175落とし穴下の暗がりにて
「ずべしっ」
しばらく落下した後に壁が緩やかにカーブを描き斜面となったので、床についたダメージはさほどでもなかった。
が、それでも何メートルも滑り落ちたなら衝撃は軽くない。
ゆえに、エルシィはうつ伏せで床についた時、目をバッテンにして姫からぬつぶれたような声を上げた。
「あいたたた……やってくれましたねー、ホンモチさん。
それにしてもダメージが思ったほどじゃなかったですね……」
なぜか柔らかかった床に手を突き、のそりと半身起こしながらそんなことを呟いて、ふと気づく。
「って、ああ!」
柔らかいはずである。
いつの間にか黒いかむろ髪を乱したアベル少年が、エルシィの下敷きになって「きゅぅ」となっていたのだ。
「アベル、アベル! しっかりしてください」
「はっ、ここは……?」
一瞬気を失っていたようにアベルが呼びかけに応じて目を開ける。
開けて、キョロキョロと見回す。
倣ってエルシィもまた辺りを見回した。
暗い、とても暗い部屋だ。
今しがた通った落とし穴の入り口から光が入りそうなものだが、途中で穴が斜面になってくねっていたせいでそれも叶わない。
暗闇に目が慣れてくれば薄っすら見えては来るので、完全に閉ざされた感じではないけれど、それでも何か明かりが欲しいところである。
身体が若くて良かった。
エルシィはちょっとだけほっと息を吐いた。
子供の柔らかい身体ゆえ、ケガらしいケガもなかったし、暗闇に目が慣れるのも早いのだ。
とはいえ、明かりがないのは心もとない。
「アベル、何か明かりになるモノもってますか?」
「ちょっと待って……あった」
暗いゆえ何かは判らなかったが、アベルは目立たぬ色のベルトポーチをゴソゴソして何かを取り出したようだった。
そしてしばし何かを擦る音が聞こえ、小さな炎がともった。
「おお、可愛いロウソクですね」
灯った火の元で見るそれは、おしゃれアロマキャンドルの様な、背が低く幅が広いロウソクだった。
まぁ、当然、これはアロマキャンドルではないので、香って来るのは普通のロウソクの匂いだが。
「非常の備えに火は持っていろ、って、おっさんが言ったんだ。
役に立つもんだな」
「おっさん……ホーテン卿ですか?
へーさすが年の功より亀の甲ですね」
逆である。
「さて、これからどうするか……」
感心してロウソクと、それが出て来たベルトポーチを興味津々に眺めるエルシィをよそにアベルが呟く。
手に持てるようになっている小さなロウソク台を掲げてみるに、この部屋自体は先日の会議室程度の広さだ。
壁も床も天井も、すべてが石をモルタルか何かで固めた造りだが、基本的には自然にできた穴を補強したような様相だった。
ちなみにエルシィたちが滑り降りてきた穴が壁にぽっかり空いている。
アベルは穴に近づいて、そこから登れないかを確認してみる。
「無理そうだな」
滑走面は磨かれてツルツルになっているし、斜面が急すぎなので登れてもせいぜい数メートルまでだろう。
「仕方ありませんね。
ヘイナルたちが助けに来るのを待ちましょう。
それまではアベルが守ってくださいね」
「! ああ、任せろ。オレはその為にいるんだ」
あまり怯えた風もないエルシィがにぱっと笑って言うと、アベルは面食らったように驚いてからそう答えた。
顔が少し赤く見えるのは、火の明かりに照らされているせいか、別なのか。
ともかく二人は落ちてきた穴から少し離れて、ちょうど座れる高さに出っ張った石に並んで腰かけた。
落ち着いたところでエルシィは元帥杖を使って虚空にモニターを出してみる。
出してみて気づいたか、このモニター自体が光っているのでロウソクを消しても灯り代わりになりそうだった。
それはともかく、と画面を操作して目的のステータスを表示する。
「あー、やっぱりホンモチさんの忠誠度、赤くなってますね。
さっきは黄色だったのに……」
一目で判った。
これはつまり、反乱を起こすくらいにはホンモチの忠誠度が低いということだ。
「家臣にしたからって裏切りを防ぐことはできないんだな」
「視覚化できるだけですからねー……あ」
そんなことを言ってる間に、忠誠度がわずかに上がって黄色になった。
「これはどういうことだ?」
「うーん、何でしょうね?」
ぶっちゃけると思い付きでエルシィを殺そうとした瞬間赤になり、カエデに「エルシィが死んで家臣も死んだらどうする」と言われてちょっと反省して戻ったところだ。
が、そんな事情はエルシィたちにわかるはずもなく。
そこからは二人、ロウソクの光で見えるぼんやりした石の風景に沈黙した。
「オレと姉ちゃんはだいぶ前から『大きくなった時になにがしたいか考えておけ』ってお爺に言われてたんだ」
まぁ、ただ黙っているのも何なので、エルシィはしばらくしてからアベルの生い立ちみたいなものを訊ねることにした。
「普通の家の子供は親の仕事を継いだり、継がなくても関係ある仕事に着いたりするだろ?
でもオレと姉ちゃんは普通じゃなかったから、早くにお爺に引き取られてたし、それでそんなこと言われたんだと思う」
アベルとその姉、バレッタはジズリオ島のお山に住むティタノヴィア神の血を引く神孫である。
正確に言えば何代も後の子孫、ということになるが、二人は言わゆる先祖返りでそれぞれが不思議な力を持っていた。
なので、すでに普通の人と同じに暮らしていた親元から、神の座にいるティタノヴィアに引き取られていたのだ。
「でもオレは、特にやりたいこととか言われても思いつかなかったから困ってたんだ。
姉ちゃんは昔からあの通りだから、先のことなんか知らん顔でやりたいことをやっていたけどな」
「でも剣の修行はしていたのでしょう?」
「ああ、それはお爺が一応そういう神様だったし、剣を持つ機会がいくらでもあったからな。
それと……」
「それと?」
しばし、言うべきか言わざるべきかという躊躇の様なモノを感じたので、エルシィは先を促してみる。
アベルは視線をさまよわせながら言葉を続けた。
「ある時、古い英雄の話を読んで、その英雄みたいになりたいと、少しだけ思った……ただそれだけだ」
アベルはぶっきらぼうにそう言って、そっぽを向くのだった。
エルシィは少しだけ覗き込むようにして赤くなったアベルの顔を見止め、それ以上追及するのをやめて優しい視線で押し黙るのだった。
ちなみにアベルが読んだ物語の英雄は、姫に仕える愚直な剣士だったのだが、そのことは秘密である。
ゴト……
と、その時だ。
二人の沈黙を破るように、どこかから物音がした。
「ヘイナルたちが来たのですかね?」
エルシィが暢気に呟きながら立ち上がる。
だが、アベルは厳しい顔で首を横に振ってエルシィを押しとどめた。
押しとどめ、そのまま庇うように前に出る。
「音は、あっちからだ」
そう言いながらアベルが向ける視線は、二人が落ちて来た穴とは、まったく別の方向の暗がりだった。
次は金曜更新予定です




