話を持ち帰れば、ユスティーナ辺りがまた喜んで詩に仕立て上げることだろう。
そうしてさらに幾分が過ぎると、ようやくエルシィが神様との対話から戻って来た。
「ふあぁぁ……あ、ヘイナル。おはようございます」
大あくびからそんなことを言いだすから、本当にただの昼寝だったのじゃないだろうか、と疑念の目で見るヘイナルとアベルだった。
「それにしてもヘイナルは少し遅かったのでは?」
全員そろったところで、ふとフレヤがそんなことを言いだす。
フレヤが降りてきて大亀を倒してから、ゆうに一〇分ほどが過ぎている。
だが、この言葉にヘイナルはキッと眉を吊り上げてフレアの両コメカミにコブシを添えた。
「お前のように飛び降りるだけなら一瞬だろうがな。
全員で戻ることを考えれば最低でもロープを降ろさないことにはどうしようもないだろうが」
「いたいいたい、ヘイナル! 痛い!」
ギブアップとばかりにヘイナルの腕をタップするが、このお仕置きはしばし続くのだった。
しばしのじゃれ合いが終わると、ヘイナルは「さて」と言ってロープの具合を確かめだす。
「では私がエルシィ様をおぶって登ろう。
フレヤとアベルは自分で登れるな?」
「そうですね」
「ああ、大丈夫だ」
アベルは背中の傷が気にはなったが、それでももう一息頑張るくらいは何とかなるだろう。
三人がそれぞれの役目を確認して頷き合う中、エルシィだけが虚空のモニターを蚊帳の外でちょいちょいと操作していた。
「あの、ロープを伝って登る必要はありませんよ」
にこやかにそう宣うエルシィに、一瞬三人は顔を見合わせてから、そうか、と手を打った。
そして彼らは、エルシィがこのアンドール山脈を手に入れたことを理解した。
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