154太極の理
エルシィの新政権に不満を持つ者たちが、反乱を企てる前提で会合を開いていた。
だがその会合も数回を重ねただけですでに終焉が迫っているとは、まだ参加者の誰も気づいていなかった。
今回、その会場として使われているとある屋敷の食堂。
そこにおよそ二〇人からの不平分子がいる。
元騎士、元警士、元官吏、商人、チンピラ、そしてその他にも、様々な身分から様々な者が集まっている。
ほとんどが旧ハイラス伯の政権下において、それなりに旨い汁をすすって来た者たちだ。
それが悪徳と言われる行為であっても、続けば既得権益である。
既得権益となれば、人は「その特権に浴するのは当然である」と思うようになる。
するとどうなるか。
取り上げられた時に「不当な扱いを受けた」と思うようになるのだ。
ここにいるのは、元騎士団長フェドートや吟遊詩人の元締めであるユリウス氏という例外を除けば、おおよそそんな連中ばかりであった。
彼らは人を集め、いつ蜂起するのかという話を、まとまりなく進める。
そんな時、会合に使われている食堂の外で大きな物音がした。
メリメリ、ドカン。と言った、大きな破壊音だ。
「おい、何だ今の音!」
誰かがヒステリックに小心そうな声を上げる。
「馬鹿が落ち着け……おい、誰か見て来いよ」
また他の誰かがそんなことを言う。
この食堂は庭に面した窓があるが、人が集まっているのを見られてはいけないということで、カーテンを閉め切りにしている。
見られることを恐れる小心者は、また自分が見ることも恐れる。
見ようという行為でどこかの誰かの注意を引き、結果的に注目されてしまうからだ。
ゆえに、誰もが部屋の外、そしてカーテンの外を様子見るのに躊躇した。
「フェドートさんよ。あんた見てきてくれよ。
元騎士団長だろ? あんたなら何かあっても、その腕で何とでもなるだろう?」
しばしの沈黙の中から、実に無責任な言葉が言葉が上がった。
「ちっ、わかったよ。お前らはちょっと静かにしてろ」
彼らの言い分にイラっとしたフェドートだったが、それでも自制心を利かせてそう答えた。
どいつもこいつも烏合のチンピラばかりだ。
身分の話ではない。心の話である。
いちいちまともに取り合っていては精神が擦り切れるだけである。
フェドートは大きなため息を一つついて気持ちを切り替え、壁に立てかけてあった粗末な長剣を手にして扉をそっと開けて食堂を出た。
そして、玄関ホールで彼が見たものは、正面玄関の大扉を破城槌で壊して雪崩れ込んでくる騎士たちだった。
まさかの登場に一瞬息がつまり、目を見開くフェドート。
そんな一瞬の後に彼の目に飛び込んできたのは、騎士たちの後ろから悠然と入って来る恐ろしくも憎々しい彼の天敵。
「げぇっ、ホーテン!」
「卿をつけんかデコ助め!」
フェドートはここ最近とみに広くなった自分の額を咄嗟に抑え、顔だけは前を見たままに食堂へと向かって叫びを上げた。
「敵襲だ、騎士と警士は出合え! 他は逃げろ!」
この期に及んで仲間意識など皆無だった連中を逃がそうというのだから、彼の騎士道精神も見上げたものである。
だが、すでに時は遅い。
この屋敷は突入してきた騎士以外にも、警士によって包囲されているのだ。
「くっそ……ホーテンだ、ホーテンだけを狙え。
全員でかかれば勝機はある」
果たして、本当にそう思っているかと言えばぶっちゃけ嘘である。
それでも、生きるにはホーテン卿を打ち倒すしか道は無いのだ。
「その意気やよし。相手になろう!」
ホーテン卿も彼の意を受け、愉し気に凶悪な笑みを浮かべて長剣挙げた。
そう、長剣である。
騎士の武器と言えば、長い柄に刃を付けたグレイブだ。
当然、ホーテン卿が最も得意とするのもグレイブである。
ならばその得物を長剣に持ち替えた今なら、勝機はあるはずだ。
「絶対にかなわない」から「もしかすると」と少しだけ希望を見出し、フェドートは食堂から飛び出して来た元騎士と元警士、計五人にて、ジリジリとホーテンへと迫った。
「俺がこいつらを抑える。お前らはこの先の食堂にいる連中を捕縛せよ」
「はっ!」
ホーテン卿の命令を受諾し、旗下の騎士たちはすぐに相対する元騎士たちの横をすり抜けて行く。
フェドートたちもそれを見送りたくはなかったが、ちょっとでもそちらに気をとられようものなら背中を斬られる。
そんな剣気とでもいうものを感じたゆえに動けなかった。
