178ジリ貧の防戦
エルシィの戯言など気にせず、大亀は再び口元に冷気を集めるように大口を開く。
そして、子供の頭ほどもある氷礫を高速で撃ち出した。
「くっ、またか!」
氷礫の狙いは明らかにエルシィについている。
まださっきの余波から立ち上がっていないエルシィに、アベルは急ぎ覆いかぶさるように庇いかかる。
避けている暇などないのだ。
ザクッ!
氷礫の鋭いところがアベルの身体を割く音がした。
それでも何とか少しだけ身をよじって直撃は避けたアベルだったが、エルシィを抱えている状態では限度がある。
彼を覆っていた厚手の上着は大きく裂け、そこから除く背中は赤く血で染まった。
「アベル! 大丈夫ですか!?」
思わず訊ねるエルシィだが、大丈夫なわけがない。
こんな傷を負ったら大人だって騒がずにおれないだろう。
それでもアベルは歯を食いしばり脂汗を滲ませながら笑って見せた。
「いや、これくらい、なんてことない」
笑顔、というにはあまりにも力の入った凄惨なものだが、それでもアベルの意地が見える。
このままでは二人してやられる。
エルシィは眉をキッと上げて考えを巡らせた。
状況としてはどうあっても苦しい。
まず今いる地下室。
ここは出口がないので逃げ道もない。
それから得体の知れない大亀。
こいつが今いる地下室の一/三を占めてしまっているので、ひとたび暴れられでもしたら身をかわすのも困難だろうし、何なら暴れなくともあの氷礫のせいでもうこっちはまな板の上の鯉だ。
何か、この危機を脱する手はないだろうか。
だが、そう考えているうちにも、また大亀は動き出すのだった。
「もう一発来るぞ」
よろよろと前を向いて短剣を構えたアベルが言う。
ハッとして見れば、大亀は確かにまた大口を開けて冷気を集めていた。
「あれ、無限に出るのですかね?」
「判らないけど、そう思って対処した方がいい」
あまりの状況の悪さにエルシィがつい呆れたようにつぶやくが、アベルは気を緩めずにそう呟き返す。
この点、彼の姉であるバレッタがここにいれば「判んないけど何とかなるわ!」と明るく言い放ちそうではある。
双子とは言え、この二人の性格は正反対と言えるだろう。
ともかく、そう言っている間に、三発目の氷礫が撃ち出された。
「そう何度もやられるかよ!」
だが今度は持して待っただけはあり、飛んでくる氷礫にアベルは余裕をもって短剣を振り降ろした。
氷礫を叩き斬る。
あわよくば打ち返す。
それくらいの気持ちで振り降ろされた短剣だった。
バキン
固いモノが砕ける音と、立ち切れる音がした。
アベルの目論見は半分達成されたと言えるだろう。
すなわち、氷礫の破壊には成功したが、同時に手にしていた短剣が半ばから折れたのだ。
「うっ、これだから数打ち物は……」
アベルは悪態をついて残った短剣の柄を放り投げる。
この剣だって近衛士の制式装備であり、言うほど悪い品ではない。
それでもアベルが振るってきた数々の名剣と比べれば所詮は数打ちであることは確かなのだ。
「一つ!」
アベルがそう、低く言い放つ。
すると今度は彼の手に古びた長剣がスッと現れ握られた。
「一本だけでも呼べるのですね」
「ああ、だがお姫さんを守るにはちょっと邪魔かな」
エルシィの疑問に、少しだけ忌々しそうに剣を見るアベルだった。
短剣に比べた長剣の利点と言えば、そのリーチにある。
長い分、わずかではあるが遠くまで斬っ先が届く。
そのわずかな差が、人を弑する時に大きく作用する。
だが、人をかばいながら振るう場合、その長さが難点にもなる。
守る行為では武具を大きく振るう必要はなく、逆にコンパクトにまとめる必要があるのだ。
そうでなければ、場合によっては振るわれた武具によって被護衛者を傷つけることだってあるからだ。
ゆえにアベルは『剣の舞』が展開できないこの場においては、長剣単体を出さずに短剣を選択していたのだ。
だがその短剣は失われた。
ここからはこれまで以上に注意深く振るわなければならない。
しかし、そういう時に限って、負った背の傷がズキズキと悲鳴を上げ集中力を乱すのだった。
エルシィは考える。
まだ何とか凌いでいるが、これがいつまでも続くとは思えない。
アベルだってすでに大きな傷を負っているのだ。
これが重なれば、そう遠くない未来に屍を重ねることになるだろう。
ならば、そうならない為の、起死回生に繋がる何かを。
と、その時、先日の対不満分子戦が思い出された。
ホーテン卿の『螺旋の捌き』という、何か悪い冗談の様な技。
そう、確か『覚醒スキル』と言ったか。
エルシィは大亀がこっちを睨みつけながら口元をモゴモゴさせているのを見止め、急ぎ元帥杖で宙を叩いた。
「『ピクトゥーラ』」
そこにパッと浮かび上がったのは、もうお馴染みの虚空モニターだ。
虚空モニターを使った移動などはまだここが自軍エリアではないので出来ないが、それでもすべての表示が封じられているわけではないのだ。
それで何をするかというと、急ぎちょいちょいと操作して映し出すのはアベルのステータス画面だった。
「えとえと……」
健康度や忠誠度、それから様々な能力に関する帯グラフの様な表示をスクロールで飛ばし、エルシィが探しているのはその一番下あたりにあった。
「『覚醒スキル』、あった!
アベルアベル、これを……」
そしてエルシィはその内容をアベルの耳元に伝える。
アベルはくすぐったそうに眉をひそめながらもそれを聞き、続いてキリっとして頷きながら長剣を構えた。
「よし、次来たら試すぞ」
「アベルなら大丈夫です!」
まさにその時、大亀がまた口を開いた。
次の更新予定は来週の火曜日ですノシ




