179守勢の剣術
大亀の開いた口に薄靄の様な冷気が集う。
狙いはアベル。いや、その後ろに庇われているエルシィだ。
「なんでこの亀さん、わたくしばっかり狙ってるんですかね!?」
「知らねーけど、集中するから少し黙ってて!」
「あいあい……」
ちょっときつく言ったらエルシィがしょぼーんとした顔になったので、少しだけ罪悪感を覚えるアベルだった。
しかし気にしている場合ではない。
その間に、大亀に集っていた冷気はドッジボールほどもある氷の塊に成長する。
「今です!」
カッと顔を上げたエルシィが叫ぶ。
アベルもまたキッと眉を上げて一本だけ召喚していた長剣を掲げ掛け声を上げる。
「守勢の剣術!」
と、同時に大亀の口元に現れた大きな氷の礫がアベルに向かって撃ち出された。
アベルの背に隠されたエルシィは「間に合うか!?」と言いうヒヤッとした気分でそれを眺める。
いや、眺めることが出来ず、思わず目をつぶった。
あわや氷礫がアベルに正面からぶつかると思われた。
その時だ、彼の言の葉に応え、アベルの周りに残り七本の名剣たちが現れる。
だが、「剣の舞」とは違い、剣はもっと狭く、まるでアベルの身体を守る盾のように並んだ。
そして素早く指揮者のように振るわれたアベルの持つ一本の剣に従い、氷礫を防ぐがごとく五本の剣が交差して盾を作った。
氷の礫はそれでも勢い死なず、しばし剣との間で押し合いを見せた。
もちろんそれは一瞬のことだ。
その刹那の後、残っていた二本の剣が氷礫を背後からバツの字を描くように交差して切り裂いた。
氷礫はこれでバラバラだ。
それぞれが小さな礫になってなお前進する勢いはあった、が、所詮は小さな礫。
重なり合い盾となる五本の名剣と言う壁を前にして、礫は数秒と持たずにまた靄に戻り霧散した。
「これが覚醒スキルってやつか……」
アベルが自分の放った技を振り返りながら嘆息する。
言ってみれば「剣の舞」あってこその応用技だろう。
それでも、一息でこれだけの連続した動作を行うならそれなりの修練が必要となるはずなのだ。
しかし、今の「守勢の剣術」とやらはそういう部分をすっ飛ばし、まるで何年も練習してきた熟練の動作でアベルを突き動かした。
自分の身体が自分のモノでないような。
それでいて、妙にしっくりくるような。
例えるなら、「こうあるべき」と自分の身体が知っていて、それをアベルの意識に教え植え付けるかの如く。
「そう、それが覚醒スキルです!」
エルシィはえへんと胸を張って答えた。
もっともエルシィも深く知っているわけではない。
虚空モニターに表示された「覚醒スキル」という言葉に元帥杖を重ねたら、たまたまヘルプが表示されたので判ったのだ。
曰く「神託の杖を持つ使者の家臣は、経験と修練の積み重ねによりほんの少し未来の自分から力と成果を借りることができる。
それが覚醒スキルとなって顕現する」と。
つまり彼らの放つ覚醒スキルとは、紛れもない自分の力なのである。
まぁ、エルシィが咄嗟にそれをかみ砕いて説明できなかったので、「それが覚醒スキル」と言われてもアベルは「どれが!?」としか思えなかったのだが。
ともかく、大亀の氷礫攻撃を防ぐ手立ては出来た。
危機は辛うじて凌いだと言えるだろう。
「だけどこのままじゃ……」
アベルはまだ拭いきれぬ危機感から、大亀をジッと睨みつけた。
大亀は不機嫌そうに太い象のような足でズシンと地面を踏みつけた。
永い眠りから覚め、久しぶりに現れた食事。
それが思わぬ抵抗を見せたのだ。
ほんのたまに、微睡から覚めた時に目に入る子ネズミなどは、逃げるばかりですぐ力尽き捕まえることが出来た。
それと同じに思ってたゆえに、少しイラつく。
寝起きのハッキリしない脳も手伝ったのだろう。
イラついたがゆえに、彼は理性を踏み外し、元々の目論見から少しズレた思考に陥る。
「この獲物を今すぐミンチにしてやる」と。
磨り潰してしまっては食べにくいし、第一せっかくの柔らかい人間の子供なのに台無しだ。
だが今の彼にはそんな理屈が通用しなかった。
食料を捕る。と言う目的が、今、歯向かう蚊トンボを磨り潰す。に変ったのだ。
大亀がしばらくアベルたちを見定めるように視線を這わす。
アベルもまた、次の氷礫がいつ来ても良い様にと剣たちを自分の身体の近くに並べて浮かべる。
覚醒スキルとやらは確かに使えるが、そう何度もできるかといえば難しいと言わざるを得ない。
アベルはやってみた感想として、そういう思いを抱いていた。
実際、アベルの現状を虚空モニターで確認したエルシィには、もっとはっきりとした根拠で同じことを思っていた。
すなわち、アベルのステータス画面において、覚醒スキル使用後明らかに減少した数値があったのだ。
「スタミナ」と読めるその数値は、あと数回ほど覚醒スキルを使えば尽きるだろう。
普通に考えれば覚醒スキルなしで動き回るのだってスタミナは必要だろう。
ならばスキルばかりに頼っていてもジリ貧である。
まだまだ、ピンチは脱していない。
そう、思考を巡らしている間に大亀は次の行動を起こした。
どうにもこちらに決め手がないので、すべて後手後手である。
大亀は四つの脚をググっと曲げて低い姿勢となる。
氷礫を放つ攻撃ではない、と気づいたアベルだったが、だからと言って有効な対策が出来るわけではなく見守るしかなかった。
そして大亀はクワッと小さく跳ね上がったかと思うと、猛烈な勢いで回転しながら向かってきた。
脚や頭は甲羅の中に引っ込めての体当たりである。
その重量だけでアベルたちにとってみれば驚異的な必殺の攻撃だ。
あれに圧し掛かられただけでアベルたちは潰れ饅頭になること請け合いである。
「守勢の剣術」
とは言え、アベルに出来る対抗策と言えば、今はこれしかないのだ。
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