163気候の違いと作物
ナバラ市府。
そこはハイラス領都から見れば辺境といえるかも知れないが、どちらかと言えば大陸へつながる陸路の玄関口なのでそれなりに栄えている。
大陸規模で言えば逆にハイラス領都こそが南西端の辺境ともいえるのである。
もっとも、海を行く航路視点で見るなら、ハイラス領都は重要な寄港地の一つなのでけして無視していい都市ではない。
つまり、どちらもハイラス領としては重要都市であるということだ。
「というわけで、やってまいりましたナバラ市府!」
元帥杖の権能を使ってハイラス領都の城からひとっ飛びしてきたエルシィは、初めてやって来た街に好奇心をキラめかせながらそう声を上げた。
その声が殊更大きく響いたせいなのか、道行く市民たちの注目を浴びる。
いや、注目された原因はそれだけではない。
今のエルシィの姿はと言えば、近衛士ヘイナルの背負子に乗って、落ちないようロープをぐるぐる巻いた状態なのである。
人々は一目ギョッと見て「すわ、人さらいか」と驚き、そのあと楽しそうなエルシィの様子にホッとするが、「なら……なに?」という困惑気味に首を傾げるのだ。
ともかく、そうした好奇の目に晒されつつエルシィとヘイナルを挟んで立ち周囲に警戒の目を向けるのが、ヘイナル同様近衛の任に就くフレヤとアベルである。
「少々ぶしつけな視線を感じますね。ここはひとつ、エルシィ様の存在を知らしめてやりましょう。
さすれば皆、感動の念に打ち震え、好奇の目は尊敬の目に変るに違いありません」
厳しい目で怪しい者を吟味しつつ、フレヤがそんなことを言う。
これがおべっかではなくすべて本気の発言というところが彼女の怖いところだ。
などとエルシィは小さくブルっと肩を震わせて、その勢いを借るようにして首を振った。
「いいえ、それはやめておきましょう。
クーネルさんのお仕事を増やして彼が過労で倒れたら困りますし」
「仰せのままに。
しかし彼もエルシィ様の為に倒れるならば本望でしょう」
フレヤの相槌に「そんなこと無いと思うなー」などと無言で苦笑いを浮かべながら、エルシィはただ肩をすくめるのだった。
「それはともかく、ひとまずクーネルさんの様子を見に行きましょう。
そこで一泊して、明日は山登りです」
背負子で担がれたエルシィと近衛一行はザっと「気を付け」の姿勢で了解の意を示し、揃って街の中ほどにある太守館を目指して歩きだした。
まだここでは道案内する必要のないねこ耳メイドのカエデは、黙って後ろをついて歩いた。
「山登りが明日なら、今背負子に乗る必要ないにゃ?」
ついて歩きながら、そう呟いた。
さて、クーネルである。
クーネルがこの街の太守として着任したのはつい先ほどである。
なにせ任命されたのもさっきあったばかりの報告会議中なのだから仕方ない。
むしろ任命された直後に着任しているのだから凄いものだ。
もっとも、ここへ来るための交通手段は当然エルシィの権能なのだが。
ともかく、彼が着任するより前に、この街は旧太守から権限を奪ったスプレンド卿によって仮統治されていた。
つまり、現状、混乱なく市場が動いているのは、スプレンド卿の手腕と言えるだろう。
特に問題なく機能しているように見える街を見て、エルシィは満足そうに頷く。
が、ここでカエデの小さなつぶやきの様な言葉が耳に入る。
「前来た時より静かにゃ……」
「静か、ですか?」
たぶん独り言だったのだろう。カエデは問い返され肩をビクッとさせて目を見開く。
エルシィはすぐに安心させるように微笑み顔を作ってうなずいた。
「カエデは前にもここに来たことあるのですね?」
「それはそうにゃ。
山から下りて領都へ行くなら、ここを通るのが近道にゃ」
言われ、エルシィは頭の中に地図を思い浮かべてからなるほど、と頷いた。
もちろん、街や人里を避けていくことが不可能とは言わない。
特にハイラス領は平野部が大半を占め、多くを畑として開墾されているので、比較的苦労が少ないだろう。
だが、それでも整備された広い街道を使って進む方が、何倍も快適に進むめるだろうことは想像に難くない。
「なるほどー。
では以前と比べて、どう静かなんです?」
カエデがこの街に以前寄ったということに納得し、今度はその内容に興味を覚えた。
旧支配者と比べて現在の方が活気を失ったとなれば、それは改善の必要があるのでは、と思うからだ。
カエデはしばらくキョロキョロと辺りを見回す。
静かだとは感じたが、具体的に何が問題なのかと言えば、そこまで考えてなかったからだ。
そうして見て考え、カエデは思い当たったことを口にする。
「……行商人が少ないのにゃ」
「商人……でしたか。
なぜでしょう?」
「セルテ侯国からの行商が滞っているのでは?」
二人して答えを求めて首を傾げたところ、エルシィと背合わせになっているヘイナルが口を挟んだ。
これにはエルシィもなるほどと手を打った。
ナバラ市府から伸びる街道。
アンダール山脈を迂回するように海沿いを行くその街道がどこに続いているのかと言えば、それは大陸側のセルテ侯国だ。
現状でこの国とは交戦状態という訳ではないが、それでも通商が少なくなりつつあるのは確かである。
お互い農業大国ではあるので、商業的には問題だが、食料自給の問題はあまりない。
ただまぁ、食卓に並ぶ料理の量はともかく、種類は確実に減ることだろう。
「なるほど、これを見越してエルシィ様は亜麦の食べ方を研究成されたのですね。
さすがです!」
これらの会話は当然同行者の耳には入っていた訳だが、ここでフレヤが目を輝かせて振り向いた。
エルシィは「こやつは何を言っておるのだ?」という顔で首を傾げる。
亜麦。つまりハイラス領内で栽培されているジャバニカ米のことだ。
「ハイラス伯国は食べる小麦のいくらかをセルテ侯国から買ってたにゃ。
それを売ってもらえなくなったらパンが減るにゃ」
フレヤの言った意味を測りかねていたエルシィとは裏腹に、カエデはすぐピンと来て大きく頷いた。
それを聞いてエルシィもようやく合点がいった。
同じ農業大国とはいえセルテ侯国とハイラス領ではその気候がいくらか違う。
簡単に言えばハイラス領は温暖で雨もそこそこ多いが、セルテ侯国は比較的に乾燥していて寒い。
つまり、ハイラスの方が米作に適した土地であり、セルテはより小麦作に適しているわけだ。
ところが旧レビア王国ではパン食文化がメジャーだったため、その文化圏であるハイラスは自国消費で足りない小麦をわざわざ買っていたという訳だ。
米作をしていたわりに、わざわざ磨り潰して小麦代わりにしていたのは、パン食文化ゆえのことだろう。
なるほど、フレヤが感心したのはその為か。
とエルシィはやっと合点がいった。
つまり、亜麦が美味しい穀物として正当に評価されれば、わざわざ小麦を買わなくても良くなる。ということだろう。
それがエルシィの功績だと、そうフレヤは褒め称えたのだ。
まぁ、もちろんそんな思惑はなく、単にエルシィがお米食べたかっただけなのだが。
ちょっと気まずい気分になったエルシィだが、そうしている間に一行はクーネルがいるはずの太守館に到着した。
遅々として進まねぇ!
と思いの方、私の作品はまぁこんなもんです<(_ _)>
次の更新は金曜を予定しています




