147報告会 その一〇 外遊
フレヤが自信満々でフンスと鼻息荒くする様子に微妙な雰囲気となった会議室だったが、それもしばしのことである。
続いて報告と立ち上がったのはカスペル殿下だ。
エルシィとしては報告会を務めてもらうつもりだったが、すでに何度か発言しているライネリオに対抗心を持っているようで、ちょっと我慢できなくなったのだろう。
「さて、私のことは知っている者と知らない者がいるようなので、あらためて自己紹介しておこう。
ジズ公国、一の太子カスペルである。
ハイラス鎮守府総督となった妹、エルシィに与力するようにとのお言葉を大公陛下より賜り罷り越した。
以後、エルシィ共々、諸君らの力添えを期待する」
若いながらに威厳を保つ挨拶だった。
いつもエルシィに対するには柔らかく優しい雰囲気の御仁だが、これでも一国の嗣子である。
官位を持たない者たちからすれば雲の上の存在ともいえる。
この場を借りて、そうした部分を今一度強調したかったのだろう。
これに対してライネリオが深々と頭を下げつつ跪く。
「お初にご挨拶の機会を得まして幸運に感謝いたします。
私は先の伯爵陛下が次子、ライネリオにございます。
すでに伯爵家の座はエルシィ様に譲位されておりますが為、無官の凡夫にございますが、エルシィ様よりご厚情賜りまして、今は秘書の様な仕事をさせていただいております」
世が世ならどちらも殿下と呼ばれる立場である。
それが今はこうして明確な上下が出来てしまっている世の無常だが、ライネリオの表情は晴れやかでそうした寂寥を感じさせなかった。
カスペル殿下は一瞬、ライネリオの挨拶に対して、鷹揚に頷きかけて首を傾げた。
「む? 先の伯爵と言うとヴァイセル殿になるのではなかったかな?」
伯爵の系譜としては、まず現在の伯爵がエルシィとなる。
その前がライネリオの実兄にして、ジズ公国へ侵攻を行い、今は隣国へ逃げ込んでいるヴァイセル。
そしてその前がやっとライネリオの亡くなった父上である。
つまり、ライネリオの挨拶だと、まるまるヴァイセルの存在をすっ飛ばしていることになるのだ。
果たして、ライネリオはとてもいい笑顔で肩をすくめた。
「さて、そのような愚か者を旧とはいえエルシィ様と同列の伯爵陛下と呼んでいいものか……。
はばかりながらも弟である私からすれば、出来ればなかったことにしたい歴史でございます」
これにはカスペルもちょっと引いた。
元々は同格者だったとはいえ、また公式な席ではないとはいえ、上位者に対するあいさつで物おじせずこの言である。
いやはや、島国の田舎者であるカスペルからすればとんだ食わせ物に見えただろう。
「そ、そうか。
これからも妹の補佐をよろしく頼む」
「はっ、畏まりましてございます」
これでカスペルの嫉妬じみた対抗心はすっかり消沈した。
もしこれを狙っての挨拶だったとしたら、確かに食わせものだろう。
が、ぶっちゃけていってしまえば、ライネリオの態度は完全に天然であった。
彼は頭が回る切れ者であるが、自分への評価などには無頓着なのだった。
ちなみにユスティーナやカエデなども初お目見えではあったが、それらは完全に平民出なのでまとめて膝まづき首を垂れるだけで済んだ。
一人一人言葉を交わさずに済んだのは、カスペル殿下を鼻白ませたライネリオの功と言えるかもしれない
さて、気を取り直してカスペル殿下の報告話である。
「私はエルシィから頼まれて東航路側の国々へと外遊してきた。
具体的に言うと四国程度だが、どれも旧レビア王国に連なる国々だ」
外遊と言うと字面からして遊びに行っていると思う人が多いようだが、それは勘違いだ。
公人がこの言葉を使う場合は普通、外交目的で諸外国を歴訪することを言う。
つまりカスペルは外司府の使司として外交に行っていたのである。
使司とは、解かり易く言えば外務省だ。
ちなみにカスペル殿下がなぜ外遊に出たかと言えば、ハイラス伯国をジズ公国が接収した経緯の説明と、新たな伯爵の遣いとしてのご挨拶である。
「なぜ東航路だけしか行かなかったのでしょう?」
カスペル殿下の言葉に、フレヤがこそりとエルシィへ問う。
さすがに為政者と距離感が近いジズ公国勢とはいえ、孤児出身のフレヤがカスペル殿下に直接問うなど出来ようはずもない。
まぁ、言ってしまえばエルシィもカスペルと同じ「殿下格」なので、大した変わりがあるとは言えないが、そこはより気安い間柄であるからというところだろう。
エルシィもそうした機微を気にするでもなく、こそっと答える。
「北航路はヴァイセルさんが逃げたセルテ侯国もありますし、今問題になってる海賊さんもいますからね。
お兄さまにはより安全度の高い東航路に行っていただきました。
もっとも北側の諸国にも使司のお役人さんがお手紙持って行ってますけどね」
この説明でフレヤも納得して深々と頷いた。
「なるほど。さすがエルシィ様。賢くていらっしゃる」
そしてこんなことでも褒めそやすことを忘れないフレヤであった。
カスペル殿下の報告は続く。
「細かい話はあとでエルシィにレポートと共にするが、大まかに言えばどの国もおおよそ納得してもらえたようだ。
もっともグラキナ子爵国以外は遠い国の話を聞いているような素振りだった」
四国と言ったが、そこそこ大きい国から取るに足らない小国まである。
国境を接していない小国からすれば「大国どもは物騒だな」というくらいの認識なのだろう。
最終的に自国へ攻め込まれないなら、自国内のやり繰りに注視するのは少し前のジズ公国と一緒である。
そんな中でカスペル殿下が名前を挙げたのがグラキナ子爵国であった。
グラキナ子爵国とは、大陸の南側に突き出ている半島国家だ。
大陸の南西に突き出た半島国であるハイラス領から海を西に向かうとぶつかるのがこの国である。
ハイラス領とグラキナ子爵国を挟んで大きな湾を形成している、海越しの隣国と言ってもいいだろう。
グラキナ子爵国は東航路の中継地点にもちょうど良いため、商業が盛んであり、旧来よりジズ公国とも比較的交流が盛んな国であった。
まぁ、ほとんど一方的に行商に来てくれる国、という印象ではあったが。
「グラキナ子爵国には私と同い歳の太子がいて、ずいぶんと仲良くなったよ。
向こうも近いうちにこちらを訪問したいと言っていた。
ぜひ、麗しの妹君に会いたい、とね」
「うるわしの……」
美しく見事で壮麗な様を言う言葉だ。
こんな幼児を捕まえて何という形容詞を付けるんだ。
と、エルシィは少々絶句気味にスン顔になる。
まぁ、お兄さまかグラキナ太子さんの冗句だろう、と納得することにした。
その後は他の三国についても少々込み入った話をした。
どの国からも外交上、失礼に当たらない通り一遍の歓待を受け、こちらの言い分を、少なくとも表面上は納得してくれたとのことだった。
先にカスペル殿下が述べたように、特筆する程の話は出なかった。
次回は金曜更新です




