159山の一党
カエデがいつ暗殺の企てたか。
という話からの一連の流れがひと息ついたところで、キャリナがサービスワゴンを押しながら戻って来た。
ワゴンの上段にはお茶のセット。下段にはユスティーナの為の毛布が積まれている。
「せっかくなので薬湯もご用意しました」
「うにゃ……」
特に他意のないキャリナの行動であったが、ついさっきその薬湯に毒を仕込んだばかりのカエデはなんとなく気まずくて目をそらした。
「ありがとうキャリナ。
お茶の方は後でいいから、先にユスティーナを寝かせてあげてください」
「かしこまりました」
キャリナはことさら無表情を作りながら、エルシィの言葉に頷いてそそくさと毛布を用意し始める。
今、感情を発露させると、思わずカエデを罵ってしまいそうになる。
またそれ以上に、自分の任命責任という罪に押しつぶされそうになるからだ。
だが、侍女という貴顕に仕える身であれば、その命さえも主の物。
命ぜられてもいないのに責任をとって自刃するなどもっての外なのである。
ゆえに、キャリナは粛々と自分の仕事のみに専念することにしたのだった。
そんなキャリナの気持ちを知ってか知らずか、エルシィは特にそのことには触れずに振舞う。
「ユスティーナ、ごめんなさいね。
しばらくは床で我慢してください」
「いえいえ、ありがろうごらいまふ~」
まだしびれが取れないまま、キャリナのなすがままに毛布にくるまれるユスティーナであった。
さて、そんな一幕を挟み、カエデとの対話は続く。
「それで、今回の暗殺は誰に命令されたのですか?」
キャリナが改めて淹れてくれた、余計なモノの入っていない薬湯をすすりながらエルシィが問う。
カエデはこの問いにドキッとした。
ここで洗いざらい本当のことを言ってしまえば、一族や里の者は揃って根切りにされてもおかしくない。
そうならないように、カエデは自分だけで発案計画し、そして実行したと供述するつもりだった。
が、その前提を越えて「誰が命令したのか」を問われてしまった。
これは少し考えれば当たり前である。
年端も行かぬカエデが、たった一人で一国一城を持つエルシィの暗殺など考えつくわけもないし実行できるわけもない。
それでも自分さえ事実を口にしなければ、それは無かったことになる。
そう考えてしまうのは、カエデの幼さゆえだ。
「カエデ。あなたがこの城に入り込むのに、何人もの協力者がいたことはおおよそ解っています。
あなたが言わずとも、遠からず明らかになるでしょう」
そうか「判って」いるのか。
言われ、カエデは観念して頭を垂れた。
もっとも、ここで「解る」と「判る」の微妙なニュアンスにすれ違いがあったことは、双方気が付いていないのだが。
ともかく、カエデは自分の知ることを話すことにした。
「エルシィ様を殺すよう命令したのは里長にゃ。
でも、里長が誰から命令されたかは知らないにゃ」
里とはカエデと同じ『草原の妖精族』の集落のことだろう。
彼女らねこ耳民族が過去の歴史の中で山間に追いやられた、というのはこのハイラス領にやってきたころ聞いた話であった。
が、具体的な話、その民族がどの山でどのように暮らしているかまでは知らなかった。
ゆえに、エルシィはキャリナやヘイナルと顔を見合わせ、里についてもっと詳しく訊くことにした。
カエデの住んでいた『草原の妖精族』の集落は、アンダール山脈の中の、とある谷だ。
アンダール山脈とは、このハイラス領のある半島と大陸とを隔てるように横たわる大山脈である。
このアンダール山脈は険しい天嶮難所を幾つも備えた山岳地帯で、大陸と半島を行き来する人はほとんど立ち入ることはない。
そうした人たちはおおよそ海沿いにある二つの街道を利用するのが普通である。
ゆえに、ひっそり暮らすには最適と言える土地ではあった。
平地を追われ、この山脈に隠れるように根を張った『草原の妖精族』は、元々のすばしっこさに加えて自然と身体能力を高めていくことになる。
でなければ、この土地で暮らしていくことはできなかったのだ。
これは環境適応と言えるだろう。
とは言え、いくら身体能力が高くとも、この土地では豊かに暮らしていくことはできなかった。
なぜなら山岳地帯では広い農地が作れないからだ。
人が富を蓄積できるようになるのは、農耕など安定的な食糧生産供給ができてこそなのである。
豊かな自然と言えば聞こえは良いが、狩猟生活には限界があるのだ。
そしておよそ一〇〇年ほど前、そんな生活をしていた彼らにある転機が訪れる。
彼らの身体能力に目を付けた者がいたのだ。
『草原の妖精族』は元々、足音を立てずに歩くなどの隠密性に長けた民族であった。
それに加えて厳しい環境に適応した谷の里の者たちは、普通の人間では簡単に見つけ捕らえることの出来ない行動が出来る。
すなわち、スパイ活動に適した能力者たちということになる。
そんな彼らに目を付けたのは、時のハイラス伯であり、またセルテ侯だった。
こうして、金銭で雇われ諜報や特殊工作を行う『山の一党』が生まれた。
「まるきり忍者の里ですやん……」
こうした話をカエデの口から聞いたエルシィは、そう感想を漏らした。




