164太守館訪問
「た、太守閣下、お客様がいらっしゃいました」
「あ? 客? こんな時にいったい誰が……」
ナバラ市府の政治的中心となる太守の館は執務室にて、忙しく市政関連書類を精査していたクーネルは疲労からより一層うろん気になった眼を上げた。
軍人としてスプレンド卿に引き上げられた時に貫禄を付けろと言われて生やした自慢のチョビ髭も、今はシオシオとして元気がない様子だ。
その迫力には欠けるが何を仕出かすか判らない目つきに、来客を告げた館の使用人は半歩ほど引いたが、そこは彼の職業人としてのプライドがそれ以上を踏みとどまらせる。
とはいえ、この新たな主人となった太守閣下に、不意の来客の内容をどこまで告げていいものかという迷いが彼の言葉を詰まらせた。
「どうした? 誰が来たって?」
そんな使用人の態度に困惑し、そして嫌な予感を覚えたクーネルがおもむろに席を立つ。
それは特に何かを意図した行動ではなかったが、結果的には正解だったと言える。
なぜなら不意にやって来た客とやらが、案内もされずに使用人を押しのけてやってきたからだ。
「やーやークーネルさん。
お忙しいところ申し訳ありませんが……きちゃった☆」
その来客とは誰あろう。
いまやクーネルの唯一の上司と言っても良い、このハイラス領を治める伯爵であらせられる八歳女児閣下エルシィであった。
エルシィは狼狽えるクーネルに「どっきり成功」的な楽しさを覚え、また近衛の一人フレヤはクーネルが主人を立って迎えたことを感心気に頷いた。
そう、エルシィは彼の唯一の上司である。
格ではクーネルより上となる職位の者はまだ幾らかいるが、市府の太守というのは基本的に領主の直轄人事となるためそういうことになるのだった。
「エルシィ様? なにしにここへ!?」
この予期せぬ突然の来訪に、クーネルは思わず飛び上がる。
驚き、そして「またぞろ厄介事持ち込んだか」という警戒から一歩引く。
「これだけ驚いてくれると急に来た甲斐があるというものです」
そんな彼の態度を良い方に解釈してエルシィは何度か頷いた。
クーネルが使用人に指示を出してお茶を用意させ、執務室の応接セットにて双方が一息つく。
そこで改めてエルシィは口を開いた。
「それでクーネルさん。太守のお仕事はどうですか?」
「どうもこうも……私が太守に任じられたのは今日ですよ?
今はまだ、現状把握のために情報を集めさせているところです」
「おや、そうでしたか。
なんだかもう何日も経っているような気がしていました。
てへ」
そうなのである。
クーネルが太守任命されたのは報告会という名の閣僚顔合わせの席であった。
それはほんの二時間ほど前の話であり、急な出世を祝う間もなくこうして働いているわけだ。
彼の苦労がしのばれる。
まぁもっとも、元将軍府にてスプレンド卿から将補に引き上げられた時点でそれ以上の出世など望まなかった彼は、此度の任命を祝う気には到底なれなかったのだが。
そんなクーネルの気など知ってか知らずか、エルシィはちょこんそと座っていたソファーからぴょいっと飛び降りた。
「ここに来たのはですね、もちろん様子を見に来たというのもそうですが、これをお届けに上がったのです」
そう言い、アベルに持たせていたカバンから筒状に丸めて蝋封した書を取り出す。
「コホン。
軍籍より出向し財司にて貢献したクーネルに報い、正式にナバラ市府太守を任ずるものである。
……ハイどうぞ」
少々偉ぶったように形式ばった言葉を述べ、エルシィはその筒をクーネルに差し出した。
これはつまり、いわゆる任命書、辞令書というたぐいのモノであった。
クーネルはしばし「ぐぬぬ」という顔で受け取りに躊躇したが、エルシィやその近衛たちの変わらぬ笑顔に「これを受け取らないという選択肢はない」と諦め渋々という態度で受け取った。
エルシィはじめ側近たちは、その笑顔のままパチパチと手を叩いて彼の出世を祝い讃えるのだった。
「それで、任命だけの為に来たわけじゃないんでしょ?」
「ええ、まぁそうですね」
応接セットにてお茶を再開しつつクーネルが問えば、エルシィはキッパリと答えた。
クーネルにしてみれば「まぁそうだろうな」という気持ちもあったし、別に嬉しい出世ではなかったので、特段ガッカリすることもない。
そんな事より総督領主自らやって来た用事の方に興味を持った。
そこでエルシィは暗殺未遂の事件については抜きにして、カエデの出身地である里と、その里が果たして来たらしい役割について述べた。
つまりアンダール山脈にある山里が、ただの田舎ではなく秘密工作員を養成し、旧ハイラス伯やセルテ侯からの依頼でスパイ活動や工作任務に従事していたらしい。という話である。
クーネルは呆れたような納得したような顔でため息をつく。
「ああ、確かに昔からそんな噂はありましたなぁ」
「え、知ってたのですか!? なぜ教えてくれなかったのですか!」」
たいそう驚くだろうと期待していたところにこの反応だったので、逆にエルシィは驚いて問い返す羽目になった。
クーネルは半身引いてちょっと困ったように眉を寄せた。
「無茶言いますな。
噂と言っても、本当に子供騙しのトンデモおとぎ話ですよ」
そうなのである。
クーネルは最初「噂」と言ったが、これはどちらかと言えば与太話の類だった。
子供に「いい子にしていないと『山の鬼』がさらいに来るぞ。とかそういう、躾けに使われる例えなのである。
それを「なぜ報告しなかった」と言われても、それは旧ハイラス国民からすれば困惑もしよう。
「……それでも、ホントにいたじゃないですか」
「まぁ、確かに」
与太話ではあるが、その元になる『山の一党』は実在した。
エルシィは少々恨みがましい目でクーネルを見上げる。
クーネルもこれには何と反論して良いか判らず、ただ頷いてお茶の器に口を付けた。
とはいえ、このまま自分の責任を問われても困るので、一応異議は申し立てておこう。
そういう気持ちで再び口を開く。
「まぁその……しかしですね。
そんな与太話まで報告にあげてたらきりがないですよ。
そもそもその情報を整理する時間もないでしょうに」
「むぅ、そうですね……」
これにはエルシィも気がそがれて引くしかなかった。
現状でもエルシィの元には様々な情報があがって来る。
政府を運営しているのだから当然その報告だけでも膨大だし、それに加えてユスティーナが持って来る吟遊詩人など芸人たちの集めた市民国民からの反応評判や、コズールが報告する裏町事情もある。
これらはエルシィとキャリナ、そして最近ではライネリオで手分けして目を通しているのが現状だ。
そこに加えて伝承やちょっとした噂話まで集めるとなると、どうあっても手が、いや考える頭脳が足りなくなるだろうことは想像に難くない。
「あー、うん。
やっぱり情報を分析して蓄積する専門部署が必要ですねぇ……」
エルシィは呟きながら天井を仰いだ。
次回更新は火曜日です
やっと山いけるかな?




