173印章はどこに
「タヌキ殿のおっしゃる『印章』は、おそらくありますにゃ」
「誰がタヌキですって?」
幾らか目をそらしながら述べたホンモチの言葉にいち早く反応するのは近衛の少女フレヤだった。
まぁ、その矛先は肝心な場所ではなかったが。
いや、本人にとっては聞き逃せるところではなかったのだろう。
だからこそ、憤りの声を上げたのだ。
とは言えエルシィと他の近衛衆は、揃って「え、今更?」という、少しばかり驚いたような顔でフレヤを見ていた。
みんな語り合ったことはないが、「フレヤはタヌキ顔」であるという共通認識を持っていたのだろう。
ともかく、フレヤと、彼女の苛立ちに少しばかり恐縮したような様子を見せるホンモチの様子に肩をすくめたねこ耳メイドカエデは、首を振りながら口を挟んだ。
「その話は後にゃ。それより『印章』? のことを聞く時じゃないかにゃ?」
「そ、そうですね」
「その通りだ。全くその通りだ」
カエデの言葉にエルシィやヘイナルもちょっと気まずそうに続いて頷いく。
アベルは無言のまま三度ほど頷いた。
フレヤがジト目になった気もするがそれはともかく、ホンモチの話だ。
「『おそらく』というのはどういうことでしょう?」
エルシィがホンモチの言葉を思い出しつつ気を取り直して訊ねる。
ホンモチは慎重に言葉を選んでいるのか、途切れ途切れに話し始めた。
「ここに移り住んだ我らの御先祖様が、この土地でそういったものを神から授かった、という言い伝えがありますにゃ」
「言い伝えか……。
しかし、国璽の印章のことを知っていると、あながちデタラメとも思えませんね」
ホンモチの話を胡散臭そうに聞いたヘイナルだったが、少し考えてからそうエルシィに呟きかける。
エルシィも同じように思って頷き返した。
「それでホンモチさん、『言い伝え』というからには、現物は無いってことですね?」
「そうにゃ」
エルシィのさらなる問いに頷き、ホンモチは話を続けた。
「ワシの曾祖父の時代には確かにあったらしいにゃ。
しかし、祖父に伝わる時に少し騒動があって、紛失したらしいにゃ」
「騒動とは?」
「魔獣が里を襲ったにゃ」
「魔獣……だと? この期に及んで世迷言を」
ヘイナルの顔がまた胡散臭げに歪み、そして渋面を浮かべた。
「魔獣って、モンスターです?」
そんなヘイナルの怒りをよそに、エルシィはちょっと好奇心を抑えきれない顔でアベルに振り向く。
脳裏には上島丈二が子供時代に遊んだ数々のファンタジーRPGが浮かんでいた。
だが、アベルは呆れたように肩をすくめる。
「魔獣なんておとぎ話だ。いるわけないだろ」
そんなあまりに冷淡な返事に、エルシィは首を傾げる。
「でも、前に海で大きなイカとか見ましたし……」
「イカはイカだろ。魔獣とは違う」
「神様もいるし、魔獣くらい……」
「神と魔獣を一緒にするなよ」
食い下がるエルシィに、アベルはさらなる呆れを態度で表明しつつ全否定した。
なるほど、神や大イカはいても魔獣はいないのか。
と、エルシィは少しだけしょぼんとなった。
「わたしもその話は爺の戯言だと思っていたにゃ。
どういうつもりにゃ?」
この期に及んで、と思ったのはカエデもまたそうだった。
カエデは困惑に首を傾げて里長であり長老でもあるホンモチを見る。
ホンモチはそれに応えるように頷いてから、また口を開いた。
「おとぎ話でもなんでにゃい。実際にそう話が伝わっているのにゃ。
ただまぁ、ワシも見たわけではないので、何かの例えや大げさになっているとは思っているにゃ」
なるほど、それはありうる。
と一同は黙考する。
そう言えば「日本にある龍の伝承は、たいてい水害を例えたものだ」という説があることをエルシィは思い出した。
「ともかく何かの災害か人災か、ゴタゴタがあったのは確かみたいですね」
「そう思ってもらえばいいと思うにゃ」
エルシィの解釈にホンモチも大きく頷いた。
まとめるとつまり、ホンモチの曾祖父から祖父に代が移るころに、里に何か大きな事件が起こり、そしてそのゴタゴタで印章を紛失した。ということらしい。
「ふむぅ、無いのでは困りますね」
エルシィが大きく体を傾げながら「困った」を表現していると、ホンモチが言い辛そうに口を開いた。
「一応、あるところは判っているにゃ」
「判ってるのかよ!」
アベルの突っ込みにもめげず、ホンモチは続ける。
「この屋敷の地下で紛失したらしいにゃ。
その後誰かが見つけたという話は聞かにゃいので、地下にあるはずなのにゃ」
「むぅ……」
一同はそんな話で言葉に詰まって唸る。
つまり、紛失したモノを見つけられないくらい地下が広いのか、はたまた雑然としているのか、そういうことなのだろう。
しばらく広間で唸っていた面々だったが、こうしていても仕方ないという話になり、地下とやらへ案内してもらうこととなった。
ホンモチの案内で広間を出ると、廊下の突き当りにあった階段に行きつく。
屋敷の二階に上がる階段である。
「登り階段ですね?」
エルシィの疑問にホンモチは黙って頷き、その階段下にある収納スペースと思われる部分の戸を開けた。
「階段収納ですね?」
当然、何やらの箱やガラクタが詰まっていたので、フレヤも首を傾げた。
「ここには物を入れるなと、いつも言ってるのににゃぁ」
ホンモチは小さくため息をつき、ぼやきながらそのガラクタ類を一つずつ廊下に出すのだった。
皆で手伝いながらしばし作業を続けると、階段収納スペースに、今度は床下収納のフタが現れた。
「ここにゃ」
つまりこれが、地下への入り口らしかった。
そこを空けると梯子があり、降りるとまたガラクタが積まてれている地下倉庫らしい場所に出た。
「あ! このおもちゃ、ここにあったにゃ!
アカモチの孫が生まれた時、あげようと思って探したのにゃぁ。
誰がこんなところに仕舞ったにゃ……」
またぼやきながら、ホンモチは積まれた箱類を退かし始めた。
また、エルシィの近衛衆も仕方なしに手伝うのだった。
階段収納の倍くらいの時間を掛けて荷物を退かすと、そこには引き戸が現れた。
「ここから先は、ちょっと危ない仕掛けもあるから、ワシより先には絶対行かないことにゃ」
「忍者屋敷らしくなってきましたね!」
「なるほど、これがニンジャか」
「ニンジャ……」
近衛衆も感心しながら呟くが、彼らは忍者の何たるかをまだ解っていない。
エルシィはなぜかそう得意げになって彼らの顔を見回すのだった。
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