当然、その剣気を放っているのは鬼騎士ホーテンだ。
「少し前。俺も老いを感じて引退を考えておったのよ。
それが姫様より『太極の理』を教えていただいてから、老いが止まったように感じられてな。
しかも、姫様の家臣にして頂いてからというもの、気力も体力も若い頃のように満ち溢れておるのよ」
ジリジリと歩を進めながら、ホーテン卿はそんなことを言う。
確かに、フェドートたちが感じるホーテン卿の剣気の若々しいこと。
だが、精一杯の負けん気でフェドートはそれを否定するようにつぶやいた。
「そんなバカなことあるか。爺ぃめ……」
「そんな無茶なことありますか」
その戦いの様子を虚空モニター越しに見ていた主城のエルシィはそう呟いた。
彼女が教えたことになっている『太極の理』とは、つまり上島丈二時代に身に着けた健康太極拳のことである。
健康太極拳は元々実戦武術であった太極拳を、老若男女誰でも出来るように編纂しなおしたもので、武術からはかけ離れた健康体操だ。
上島丈二は中国出張した時にホテルの近所にあった公園に通って身に着けた。
これを病み上がりの体力増強のためにエルシィがやっていたのを、勝手に騎士たちが真似をしたのが始まりだった。
そして「これは武術に応用できる」と見抜いたホーテン卿を始めとしたジズ公国騎士たちは慧眼だったと言えるだろう。
なにせ、元は本当に武術だったのだから。
とは言え、武術から体操化した太極拳を、また武術に昇華するのは並大抵のことではない。
炭酸の抜けたコーラを、また元のコーラにするようなものである。
それをやってのけたのだから、ホーテン卿の武才は並大抵のものではない。
その才が天性のものなのか、長年の経験と修練に基づくものなのかはわからない。
ともかく、そのおかげで「若い頃の活力を失った」などというホーテン卿の武力は、今まさに絶頂と言えた。
「さぁ、掛かって来るがいい。全員でのぅ」
「馬鹿にしやがって。総員、掛かれ!」
虚空モニターの向こうのホーテン卿が、力を抜いたような構えで剣をかざしつつ言えば、対するフェドートはいきり立って叫んだ。
全員がまるで隙間なくホーテン卿へと斬りかかる。
並の剣士であればこれはもう後ろを向いて逃げ出すしか道は無い。
だがホーテン卿は下がるどころか半歩前に出た。
「ん?」
エルシィが身を乗り出して虚空モニターに食い入る。
すると、両騎士の戦いを映し出すモニターに、左から大きな文字がスライドインした。
こんなことは初めてだ。
何事かと目を凝らしてみればそこにはこう書かれていた。
「覚醒スキル」「螺旋の捌き」と。
妙に凝った毛筆フォントなのがちょっとイラっと来る。
そのカットインした文字は、一瞬モニター中央で止まった後に右へと流れるようにスライドアウトした。
そしてフォントが去った後のモニターには、半歩ずつ進みながら華麗に相手の攻撃を捌いていくホーテン卿が映っていた。
しかも、である。
こうした剣捌きは過去のホーテン卿の戦いの中でも見てきたが、今回のそれは一味違う。
襲い来る剣撃を自らの剣で巻き込むように受け、そして引く。
こうするとまるで相手は引っ張られたかのように体勢を崩してホーテン卿の背後へと転がされるのだ。
これが五回続けば、相対した元騎士警士たちは五人とも床にその身を横たえた。
もちろん、フェドートたちは転がされただけでダメージは受けていないが、それでも何が起こったかわからず目を白黒させている。
「え、なに? 覚醒スキル? また新しい権能なの?」
画面越しのエルシィもまた、目を白黒させて画面のあちこちに目を走らせる。
すると、先ほどスライドして行ったのと同じような言葉が、画面の下で明滅していた。
曰く「ホーテン [騎士ユニット] >> 覚醒スキル:螺旋の捌き」と。
瞳をうろんな横線にしながらその文字を確認したエルシィは、ハッとして元帥杖を振るいもう一枚虚空モニターを出す。
そこに映っているのは今彼女がいる会議室である。
そしてそのモニター越しに見るのは、能力値上昇バフ効果のある演奏を続けているユスティーナだ。
画面下には「ユスティーナ [吟遊詩人ユニット] >> 覚醒スキル:ワンダバ」と明滅していた。
「……スキル名、それでいいの?」
エルシィは己の手にある元帥杖に、そう問いかけるよう呟いた。
次回更新は来週の火曜を予定しております




